神に受け入れられる信仰3


神に受け入れられる信仰4に移ります。

「神に受け入れられる信仰228」7月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「感動の伴う信仰」です。現代は感動することが少ない時代です。物が溢れ、食べ物も世界中の食物が手に入り、口とお腹を満たしてくれます。

日本は戦後の貧しい時代から、高度成長期を経て、現在は飽食の時代とさえ言われています。

しかし、イエスは「心の貧しい者は幸いである」と言われました。ここでいう心が貧しいという表現は、心が謙遜である、純粋であるという意味です。

「ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデとイスラエルの全家は、歓声を上げ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上った。」Ⅱサムエル6:14-15

ダビデは、失われていた契約の箱が、ダビデの町に戻つたとき、幼子のように人目をはばからず、感動し、跳ね回り、喜び踊りました。これを見たサウルの娘ミカルは、ダビデをさげすみあざ笑いました。この時、ダビデはミカルに言いました。

「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。」Ⅱサムエル6:21

私たち(私)の罪を赦し、永遠の命を与えてくださった主イエス・キリストの愛と恵みを覚えるとき、喜び踊らずにはおれません。いつまでも、ダビデのように「感動の伴う信仰者」でありたいと切に願う者です。

「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」ネヘミヤ8:10(口語訳聖書)


「神に受け入れられる信仰227」7月3日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「悟りある信仰です」。

では、悟りはどのようにして与えられるのでしょう。二つのことが考えられます。

第一は、神ご自身、聖霊による啓示です。神は啓示の神です。聖書は神の啓示によって書かれました。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」Ⅱテモテ3:16 即ち神のみ言葉が、聖霊により啓示されるとき、悟りとなるのです。

第二は、信仰体験、神体験から生まれます。人生における成功体験、失敗体験、あらゆる出来事のすべてを、神への砕かれた心で、真実に受け止めるとき、そこから悟りが生ずるのです。

知恵の泉と呼ばれる箴言の言葉を、送ります。

「わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。」箴言2:1-5

真理の御霊なる聖霊様の助けにより、神からの啓示と、神体験、信仰体験で「悟りある信仰者」となりましょう。


「神に受け入れられる信仰226」7月2日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「ビジョンある信仰です」

「幻のない民は滅びる。」箴言29:18 人生で目標が明確な人は幸いです。ビジョンが信仰を生み出し、信仰がビジョンを達成するのです。

「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル11:1 人の立てたビジョンは移りやすく、変わりやすいものです。しかし、神から与えられたビジョンや目標は変わることがありません。

多くの信仰の偉人と言われた人々は、神と交わり、祈りの中で、神からのビジョンをいただき、信仰によって、成就したのです。

信仰の父アブラハムに主は語られました。

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」創世記12:1-3

神からのビジョンをいただき信仰によって、祝福を流し出す者となりましょう。


「神に受け入れられる信仰225」7月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「愛の信仰です」

信仰と愛は救いに絶対欠かせない、神の本質的条件です。

「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないのは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」ガラテヤ5:6

使徒パウロは、愛がなければ一切は無益であると結論しています。

「・・・また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。」Ⅰコリント13:2 さらに「こういうわけで、いつまでも残る者は信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」Ⅰコリント13:13

 「愛の信仰」は、信仰の動機、手段や方法、結果のすべてを神に受け入れられるものに導きます。

信仰の偉人と呼ばれた、ナイチンゲール、シュバイツァー、聖フランシスコ、マザーテレサなどの持った信仰は、すべて「愛の信仰です。」

神に対しても、人に対しても「愛の信仰」に生きる人は幸いです。


「神に受け入れられる信仰224」6月30日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「悔い改めの伴う信仰です。」

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」マルコ1:14

イエス・キリストの福音の第一声のみ言葉です。

バプテスマのヨハネも同様でした。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」マタイ3:2 更に使徒ペテロたちの最初の福音も同じです。

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」使徒2:38

神への悔い改めとイエスに対する信仰が救いに導くのです。悔い改めるとは、向きを変えるという意味があります。悔い改めと後悔は異なります。

イエス・キリストの十字架を前にして、ペテロもイスカリオテのユダもイエスを裏切りました。ペテロは心から悔い改めました。しかし、ユダは後悔だけにとどまり、心を変え、向きを変えませんでした。この二つは、天国と地獄の分水嶺です。「神に受け入れられる信仰」とは、悔いた砕けた心を持つ信仰です。

「神へのいけにへは、砕かれたたましい、砕かれた悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」詩篇51:17

罪を心から悔い改め、キリストを信じる者は幸いです。


「神に受け入れられる信仰223」6月29日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「賛美する信仰です。」

「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」詩篇22:3 目には見えませんが、真の神は賛美を住まいとしておられると、み言葉は、語っています。パウロとシラスという伝道者が、キリストの福音を伝えたため、牢に投獄されました。鞭で体をたたかれ、足に枷(かせ)をはめられ、いつ死刑にさせられるか知れない状況の中で神に祈り賛美をささげました。

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈り賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」使徒16:25-26

真夜中という時刻、牢獄という場所、体に傷の痛み、そして迫りくる死の恐怖、すべてが最悪の条件の中、神は賛美の中におられました。

ダビデは、あらゆる状況の中で、神を賛美したことを詩篇で、語っています。

「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも、主への賛美がある。・・・私と共に主をほめよ。共に御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。」詩篇34:1-4

いつも主を賛美してください。良いと思われるときだけでなく、どんなときにも、最悪と思われるときも、主を賛美してください。なぜなら、「主はイスラエルの賛美を住まいとしてしておられます。」

私自身も、目に見える悪条件の中、主を賛美した時、まず霊と心が解放され、実際の生活にも勝利を与えてくださいました。賛美の信仰体験、神体験は、あなたの人生の財産、宝物となります。主を賛美しましょう。


「神に受け入れられる信仰222」6月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、いかなる時のも「前進する信仰です。」

「しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、・・・。」ルカ9:53

 

「わたしは、きょうもあすも次の日も進んでいかなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。」ルカ13:33

イエス・キリストの御生涯は、常にエルサレムへカルバリ丘の十字架に向かった歩みでした。

それは、全人類の救いを成し遂げる目的があったからです。

「神に受け入れられる信仰とは、目標に向かい絶えず前進する信仰です。」

日本のペンテコステ信仰の草分けとして、神に用いられた、生駒聖書学院の創設者、L・W・クート師は、アメリカ、日本、韓国、フィリピンにキリストの弟子養成の聖書学院を建てあげ、天に召される最後に「前進」と叫び、凱旋されました。

神にある信仰は、あらゆる困難や問題を乗り越えて、前進するのです。

「信仰とは進行であり、進攻です。」あなたの信仰が、キリストと共に前進されることを、祝福してお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰221」6月26日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「忍耐の伴う信仰です。」これは、前日の「あきらめない信仰」とも共通していますが、心の中で耐え忍ぶ必要があります。

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神に御心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」ヘブル10:35-36 

信仰の父と言われたアブラハムも、大きな試練を乗り越えたヨブも忍耐の人でした。

どのようにして、忍耐を養うのでしょうか。それは約束してくださった御方に目を留めることです。「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」ヘブル10:23 

問題を見るのではなく、問題の背後におられるお方を見るのです。また、イエスの約束の言葉を握って問題を見るのです。最後に私の大好きなみ言葉をもって締めくくります。

「私はいつも、私の前に主を置いた。(透視して主を見る)主が私の右におられるので、私は揺るぐことがない。」詩篇16:8

主を通してすべての問題や出来事を捉えるとき、「忍耐信仰」が生まれ、神の約束が成就するのです。


「神に受け入れられる信仰220」6月25日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「あきらめない信仰です。」

福音書の中には、病をイエスに癒された多くの人々が登場します。「12年間の長血の女」マルコ5:12-34 「盲人バルテマイ」マルコ10:46-52 「スロ・フェニキヤの婦人の娘」マルコ7:24-30などです。

すべてに共通しているのは、本人であるか、周囲の人であるかの違いはありますが、「あきらめない信仰」を持っていたことです。

「病は気から」という言葉が、ありますが病気になると気持ちが萎えてしまうのです。そうなると治る病いも治りません。今東京オリンピックの是非が問われていますが、純粋に心から応援したいアスリートがいます。水泳の池江璃花子選手です。彼女がクリスチャンか否かは、わかりませんが、絶対に白血病に負けないで治るのだという心があったのです。

イエスキリストは救い主であり、癒し主です。あきらめない心がキリストに向かう信仰が、病や、問題に打ち勝つのです。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」

どんなときにも、絶対にあきらめない信仰を持ち続ける人は幸いです。あなたが、その人です。主の祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰219」6月24日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「感謝を伴う信仰です。」

イエス・キリストの元には、多くの病を持った人々が癒しを求めてきました。

ある村で、十人のらい病人(ハンセン氏病)が、イエスに出会い「イエスさま、どうぞあわれんでください。」と声を張り上げ、癒しを求めました。十人全員がいやされたのです。しかし、一人の人だけが、イエスのもとに引き返し、足元にひれ伏して感謝を捧げました。そこでイエスは言われました。「十人癒されたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来たのはこの外国人のほかはだれもいないのか。」それからその人に言われた。「立ち上がっていきなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」ルカ17:12-19

イエス・キリストは体の癒しだけでなく、霊と心の救い主です。このらい病人は、救いと癒しを受けたのです。多くの人は御利益信仰です。神の救いを体験した者には、イエス・キリストへの感謝が伴うのです。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病ををいやし、あなたのいのちを穴から贖い(永遠の滅びからの救い)、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」詩篇103:2-5

感謝を忘れなかったらい病人の信仰に、学びたいものです。


「神に受け入れられる信仰218」6月23日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「神と人々に仕える信仰です。」

イエスは言われました。「・・・あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」マタイ21:25-28

イエス・キリストの御生涯は、神と人々に仕えられた一生でした。

最後の晩餐で十字架にかかる前の夜、弟子たちの足を洗ってくださいました。

「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗いあうべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」ヨハネ13;14-15

当時、足を洗うのはしもべの仕事でした。しかし、イエスは自ら仕える模範を示されたのです。キリストが仕えた、究極は、全人類の罪の身代わりとなられた十字架です。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないでご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは、人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」ピリピ2:6-8

キリストにならい、神と互いに仕え合う者となりましょう。

幸せは、合わせ」から生まれてくるのです。


『神に受け入れられる信仰217」6月22日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「一致する信仰です」

”カペナウムの町で一人の中風の人が、四人の人に担がれて、イエスのもとに。癒しを求めて連れてこられました。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われました。救いといやしがなされたのです。この時、イエスは彼らの信仰を見たのです。イエスは一人の信仰ではなく、彼ら四人の「愛による一致した信仰」をご覧になられたのです。信仰は足し算であり、ある時は掛け算にもなるのです。

「どうして一人で千人を追い、二人で万人を敗ることができたであろう。」申命記32:30(口語訳聖書) 神は何時の時代、どのような場合にも、信仰を見ておられます。「主にある一致した信仰」を神は祝福されます。

「見よ。兄弟が一つになってともに住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまでしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133:1-3

私たちの家族、友人,知人、周囲の人々の救いのために「一致の信仰」で祈りましょう。

 


「神に受け入れられる信仰216」6月21日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「主を恐れる信仰です。」

知恵の泉と言われる箴言には、次のようなみ言葉があります。

「主を恐れることは知識の初めである。」箴言1:7

「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」箴言9:10

主を恐れるということの意味は、恐怖の恐れではなく、畏怖の念を持つということです。人が神を恐れることを失い、高ぶりが来るとき、必ず問題が起こり、自らを破滅に導くのです。

もし、自動車の運転にたとえるならば、ブレーキの存在です。アクセルが強くスピードが速くなるほど、ブレーキが必要です。良い車は、良いブレーキを兼ね備えています。

 

初代教会が、誕生した時は、皆が持ち物を共有し、心と思いを一つにしていました。しかし、アナニヤとサッピラという夫婦は、土地の代金を欺いていたため神に打たれてしまいました。

このことが、初代教会において、主を恐れ、神の前に敬虔な信仰へと導かれました。使徒5:1-11参照 

サタンは最初、天使長の一人でとても美しく、賛美をつかさどる者でした。しかし、彼は心高ぶり、主を恐れず、神になろうとしました。人間の罪とは、的外れであり、神を恐れないところに原因があります。

イエスは、この罪のために、十字架という最も低いところに下ってくださいました。その結果、すべての者の上の権威に引き上げられました。ピリピ3:6

愛なる神は、義なる神です。正しい信仰で、神を愛し、主を恐れる者は幸いです。


「神に受け入れられる信仰215」6月19日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「神と親しく交わる信仰です。」

「万軍の主よ。あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。我が魂は絶え入るばかりに主の大庭をしたい、わが心とわが身は生ける神に向かって喜び歌います。・・・あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。・・・あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。私は悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守になることを願います。」詩篇84篇抜粋(口語訳)

詩篇の作者は、神との親しい交わりを何よりも第一に求め、それを真の幸い(アシュレー)としました。神も同様に、神の子らとの親しい交わりを望んでおられます。神は人格的な交わりの中に存在します。

「私の目には、あなたは、私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している。」イザヤ43:4 「神に受け入れられる信仰」とは親しい交わりのある信仰です。「信仰とは親交です。」親と子が、夫と妻が、親しく愛し合い、信頼し合うところには、幸いがもたらされます。天の父なる神、御子イエスキリスト、聖霊との交わりがあなたのうちに、豊かになることをお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰214」6月18日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「行いの伴う信仰です」

ヤコブは信仰の父アブラハムについて次のように語っています。

”私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、そして「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。”ヤコブ2:21-24 

救いは信仰のみによるので、人間の努力や行いによるのではありません。神の恵みを信じて受け取るのが信仰による救いです。「あなたがたは、恵みのゆえに信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」エペソ2:8

ここでヤコブは、本当に信じて救いを受けたなら、それに伴う信仰の行動が必要であると述べています。

信仰は信じて行動する信行です。あなたができることを行ってください。


「神に受け入れられる信仰213」6月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「集中する信仰です」

先日取り上げた、12年間も長血をわずらった女性は、イエス・キリストの着物の裾にさわれば、必ず癒されると、いつも考え告白していたと証しました。マルコ5:24-35 

その着物の裾にさわるときに、彼女は信仰を集中したのです。

例えば、水を流すとき、少しづつ流すならば大きな力とはなりませんが、バケツ一杯の水でも一気に流すとき、力を発揮します。同様に神の前に信仰も、一球入魂のように集中することが大切です。

旧約聖書にギデオンの300名が大麦のパンのひと塊となって、ミデアンの大軍勢に転がっていき、その大軍を打ち破ったことが記されています。士師記7:13 大麦は小麦に比べ安価です。同様にギデオンの300名はミデアンの大軍勢に比べて小さいですが、一致して勢いよく集中したパンの塊の軍勢になった時、敵を打ち破り、大勝利を得ました。

個人であっても、共同体であっても、思いと行動が集中するとき、その信仰は、神に受け入れられ神の祝福をもたらすのです。

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛しなさい。(信じなさい。)」申命記6:5


「神に受け入れられる信仰212」6月16日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「求め続ける信仰です」

「求めなさい。(求め続けなさい)そうすれば与えられます。捜しなさい。(捜し続けなさい。)そうすれば見つかります。たたきなさい。(たたき続けなさい。)そうすれば開かれます。だれであれ、求める(求め続ける)者は受け、捜す(捜し続ける)者は見つけ出し、たたく(たたき続ける)者は開かれます。」マタイ7:7-8

有名なイエス・キリストのお言葉です。聖書の中でバルテマイという盲人が、イエスのところに来て、「ダビデの子のイエスよ。私をあわれんでください」と、大声で叫び求めました。弟子たちを始め、周囲にいた人々は、彼を押しとどめようとしましたが、なおも叫び続けてイエスを求めました。イエスは、「わたしに何をしてほしいのか。」と言われました。「先生、見えるようになることです。」イエスは言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」するとすぐさま彼は見えるようになった。マルコ11:46-52参照 

バルテマイの持った信仰とは、決してあきらめない「求め続ける信仰です。」

あなたの必要や願い、問題、どのようなことでもイエスに信仰をもって求め続けるなら、イエスはその信仰に答えてくださいます。答えられるまで、求め続けましょう。


「神に受け入れられる信仰211」6月15日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「見る信仰です。」

信仰の父と呼ばれたアブラハムの信仰を、使徒パウロは次のように記しています。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、あなたの子孫はこのようになる。と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムはおよそ百歳になって、自分の体が死んだも同然であることを認めてもその信仰は弱りませんでした。・・・」ローマ4:18-21

アブラハムの名前は「多くの国民の父」という意味です。元の名はアブラム(いと高き父)でしたが、神はアブラハムに、あなたは「多くの国民の父となるよ」と言われたのです。

神は、アブラハムに天の星を見なさい。アブラハムは無数の星を見てそのように子孫が起こされると信じました。創世記15:5 アブラハムは信仰によって見続けたのです。天の星の一つ一つが、「アブラハムお父さーん」と叫んでいるように信仰で約束の子孫を見たのです。最初の約束は75歳のときでしたが、99歳になっても、約束の子供は与えられませんでした。またある時は「地のちりのように、あなたの子孫は増え広がる。」創世記13:14-17とも言われました。見たら信ずるのではなく、信じて見ることが信仰です。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル11:1 アブラハムの子孫として「神と神の約束を、信仰で見る」者となりましょう。


「神に受け入れられる信仰210」6月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「告白する信仰です」聖書の中には、沢山の奇跡や癒しの御業が記されています。

ある時、12年間も長血(体から血が流れてしまう婦人病)を、わずらっている女の人が、イエスのうわさを聞き、イエスの着物にさわりました。するとすぐに地の源がかれて、ひどい痛みが治ったと感じました。この女性は、「イエスのお着物にさわれば、必ず直る。」いつも口ずさみ、告白していたのです。”マルコ5:25-34

彼女は、イエス・キリストが、救い主であり癒し主だと信じていたのです。神の救い、癒し、祝福を受け取るカギは信仰の告白です。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」ローマ10:9-10 

あなたの救いや癒し、祝福はあなたの告白にかかっているのです。

では何を告白したらよいのでしょう。それは、「イエスの言葉、聖書の約束の言葉です。」イエス・キリストとはどのようなお方でしょうか。み言葉は、証します。「そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」ヘブル3:1

「告白は、所有をもたらすのです。」あなたの告白が、神に喜ばれる信仰の告白であることをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰209」6月12日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「神に聞く信仰」です。

「・・・信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみ言葉によるのです。」ローマ10:17

聞くことはとても大切です。カウンセリングの原則は、まず相手の話を聞くことであると言われています。相手が何を思い、何を望み、何を必要としているかを、知らないで自分の考えや答えを語るならば、そのカウンセリングは良い結果をともないません。

神は人間の口は一つ、耳は二つに創造してくださいました。人の思いを知ることも必要ですが、まして、すべての良き御計画をお持ちで、私たち人間をだれよりも愛しておられる神、イエス・キリストの言葉を聞きなさいと聖書は、語っています。「聴く、聞く、訊く」など日本語には沢山の言葉が用いられています。耳を傾け、身を入れて神に問い訪ねることが大切です。神様は、あなたの良きナビゲーターです。

最後に私の大好きなみ言葉を、書き記します。

「わたしを呼べ。そうすれば、私はあなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなる事をあなたに告げよう。」エレミヤ33:3

あなたの個所に、ご自分の名前を入れて読んでみてください。主の祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰208」6月11日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、コンスタンティノープルの総主教であり、神学者のグレゴリの信仰です。グレゴリの名前の人物が多いため、ナジアンズのグレゴリと呼ばれています。ローマ帝国がAD395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に、分裂した時、当時の教会も西はローマを中心とした西方教会(ローマカトリック)と、東のコンスタンティノープルを中心とした東方教会(ギリシャ正教や後のロシア正教)に分かれました。

神学論争の時代であり、西方教会ではアウグスティヌスを中心とした「救い」東方教会ではアタナシウスが、中心で「三位一体やキリスト論」が、そのテーマでありました。東方教会では、最初アリウス派の影響が強くキリストは神に造られた最高人格者であるが、被造物であるとしていました。約40年続いたアリウス派の神学を退け、キリストは神と一体であり、キリストは救い主であると、アリウス派を退けたのです。そして、名説教家でもあったグレゴリは、人々に「神の恩恵による救い」を生涯語り続けたのです。

「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」使徒4:12


「神に受け入れられる信仰207」6月10日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、キリストの昇天以後、急速にローマ帝国の中で福音が浸透し、大迫害の中、殉教したユスティノスの信仰です。

キリスト教の歴史は、迫害の歴史であることを度々、証していますが、彼の死は、ネロ皇帝の迫害より約100年後のことです。初代教会は、最初ユダヤ教徒の迫害に会いましたが、その後はローマ帝国より迫害を受けました。迫害の時代はミラノ勅令が発布されたAD313年まで続きました。

「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、・・・女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。またほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、更に鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、また石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、ヒツジややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、この世は彼らにふさわしいところではありませんでした。荒野と山とほら穴と地の穴をさまよいました。」ヘブル11:33-38 

初期キリスト教会の監督、ポリュカルポス、イグナティオス、シメオン、ユスティノスと殉教者が続きました。聖書の言葉の成就です。

それ以後も現在に至るまで、キリストと多くの殉教者の血潮の上に、信仰と教会が築き上げられているのです。


「神に受け入れられる信仰206」6月9日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、中世の暗国時代、しかも黒死病(ペスト)のパンデミックにより、当時のヨーロッパ人口の3分の1が死んだときに、神の子として、歩んだヨハン・タゥレルの信仰です。タゥレルについて、今日ほとんどの人は知りません。しかし、神はタゥレルを「良くやった。忠実な僕よ。」とお呼びしているに違いありません。

彼は、1290年ドイツに生まれました。200年後の宗教改革者マルチン・ルターに大きな影響を与え、「福音をもっとも純粋に説いた人」として称賛されました。当時の宗教者は、多くが世俗的で、政治の圧力や、この世の富や権力にとらわれていました。しかし、タゥレルの信仰は個人の生命に働く神との直接的な交わりでした。彼は「あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。」ヨハネ15:14-15

のみ言葉により、「神の友」という群れを造り、神との生きた人格的な交わり、すべての弱者と呼ばれる人々への愛の交わりをもち、特権階級には決してならなかった。

黒死病の流行により、彼の住んでいた、南フランスでは人口の3分の2が死に、まさに世の終わりの有様の時、病人の救いと看護に日夜働きました。最後の息を引き取る人々に永遠の命を語りました。何時の時代でも、キリストを心から信じ、従う人を神は捜しておられます。

「神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」Ⅰテモテ2:4


「神に受け入れられる信仰205」6月8日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、中世のキリスト教歴史の暗黒時代に、輝きを放った聖ベルナールの信仰です。暗黒時代にも光を放った信仰者は各地にいましたが、その中で双璧の存在は、アッシジの聖フランシスコとベルナールと言われています。

世が暗ければ暗いほど、光の存在は大きく強くなります。ベルナールのうちにいますキリストが光を放つのです。

彼は1091年厳格な軍人の父テスランと信仰深い母アルタのもとに生まれ育てられました。特に母アルタは世界歴史の中でも賢母としてたたえられています。

中世の暗黒時代の僧侶は富と権力を持ち、当時の教皇は「今や金銀はなしという時代は過ぎ去った。」信仰深いトマス・アクイヌスは、「しかし、イエス・キリストの名によって歩めという時代も過ぎ去りました。」と答えた話は有名でいかに世俗的であったかを現しています。

そのような中で、ベルナールは聖フランシスコと同様に、荒れ地を開拓し、クレアボーに修道院を造り、砂漠の中のオアシスのごとく、神の泉として、霊的な命の源としたのです。フランシスコが現われる少し前の出来事です。祈りとみ言葉の黙想、愛の実践に生きたのです

かれは愛の三段階を示しました。

「第一は己のために神を愛する者、第二は神のために神を愛する者、第三は神のために己を愛する者で、第三の領域に達する者は極めてまれであると述べています。」

「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」ガラテヤ2:20

ベルナールのうちにはキリストが生きておられたのです。



「神に受け入れられる信仰204」6月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、カトリック教徒ではあるが、11世紀の中世暗黒時代に、キリスト信仰に立った聖アンセルムスの信仰です。彼は1033年北イタリアの小さな町に生まれました。愛情の深い母と信仰深い叔父より、厳格な信仰と教育を施されました。しかし、父親とは性格の違いなどあり対立し、若くして家を出て、フランスのル・ベック修道院にはいりました。30才の若さで副修道院長に任命され、み言葉と祈り、黙想をもってその働きを全うしました。弟子たちより「アンセルムスは健康な者にとっては父であり、病床にある者には母であった。否、むしろ彼は健康な者にとっても、また病者にとっても、同時に母であり父であった。」と述べられています。神学者であったが、人としての愛に満ち溢れた人物でした。当時の国王と法王との政治やこの世の権力、流れの中でもアンセルムスは、「キリストの証人」として、どのような権力にも屈せず、世の流れにも流されず、初代教会の使徒のごとく、殉教者の道を歩みました。中世の暗い時代にも、「世の光、地の塩」として歩んだ生涯でした。

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストの香りなのです。」Ⅱコリント2:15


「神に受け入れられる信仰203」6月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、キリストの12弟子の後、使徒としてローマ帝国による迫害の中、アンテオケ教会の教父となったイグナティオスの信仰です。

12弟子が、殉教しても、初代教会の力は衰えませんでした。次に続くキリストの弟子が起こされたからです。1世紀の終わりから2世紀の初めに、大迫害の中3人の中心的教父が存在しました。ローマのクレメンス、小アジア(現在のトルコ)スミルナのポリュカルポス、シリア地方アンテオケのイグナティオスです。

アンテオケ教会は最初の異邦人教会であり、世界伝道の基地となった教会です。(使徒13:1-3参照)また、初めてクリスチャンと呼ばれたのもアンテオケです。使徒11:26 「イグナテオス殉教記」によると、彼はトラヤヌス帝の時、ローマの闘技場で、飢えたライオンの牙により殉教の死を遂げたと記録されています。彼の死から半世紀後、86才の教父ポリュカルポスも殉教の死を遂げました。ローマ市の地下墓所(カタコンベ)には、これらの多くの殉教者が、眠っています。キリスト教の歴史は、迫害と殉教の歴史と言っても過言ではありません。イエスは言われました。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人の者だからです。・・・喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちもそのように迫害されました。」マタイ5:10-12


「神に受け入れられる信仰202」6月4

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、AD185年に、エジプトのアレキサンドリアに生まれた神学者オリゲネスの信仰です。

当時は、キリスト教迫害時代でした。父親レオニデスは異教徒でしたが、キリストの福音により、回心し熱心なキリスト教徒になりました。父親により聖書を幼くして学んだオリゲネスは、不撓不屈の信仰者となり、聖書を生涯学び続け、信仰や教育、人生に関する書物を、6000冊も著わしたと記録されています。それらは、すべて聖書が土台でした。

父親は、彼が17才の時、迫害の嵐により殉教の死を遂げました。彼も生涯の中で、迫害され何度も激しい拷問にあいました。しかし、信仰は弱るどころか、益々キリストに堅く結び合わされ、「殉教の勧め」という著作を残しました。AD250年デキゥス帝の迫害で拷問を受け、数年後にその影響で天に召されました。彼の68年の生涯は、キリストと聖書とともに歩んだ一生でした。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタイ10:24 多くの殉教の結果、AD313年にキリスト教が、ローマ帝国の国教になりました。


「神に受け入れられる信仰201」6月3日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、キリスト教歴史の中で、説教者の中の説教者と言われた、AD346年生まれのクリソストムの信仰です。

彼の父は軍人で早くして世を去り、20才でやもめとなり、母アンズウサにより育てられました。彼女は、アウグスティヌスの母モニカと共に、敬虔な信仰婦人として、多くの人々より尊敬されています。クリソストムとは「金の口」の意味で、本名はヨハネですが、彼の語る神の言葉が、あまりにも素晴らしくそう呼ばれたのです。

「全能の神よ、あなたに向かって、すべての心は開かれ、すべての思いは、あなたにあらわでありますように。あなたの御前には、どのような秘密も隠すことができません。願わくは、あなたの御霊によって、私たちの心と思いを清めたまえ。かくして、私たちをすべて、御心にかなうように、あなたを現す者となしたまえ。私たちの主イエス・キリストの聖名により祈ります。」

この言葉はクリソストムが、常に用いた祈りですが、今日、全世界で神の御前にささげられています。彼の説教は、ほとんどが聖書の講解説教でした。神の前に祈りで神の声を聞き、思いを知って人々に取り次ぐ、メッセージでした。

しかし、心の狭い人ではなく、自然界や、人々の実際の問題に答える説教者でした。人間の最も必要であり、根本である「罪、悔い改め、信仰、救い、愛、永遠」などでした。その言葉は預言的でもあり、いつの時代にも通用し、切り込む言葉でした。社会の必要にも、ことに貧富や格差社会の問題も鋭く語っています。

貧しい者に向かい「私と共に泣け!しかし、あなた方自身のためではなく、あなた方から盗み取る者たちのために泣け!彼らこそ、更に哀れむべき者である。」

富める者に対しては「やがて、永遠があることを忘れてはならない。あなた方の成したすべてのことが明らかになることを忘れてはならない。」

クリソストムは、バプテスマのヨハネの再来のような人物でした。

「彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。」ヨハネ1:9



「神に受け入れられる信仰200」6月2日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、戦国時代のキリシタン大名、小西行長の信仰です。肥後(熊本)宇土城城主で洗礼名は、アウグスティヌスです。父母共に、敬虔なキリシタン信仰者でした。

高山右近を尊敬し、右近の勧めで、キリシタンになりました。宇喜多直家、豊臣秀吉、秀頼を主君として仕え、最後の最後まで忠義を全うし、神とこの世での主君に忠誠を果たしました。彼の家族、父母、妻、子供たちもみなキリシタン信仰者でした。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)や関ヶ原の戦いでは、先陣で働きました。高山右近が、迫害で追放された際には、最後まで右近をかばって守り続けました。最後は、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に敗れ、石田三成らと共に、京都六条川河原で、キリシタンは自らの命を捨てる切腹はしないとして、斬首刑で天に召されました。戦国時代という、環境の中で小西行長は、神とキリストを信じて、キリスト者として、戦国の世の武将として精一杯、神に仕えたのです。

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ1:21


「神に受け入れられる信仰199」6月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、1549年、日本に初めてキリスト教を伝えた、フランシスコ・ザビエルの信仰です。ザビエルは、1506年スペインの小国、ナバラ王国のサビエル城の城主の子として生まれました。しかし、大国イスパニア(スペイン)軍により、王国は、滅ぼされ、若くして親を失いましたが、神にある信仰の道に導かれました。

「全世界に、出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えよ。」マルコ16:15 

ザビエルは、彼の日本伝道を最後まで支えた、イエズス会の創設者のひとりイグナチオ・デ・ロヨラらと共に7名で、モンマルトルの丘に登り、全世界の人々に、福音を伝える、「モンマルトルの誓い」を立てたのです。

このザビエルにより、日本にキリストの福音が初めて伝わったのです。

東洋の地に宣教を望み、アフリカの喜望峰を回り、インドのゴアに宣教の中心をおき、アジア各地に福音を伝えようと計画したのです。神の計画は、マラッカで鹿児島出身のヤジロウ(アンジロウ)に出会い、暗黒の地日本に福音の光が照らされたのです。

ザビエルは、それまでに数万の人々に洗礼を施したとの記載があります。ザビエルは鹿児島から始まり、九州各地、山口、そして京にまで、暑さと寒さ、飢えと空腹、多くの迫害と困難の中、当時応仁の乱で荒れ果てていた、都に福音を伝えました。更に大分などでも、多くの実を結びました。

ザビエルの伝道により、数千(数万?)の人々が、キリストを信じ救われたものと思われます。ザビエルには、アジア全体の責任があり、インドのゴアに戻り、再び中国や日本に宣教すべく、働きましたが、最後は中国の地で46才の生涯を閉じました。

しかし、ザビエルの愛と信仰は引き継がれ、戦国時代の日本に多くのキリシタン信者が、生まれ、激しい迫害にも耐え実を結びました。いまでも日本には、ザビエルの蒔いた福音の種が存在しています。

「いつまでも、存続するものは、信仰と希望と愛である。」Ⅰコリント13:13


「神に受け入れられる信仰198」5月31日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、マルチン・ルターの時代に宗教改革の初期において立役者となり、中心となったフルドリッヒ・ツウ”ィングリの信仰です。

彼は、「聖書のみ」の信仰を基準とし、信仰の大切さを説き、万民祭司説を唱えた点では、ルターと同じでした。しかし、ルターが主に、教会改革、信仰改革に変革を求めたのに対し、ツウ”ィングリは社会変革をも求めました。チューリッヒ市において、教皇制度、聖職位階制度の否定、教会内の聖画、聖像の破壊、修道院の閉鎖、司祭独身性の不要などを唱えました。

ルターとは「恩寵や聖餐」の解釈において違いがあり、礼拝音楽も否定しました。結果として宗教改革勢力は、ローマカトリック軍と対立し、ツウ”ィングリは、戦死しました。

この世的にはあまり知られていませんが、聖書信仰、万民祭司制度の確立に用いられたことは感謝です。は、目に見えない部分もご覧になり、「良くやった忠実な僕よ。」と語られるに違いありません。

「人は、うわべを見るが、主は心を見る。」Ⅰサムエル記16:7


「神に受け入れられる信仰197」5月29日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、マルチン・ルターと共に、宗教改革の立役者であり、神学者、牧師ジャン・カルウ″ァンの信仰です。彼は1509年フランスに生まれました。カルウ″ァンの神学は、プロテスタント教会に大きな影響を与え、ルターと共に大きな神学の流れを造っています。そこで強調されているのは、神の絶対性、聖書の権威、神のみ心による人生、長老による教会政治、信者の教育と訓練などです。カルビン主義とも呼ばれ、改革派信仰とも呼ばれています。宗教改革の流れでは、ドイツを中心にルター、スイスにおいてカルウ”ァンが中心になり、彼の働きは第二段階と言われています。その特徴は、神の主権を強調し、聖書に堅く立つ聖書信仰であり、クリスチャン生活の実践です。

聖書の真理は、深く、大きく、広いのです。カルウ”ァン主義の唱える真理も、一部分です。

「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちた御性質が形をとって宿っています。あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」コロサイ2:9-10 キリストにいつも目を注ぐものでありますように祈ります。


「神に受け入れられる信仰196」5月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、4世紀の神学者、教父の聖アタナシウス(アレクサンドリアのアタナシオスとも呼ばれる)の信仰です。

アタナシウスがキリスト教歴史において、重要なのは、ニケイア公会議におけるアリウス派との信仰論争です。アリウスはイエス・キリストは父なる神の被造物であると唱えたのに対し、アタナシウスは御子イエス:キリストは父なる神と同質(同一本質)と唱え、激しく論争しました。即ち、論点は「子なる神イエス・キリストが永遠の昔から存在していたか否か、イエス:キリストは被造物か否か、子なる神イエス・キリストと父なる神は同質か否かでした。」アリウス派の主張は、イエス・キリストは永遠の昔から、存在したのでなく、被造物である。イエス・キリストと神は同質ではなく、神の養子であるでした。 これに対し、アタナシウス派は、子なるイエスキリストは、永遠の昔から存在し、父なる神と完全に同質であると主張しました。ニカイア公会議においてアタナシウスが勝利し、アリウスは異端とされました。現在の使徒信条は、このニケイア公会議(ニケヤ会議)で根本が確立されました。アタナシウスの信仰がキリストが救い主であることを証明したのです。

今日までのキリスト教歴史において、正統信仰を確立した重要人物は、アタナシウスとマルチン・ルターです。すべては、真理なる神、御子、聖霊の働きです。イエスは彼に言われた。「わたしが、満ちであり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネ14:6


「神に受け入れられる信仰195」5月27日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、昨日の信仰者、ジョン・ウィクリフと共に宗教改革の先駆者となり、マルチン・ルターに多大な影響を与えたヤン(ヨハン)・フスの信仰です。

フスは1369年チェコに生まれました。フスはウィクリフに大きな影響を受け、当時のローマカトリック教会の間違いを正し、宗教改革の先駆けとなりました。

お金で救いを得るという免罪符に反対し、ローマカトリックに絶対権威があるのではなく、イエス・キリストこそが、すべての権威者であると唱えました。その結果、異端信仰者とされ、1415年7月6日、火刑にされ殉教の死を遂げました。最後の時に、間違いを認めて、ローマカトリックの教えに従うなら、赦しを与えると迫られましたが、「真実は勝利する。」と声高く叫び、天に召されました。その影響は、1920年チェコスロバキアが、独立するとき「真実は勝つ」の標語が掲げられ、1967年のソビエトに抵抗した、「プラハの春運動」でも同様でしたが、その旗はソビエト軍によりはぎとられました。1989年のビロード革命では「愛は憎しみを、真実は虚偽を征服しなければならない」とフスの信仰思想が掲げられました。

フスは天の御国と祖国チェコにおいて英雄とされたのです。

「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」と御霊も言われる。「しかり、その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」黙示録14:13


「神に受け入れられる信仰194」5月26日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、宗教改革の先駆者で、ヤン・フスやマルチン・ルターなど、後の宗教改革者に多大な影響を与えた牧師、神学者、ジョン・ウィクリフの信仰です。ウィクリフは、1320年頃イングランドのヨークシャーに生まれました。

オックスフォード大学の教授であり、神学者のウィクリフは、当時のローマ・カトリック教会の教義は聖書から離れていると、宣言し真の信仰を求めました。聖餐式のミサにおいて、パンとワインがキリストの本物の肉と血に変わるという(化体説)これは間違いであると真っ向から否定しました。また、聖書を自らの国語(英語)で読めるように聖書翻訳に力を注ぎ、聖書信仰を確立しました。これらの出来事は、絶対権力を持っていたローマ・カトリックから迫害されましたが、その後、彼の信仰はヤン・フスやマルチン・ルター、カルウ″ァンなどに引き継がれ、ついに宗教改革がなされ、真の信仰による救いが回復したのです。一時ウィクリフやフスは異端とされ、フスは火刑にされ、ウィクリフの遺体は墓から掘り起こされ火で焼かれました。その後ウィクリフやフスの異端は取り消され、信仰の名誉は回復しましたが、数百年後のことでした。多くの先駆者たちの信仰の犠牲の上に今の救いがあるのです。

「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたに命の冠を与える。」黙示録2:10 


「神に受け入れられる信仰193」5月25日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「パンセ=思考、考え、思想の意味」の著者であり「人間は考える葦である」や「パスカルの定理」で有名なブレーズ・パスカルの信仰です。

パスカルは1623年フランス中部の都市クレルモンで生まれました。父は、裁判官で科学者、母は信仰深く、慈悲深いクリスチャンでした。パスカルは、多才な能力を持ち、天才中の天才と呼ばれています。彼は、哲学者、物理学者、数学者、思想家、神学者、発明家、実業家であり、神童と呼ばれていました。しかし、39才の若さで天に召されました。30才の時、真の神に出会い、劇的な新生体験をいたしました。「人間は考える葦である」と唱えたように、パスカルは天才ゆえの悩みや、肉体的病いやこの世の様々な問題に苦しみ、多くの困難を抱えていましたが、キリストに出会い生まれ変わったのです。パスカルは、その時の信仰告白を走り書きし、生涯肌身離さず持っていたとのことです。

”恵みの年、1654年11月23日夜10時半頃より0時半頃まで”

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、哲学者および学者の神ならず。確信、確信、感激、歓喜、平和。イエス・キリストの神。神以外のこの世および一切のものの忘却。神は福音に示されたる道によってのみ見出される。人間の魂の偉大さ。歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙。」

この日以来天に召されるまで、パスカルは決定的回心により、偉大なるキリストと共に歩んだのです。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古い者は過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」Ⅱコリント5:17(口語訳)


「神に受け入れられる信仰192」5月24日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、作家でキリスト教伝道者、牧師阿部光子の信仰です。阿部光子は1912年生まれで、夫は、救世軍の指導者山室軍平の長男で、救世軍士官、賛美歌作家の山室武甫です。阿部光子は1941年「猫柳」で芥川賞候補に挙がりました。1968年には「遅い目覚めながらも」により、日本女流文学賞を受賞しました。阿部光子は作家であり、牧師として、日本基督教団和泉多摩川教会を35年の長きにわたり牧会しました。作家としての作風は、喜怒哀楽に満ち溢れたものでした。阿部光子は、文学の賜物を神から与えられ、信仰により牧師であり作家として、神と人々に仕えました。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理人として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」Ⅰペテロ4:10

あなたも、神から与えられている、賜物(タラント)を、用いて、神と人に仕える者になってください。


「神に受け入れられる信仰191」5月22日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、ベン・ハーの著作者であり、弁護士、州知事、南北戦争の時の北軍将軍のルー・ウォーレスの信仰です。ルー・ウォーレスを有名にしたのは、彼が、1880年に書き上げた長編小説「ベン・ハー」です。ベン・ハーは4回も映画化され、特にチャールトン・ヘストンが主演した1959年公開の70ミリのワイドスクリーンは、大ヒットし第32回アカデミー賞では、作品賞を始め11部門で受賞しました。日本でも公開され、その内容とスケールの大きさ、絵の美しさなどで、多くの日本人が感動しました。この映画を見て、キリスト信仰を持ったものも数多く起こされました。

ベン・ハー」はローマ帝国時代にユダヤの貴族であったベン・ハーが友人メッセラに裏切られ、奴隷とされ復讐の鬼に化したが、キリストに出会い救われるという物語です。ビデオショップでDVDが、貸し出されていますので、ぜひご覧ください。映画の中の映画と言っても過言ではありません。

この著者、ルー・ウォーレスは、かっては無神論者で、聖書の中に矛盾点を見つけ神に対して戦いを挑んだ人物でした。しかし、聖書を調べれば調べるほど、神が生きておられ、真理のお方であると感じ、ついにキリストを信じて救われたのです。その結果ベン・ハーを書いたのです。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ33:3


「神に受け入れられる信仰190」5月21日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「アメージング・グレイス」の作詞者であり、元奴隷商人から、神を信じ、牧師になったジョン・ニュートンの信仰です。

アメリカ人に「最も歌われ、親しまれてきた曲を一つあげて下さい。」と質問をすると、大半の人が「アメージング・グレイス」と答えるそうです。

「私の心におそれることを教えたのは神の恵みであり、私の恐れを除いてくださったのも神の恵み。神の恵みがいかに尊いかということを確信したのは、私が初めて神を信じた時のことであった。」ジョン:ニュートンの告白です。

「アメージング・グレイス」は、ニュートンが23歳の時、アフリカからイギリスに帰るとき、大嵐で船が遭難しかけた時に生まれたと言われています。1725年、ニュートンは、ロンドンで生まれました。父親は商船の船長で、母親は敬虔なクリスチャンでした。幼い時に、母親はいつも聖書を読み聞かせていましたが、彼が7才の時、天に召されました。成人したニュートンは父親の歩んだ道に倣って船乗りとなりました。そして奴隷売買に手を染め、莫大な富を築きました。奴隷である黒人たちへの扱いは、家畜同様、もしくはそれ以下でした。衛生状態も悪く、アメリカ大陸に渡る途中、多くの黒人が命を落としました。

大きな嵐に、遭遇し、はじめて真剣に神に祈り、自らの罪を悔い改め、回心し、その後、ジョン・ウェスレーやホットフィールドらと交わり、多大な影響を受け、牧師となりました。その中で生まれたのが、神の驚くべき恵みであり、この恵みを歌ったのが「アメージング・グレイス」です。神はどんな罪深い者でも、心から悔い改めて、キリストを信じるなら新しい者に造り変えてくださいます。これは、神の驚くべき恵みです

「今は恵みの時、今は救いの日です。」Ⅱコリント6:2


「神に受け入れられる信仰189」5月20日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「東洋のシンドラー」と呼ばれ、6000名のユダヤ人の命をを救った、外交官杉原千畝の妻、幸子夫人の信仰です。旧姓、菊池幸子は、1913年香川県に生まれ、1935年(昭和10年)杉原千畝と結婚しました。彼女は、ドイツ語に堪能で、英語も話すことができました。「六千人の命のビザ」は彼女の著作であり、これにより、杉原千畝によるユダヤ人渡航ビザの全貌が明らかになり、現在に至っています。杉原千畝は、イスラエルより、「ヤド・バシェム賞=諸国民の正義の人賞」が贈られましたが、その陰に幸子夫人の助けがあったことを忘れてはなりません。彼女はロシア正教により洗礼を受けたクリスチャンです。ユダヤ難民を窓の外に見た時、エレミヤ哀歌のみ言葉が与えられ、夫の千畝と共に、命がけでユダヤ人の渡航ビザの発給に関わり、6000名のユダヤ人を救ったのです。5月14日付けの「神に受け入れられる信仰184」杉原千畝と合わせてお読みいただければ幸いです。

「この夫にして、この妻あり、この妻にしてこの夫あり」の言葉のように夫婦は一体です。杉原ファミリーは、当時の日本政府の命に背き、外交官を罷免され、外務省職員から外れ、長い間苦難の中に歩みましたが、杉原一家はこのことを何も言わず受け入れていましたが、2004年、河野洋平外務大臣の名で名誉が回復され、外交官であったことが認証されたことは幸いです。今もイスラエルを始め、全世界で杉原夫妻は、尊敬されています。

「いつまでも、存続するものは信仰と希望と愛この三つです。このうちで最も大いなるものは、愛です。愛を最高の目標としなさい。(詳訳聖書)」Ⅰコリント13:13、14:1


「神に受け入れられる信仰188」5月19日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、牧師、大衆伝道者、ラジオ牧師であった羽鳥明師の信仰です。羽鳥牧師は、ラジオ番組「世の光」テレビ番組「ライフライン」で、長い間日本のメディアを通しての福音に関わりその第一人者でした。羽鳥師は、16才の時、友人のクリスチャンの舟喜順一(のちに牧師)に、導かれました。戦前であり、キリスト教迫害が厳しい中、軍事訓練の時間に教官が「クリスチャンはいるか。」と、恫喝したときに、毅然として「私はクリスチャンです。」と堂々と信仰を告白した友の姿に、感動してキリストに導かれたと、語っています。”あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日がこないうちに、また、「何の喜びもない。」という年月が近づく前に。”伝道の書12:1 羽鳥師は、いつも16才の時の神との出会いを語っています。若い時に神を信じた彼は、96才で天に召されましたが、最後の最後まで、伝道の情熱に燃えていたそうです。羽鳥明師は、後に弟の純二も、キリストに導き、純二師も、日本の代表的牧師として、神に用いられました。

世の光なるキリストは、言われます。

「あなたがたは、地の塩、世の光です。」マタイ5:13-14 羽鳥明は、天に召されましたが、その信仰は今も生きて、働いています。


「神に受け入れられる信仰187」5月18日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、1970年代、「獄中の賛美」「賛美の力」の著者でアメリカや世界各地で、神に大きく用いられたマーリン・キャロザース牧師の信仰です。彼は次のように告白しています。「心からの祈りであるなら、どんな形式の祈りでも神の力が私たちのうちに入り込むためにドアは開きます。しかし、賛美の祈りはどのような懇願の祈りよりも神の力を解放します。」M・キャロザース師は自らの信仰体験から、神を賛美し、祈るとき、多くのしるしや不思議なわざ、即ち奇跡と言われる超自然的な神の御業を拝するのであると、述べています。

この悟りは、聖書の使徒の働きの中での出来事を根拠にしています。「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると・・・突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。・・・。」使徒の働き16:25-34 パウロとシラスの賛美の祈りをご紹介します。

①最悪の条件(真夜中に、獄中で、囚人となり、むち打ちの痛みと死の恐怖の中で賛美と祈り)②賛美の結果(あらゆる足かせ、鎖、獄の扉、心の恐れ、不安などからの全き解放)③獄の看守と家族全員の救い。

キャロザース師は、「賛美の祈り」の証人です。いつの時代、どんな場所でも、神の真理は、共通です。

私たちの教会の、祈りのモットーは「日本の救い・町の救い・家族ぐるみの救い」です。この賛美と祈りを通して、神の御業がなされることを信じます。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31 

「・・・この町にはわたしの民がたくさんいるから。」使徒18:10

 「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。。・・・」詩篇126:1-5

神を、いつでもどんな時でも賛美します。アーメン! ハレルヤ!


「神に受け入れられる信仰186」5月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、新生、神癒、聖化、再臨から成る四重の福音の提唱者で神癒伝道の器、神学者、牧師、A・B・シンプソンの信仰です。シンプソンは1843年カナダに生まれました。「赤毛のアン」著者、L・M・モンゴメリーと共通の祖先をもつと言われています。1880年代、ウイリアム・ブースやD・L・ムーディーらの聖霊の働くミニストリーに、大きな影響を受けたが、聖書のみ言葉に根拠を見出すまでは、確信が持てなかった。聖霊の働きや神癒に、聖書から、教理的な確信を得た、彼は、自らの癒しの体験と、ミニストリーを行うようになり、四重の福音の提唱者になった。彼の働きと教会はゴスペル・タバナクルと命名され、世界宣教と再臨を強調しました。また、多くの著作も現し、現在も多くの人々に愛読されています。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けない。また、病人に手を置けば癒されます。」マルコ16:15-18


「神に受け入れられる信仰185」5月15日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、スウェーデンのゴスペルシンガーでなんども来日し、多くの人々に感動と勇気を与えたレーナ・マリアの信仰です。レーナ・マリアは1968年スウェーデン中南部のハーボ村に生まれましたが、出生時から障がいがあり両腕がなく左脚が、右脚の半分の長さでした。両親は、敬虔なクリスチャンで彼女を、障がい者としてではなく、一般の子供と同じように育てました。ソウルパラリンピックに水泳競技で出場し、3種目で入賞しました。何よりも愛くるしい笑顔と喜びにあふれた言動で、ソウルパラリンピックの花となり多くの人に愛されました。彼女は音楽の賜物で、ゴスペルシンガーとして、世界で活躍しました。その歌声は、聞く人々に感動と勇気を与え、ニュース・ステーションを始め多くのテレビや新聞にも、取り上げられました。彼女の告白です。「神様は私に手の代わりに心の中に豊かさを与え、わたしが自分自身を愛せるようにしてくださいました。」彼女はマイライフ(私の人生)でも、次のように告白しています。「好きなこと、やりたいこと、体験したいことが沢山あります。そのどれもが可能性に満ちているように思えて。」水泳も、バレーボールも(頭を使って)料理も、食事も、買い物も、編み物も、メイクも運転も(コンサートのため年間走行距離4万キロ)パソコンも、カメラも、絵も、歌もすべてを楽しそうにやっています。「私が生きるのに必要な力や喜びは、すべて神様が与えてくださいますので・・・。

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。・・・。」詩篇23篇


「神に受け入れられる信仰184」5月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、ユダヤ人6000人の命を救い、「東洋のシンドラー」と呼ばれた、戦前の外交官杉原千畝の信仰です。杉原千畝は、1900年(明治33年)岐阜県武儀郡(現・美濃市)に生まれました。名古屋市の瑞陵高校、早稲田大学教育学部英語科に進学し、本科をを中退しハルピン学院でロシア語を学びました。英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語に堪能な、杉原はその後外交官になり、満州赴任時代に、ロシア正教会にて、キリストを信じ洗礼を受けました。その後、ソ連および東ヨーロッパ担当として、リトアニア公使館で、働きました。当時、ナチスのヒトラーによる、ユダヤ人迫害で多くのユダヤ人が、杉原のリトアニアに逃れ、アメリカやカナダなどへ渡るビザを求めました。クリスチャンであった、杉原幸子夫人は、ユダヤ難民が、窓の外で、必死に、泣き叫びビザを求める姿を見て、旧約聖書のエレミヤ哀歌の言葉が突然心に浮かんだと述べています。「町のかどで、飢えて、息も絶えようとしている幼子のいのちのために、主に向かって両手を挙げよ。」杉原は人道上の理由と信仰上の愛ゆえに、当時の日本政府の命に反し、渡航ビザを書き続けました。最後には、ベルリンに移動する列車の中でも書き続け、「赦してください。もう、汽車がが走り出し、書くことができません。」その時、ユダヤ人たちは、涙を流し「スギハァラ、私たちは、決してあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ。」と叫び、この叫んだ人たちが杉原を見つけ出し、世界にこの愛の行為を知らしめたのです。このビザにより救われたユダヤ人は、6000人にのぼると言われています。日本政府の規則を破ったとのことで、杉原は外務省の職を罷免されたことが、2000年外務大臣、河野洋平のもとで、ようやく回復されました。2011年の東北大震災の時には、世界中のユダヤ人が杉原の祖国を救おうと、多くの義援金や物質、医療チーム、災害救助チームを世界に先駆けて、日本に派遣してくれました。杉原千畝は、イスラエルより、「諸国民の正義の人」賞をうけ、イスラエルを始め、世界の多くの人々に、愛の大切さを語り、尊敬されています。「愛はすべてを完全に結ぶ帯である。」コロサイ3:14


「神に受け入れられる信仰183」5月13日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、1960~70年代、キリスト教会において、ベストセラーとして、多くの人に信仰の本質を提示した「たとえそうでなくても」の著者、安利淑の信仰です。安利淑は、戦前日本が、朝鮮半島を支配して、朝鮮の教会やクリスチャンに、神道信仰を強制した時に、断固として拒否し投獄されたのです。聖書で、ダニエルと3人のヘブルの青年は、金の像を拝まないなら、火の燃えさかる炉に、投げ入れると迫ったネブカデネザル王に対して、信仰により断固として金の像(偶像)を拝みませんと告白しました。「・・・私たちの仕えている神は、その火の燃える炉から、私たちを救い出すことができます。また、王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず。またあなたの立てた金の像を拝みません。」ダニエル3:17-18 本物の信仰は、試練や迫害でテストされます。イエスは言われました。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」マタイ5:10 安利淑の信仰とは、迫害に打ち勝った勝利の信仰です。


「神に受け入れられる信仰182」5月12日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、松江バンドのバックストンやパゼット・ウイルクスの伝道を通してキリストの救いを受けた、戦前のカリスマ的リバイバリスト、柘植不知人の信仰です。柘植不知人は、1873年広島県で、医者の家庭に長男として生まれました。早くして父を亡くし困難な青年時代を過ごしましたが、40才の時ウィルクスの説教を聞き、救いの恵みを受けました。53才で天に召され、信仰生活はわずか13年でしたが、ホーリネスリバイバルの中心的役割を果たしました。柘植不知人の特徴は、聖霊のバプテスマを体験した火のような燃える信仰でした。伝道に命を懸け、しるしと奇跡が伴い、多くの癒しがなされました。

日本伝道隊の働きから、「活水の群れ」を起こし、ペンテコステの働きである、使徒行伝のような福音でした。彼の時間は短い働きでしたが、中身の濃い伝道生涯でした。

「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人になります。」使徒1:8 柘植不知人は、聖霊によるキリストの証人でした。

 


「神に受け入れられる信仰181」5月11日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「北国に駆ける愛」の主人公で、逆境を越え、真実に生きる夫婦の愛を全うされた三橋萬利・幸子夫妻の信仰です。三橋萬利・幸子夫妻は札幌キリスト福音館を創設された牧師夫妻です。夫の三橋萬利師の母親は、1931年(昭和6年)28才で、3歳の子供を残して天に召されました。しかも子供は小児麻痺で歩くこともできず「この子をよろしく頼みます。」との言葉を残して召されたのです。三橋師は身体障がい者としての辛い青少年時代を送りましたが、21才の時、真の救い主でありイエス・キリストを信じて洗礼を受けました。彼の霊と魂は変えられ、体は不自由でしたが救いの喜びは、日々満ち溢れる者となりました。そして、運命の出会いである山本(旧姓)幸子姉と出会い。幾多の困難を乗り越え結婚に導かれました。二人の結婚生活に対し、氷点の作者である三浦綾子氏は次にように紹介しています。「小児麻痺で体の不自由な先生、婦人に背負われねば、講壇に上ることのできない先生。しかし、その体の不自由を、決して卑下もしなければ隠しもしない先生、夫人もまた、夫の体の不自由をいささかも恥じることがない。このご夫妻は全く対等な立場でお互いを尊敬し、愛し合っておられる。それは、共に主にある一人の人間としての神の前にある生き方から生まれてくる姿勢なのだ。」と述べています。二人の結んだ信仰と愛の実は、札幌キリスト福音館という、日本有数の教会となり、多くの人々が救われ、日本のみならず、世界の多くの国にも出かけ福音を宣べ伝えました。また、二人の息子は牧師となり、両親の信仰を継承し、神と人々に仕えています。「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」Ⅰコリント13:13

「これらいっさいのものの上に愛を加えなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯である。」コロサイ3:14 三橋夫妻が持った信仰は愛の信仰です。

 


「神に受け入れられる信仰180」5月10日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、ナチスのヒトラーに反対し、抵抗運動を起こし、ナチスに逮捕されフロッセンビュルク強制収容所で、絞首刑で刑死し、殉教したドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの信仰です。 ボンヘッファーは、1906年ドイツ帝国プロイセン王国に生まれました。父は精神科医、母は教師で、富裕な教養市民階層の家庭で育ちました。父親は知識では優れた医師でしたが、信仰は、敬虔な母親から受けた影響が大でした。当時のドイツは第一次世界大戦で、敗北し経済的にも精神的にも大変困難な時代でした。1933年、ナチスのヒトラーが宰相になり、「アーリア条項」の適用によりゲルマン民族の優位性を掲げ、ユダヤ人や、有色人種に対する迫害や粛清が行われました。ボンヘッファーは、キリスト信仰によりヒトラーへの抵抗運動の中心人物になりました。「人間に従うよりは、神に従うべきである。」使徒5:29と死も恐れず神に従い、殉教者となったのです。彼の兄クラウス、義兄の3人、ドホナーニ、カナリス、リューディガーも銃殺されました。ボンヘッファーは、「剣を取る者は皆、剣によって滅びる。」しかし、彼の生きた時代には隣人(迫害を受けている多くのユダヤ人や人々)のためにその罪を自ら引き受ける者が必要と考え、ヒトラー暗殺計画に加わり、その発覚により絞首刑にされました。ボンヘッファーは、全ての人々は、平等であり、「神を受け入れたものは、信仰によりキリストの共同体である。」彼の信仰は、民族や肌の色などによらず「キリストにより、一つである。」と信仰の本質に目を注ぎ、死んだ後も多くの教会、クリスチャンの精神的支柱になり、今日に至っています。


「神に受け入れられる信仰179」5月8日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、名古屋一麦教会の創設牧師、松原和人師の信仰です。松原師は1905年(明治38年)岐阜県揖斐郡に生まれました。旧制大垣中学4年生の時美濃ミッション大垣教会のバイブルクラスに出席しました。京都大学農学部に入学し3年生の時、キリストを信じ、その後25才で洗礼を受けました。1941年(昭和16年)名古屋市で「一麦教会」を設立しました。その信仰は、「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:24 み言葉をそのまま実践した信仰でした。「・・・私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって生きているのである。」ガラテヤ2:19-20

松原師は、大きな病を何度も体験し、沢山の困難や試練を乗り越え、一粒の麦として、古い自分に死んで、キリストの新しい命に生きたのです。松原和人師の蒔いた信仰の種は、「一麦の群れ」として、日本の各地に教会が増え広がり、今も多くの人々が救われています。


「神に受け入れられる信仰178」5月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、京都福音教会の創設者である藤林邦夫牧師の信仰です。藤林師は、若くして肺結核を患い失望の人生の中で、キリストの福音を聞き劇的な救いと癒しを受けました。その後、神に献身し牧師となりました。その信仰は聖霊とみ言葉にのみ頼り純粋な福音を伝えました。藤林師は、病いのため、この世の高等教育は受けられませんでしたが、聖書の知識や世に対する預言的なメッセージや教えは、卓越し多くの人々を救いに導きました。弟子の中には、京都大学生を始め、優秀な大学生や青年がたくさん導かれ、現在も各地で多くの器が主の働き人になっています。京都福音教会と京都中央チャペルは京都市にあり力強く前進しています。藤林師は著作も多く残されました。「幸福の天開く」「説教集ーしわがれこえ」「テモテくん」「わが師を越えて」などです。私は、「わが師を越えて=藤林邦夫記念集」に、56才で、天に凱旋された、先生の想い出を投稿させていただく恵みにあずかりました。先生の遺言とも思われる多くの方々からの証が記され、先生の偉大さを痛感しています。藤林邦夫師は、今も生きて語っておられます。「主は生きておられる。ベストを尽くして主に仕えよと。」

「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」ヘブル12:2


「神に受け入れられる信仰177」5月6日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、日本宣教に、命を懸けた韓国オンヌリ教会牧師、ハ・ヨンジョの信仰です。ハ牧師は韓国芸能人教会を、立ち上げた後、肝硬変で体調が悪化し、芸能人教会を辞任後、イギリスで多くの教会、宣教団体、学校に接し、その経験を活かして帰国後、1985年オンヌリ教会を設立しました。韓国だけでなく、多くの国々に宣教師を遣わす、使徒の働きを文字通り、現在の時代に聖霊に満たされて行いました。ハ牧師は、7回の肝臓がん手術を受け、透析を行いながらも、主の働きを全うしました。ハ牧師の信仰はキリストの愛に基づく信仰です。いつも柔和な笑顔のやさしさの中に、どんな困難にもめげず、力強い確信に満ちた信仰でした。愛は、すべてのものにまさります。日本を愛し、ラブ・ソナタを始め、CGNTV(テレビ伝道)多くの著作を通して、日本に福音を伝えてくださいました。ハ・ヨンジョ師は、ラブ・ソナタのメインスピーカーでしたが、日本で透析をしながら働かれました。現在も、オンヌリ教会の働きは、継続しています。ハ牧師は一昨年、65才で、天に召されました。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。」Ⅰコリント13:13 


「神に受け入れられる信仰176」5月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、世界最大のプロテスタント教会、ヨイド純福音教会の創設者チョー・ヨンギ牧師の信仰です。チョー師は1936年、韓国の慶尚南道で生まれました。17才の時肺結核を患い、死を覚悟する毎日でしたが、姉の友人を通してイエス・キリストの福音を聞き、信じ奇跡的に癒されました。20才で「純福音神学校」に、入学し、後に義理の母となる崔子実牧師と出会い、卒業後開拓伝道を始め、貧しい人や病の人などを中心に多くの人が救われ、病が癒され、数々の奇跡が起こされ、聖霊の働きの教会となりました。その後、ヨイド島にヨイド純福音教会を立ち上げ、最大78万人の信徒を抱える、世界最大の教会となりました。その特徴は純福音に現わされているように、十字架と復活の福音、聖書そのままの福音、聖霊によりキリストを伝えることです。初代教会の使徒たちが、「私たちは祈りとみ言葉に専念する。」と語ったそのままの福音です。日本のためにも、重荷を持ち、長い間に渡り、「1千万救霊」のビジョンでキリストの愛を伝えてくださいました。日本は、世界の多くの教会から愛され、祈られ続けています。やがて、日本にリバイバルの波が起こるでしょう。その時には日本から、受けた多くの愛を流し出す国、教会となると信じます。

「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者はさいわいである。」ヨハネ20:29 チョー・ヨンギ師の信仰は、見ずして信じる創造信仰でした。


「神に受け入れられる信仰175」5月4日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、中国の地下教会で、ウオッチマン・ニーとともに、その信仰の土台を築き、天に召された王明道(ワンミンタオ)の信仰です。ワンミンタオは中国共産党により、23年間の牢獄生活を送りました。奥様も同様でした。しかし、このような迫害にもかかわらず、彼の信仰は、へブル書11章に出てくる信仰の聖徒のように、弱ることはありませんでした。ワンミンタオは、自身の告白で、聖書も読むことが赦されない中、暗唱しているみ言葉を、何度も口ずさみ黙想し、また聖歌や讃美歌を心の中で歌い、共産主義の洗脳攻撃に勝利したと証しています。私は、1980年代、某宣教師と共に上海で軟禁状態のワンミンタオの家を訪問し、直接お会いし、交わることができました。その時の感動、感激は、今でも忘れることができません。小さな団地の三階で、とても貧しく質素な生活をしておられました。私は、日本から持参した京都の宇治茶と着ていたカーディガンを差し上げましたが、とても喜んでくださいました。当時の中国はとても貧しかったのです。彼と奥様は、とても深いしわが、刻まれたお顔でしたが、柔和でその目はとても清らかで熱いものを感じました。その後、間もなく天に召されたとのことを知りましたが、やがて天国で再会できると信じています。

「・・・死に至るまで忠実であれ。そうすればいのちの冠を与えよう。」ヨハネの黙示録2:10 王明道(ワンミンタオ)ご夫妻の蒔いた忠実な命がけの信仰の種は、今も中国の地下教会で多くの実を結んでいます。


「神に受け入れられる信仰174」5月3日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、日本が生んだ、リバイバリスト、巡回伝道者、牧師の滝元明の信仰です。滝元明は、1929年(昭和4年)愛知県に生まれました。19才の時に、キリストを信じ、洗礼を受けクリスチャンになりました。生まれ故郷の新城市で教会を立ち上げ、25才より日本各地に福音を伝える巡回伝道者になりました。滝元明が伝えた福音は、「天下にキリスト以外に救いはない。」聖書の十字架、復活をわかりやすく、シンプルにかつ熱く語りました。伝道と共に、教会のリバイバル運動(信仰復興)に力を入れ「リバイバルミッション」を組織し、田中政男と共にメインスピーカーとして神に用いられました。1993年には甲子園球場を三日間貸し切り、延べ15万人が出席しました。また、著作にも力を入れ「われ、土方なれど」「千代に至る祝福」「「平安を持つ秘訣」など多数に至っています。また、ある時期には、毎年の夏、軽井沢で皇太子ご夫妻(現上皇ご夫妻)と交わりの時を持たれました。家庭は、子供たちの多くが牧師、牧師夫人となり、今もキリストのしもべとして活躍しています。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15

福音を伝えることは、すべてのクリスチャン、教会の使命です。滝元明は、良き模範者です。


「神に受け入れられる信仰173」5月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、東北学院、宮城学院の創設者であり、牧師、教育者、横浜バンドの押川方義の信仰です。押川は1850年愛媛県松山にで、松山藩の武士家庭に生まれました。明治維新で松山城開城の時、藩命により、藩開設の洋学校、明教館で、英語を学びました。1871年に廃藩になったが、英語力に優れた押川方義は、横浜の宣教師たちのブラウン塾やバラ塾で英語を学びました。これは、宣教師たちが「神よ。日本を救い給え。」と必死で祈る姿に感動を覚えた結果であると言われています。バラ塾(横浜英語学校)からは、押川と共に、本田庸一(青山学院初期の院長)、植村正久など、優れた器が輩出されています。文豪の島崎藤村は、明治学院の学生の時、YMCAの夏期学校で押川に接し、その人となりを次のように述べています。「慷慨激越―世の不正や悪に対して、憤慨し感情を高ぶらせるようなこと」押方正義は、普段は温厚であったが、世の不正や悪には、断固として妥協せず、預言者のような義の器でした。神は、心が熱く、心の清い者を用いられます。

「・・・人は外の顔かたちを見、主その心を見る。」Ⅰサムエル記16:7

押方方義は、神に心を見られ、神に用いられた信仰の人でした。


「神に受け入れられる信仰173」5月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、夏期

「神に受け入れられる信仰172」4月30日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、横浜バンドの中心メンバーであり、牧師、伝道者、神学者、植村正久の信仰です。植村は、1858年(安政4年)江戸で生まれました。明治から大正にかけて、キリスト教会の四村と呼ばれリーダー的働きをしました。。(田村直臣、松村介石、内村鑑三、植村正久の四人)植村の特徴は教会中心の働きでした。現在に至る福音派と呼ばれるプロテスタント教会です。横浜バンドのブラウン塾で学び、バラや井深梶之介助らと共に伝道、教育、弟子育成に活躍しました。東北学院や明治学院などのミッションスクールの働きにも多く携わりました。気性は、非常に激しく、時として対立や神学論争なども起こしました。しかし、神は完璧な者を用いるのではなく、弱さや欠点があっても、陶器師が粘土を良き作品を造るように整えてくださるのです

「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」イザヤ64:8


「神に受け入れられる信仰171」4月29日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、三浦綾子の小説、「塩狩峠」の主人公、長野政雄の信仰です。長野政雄は1880年(明治13年)(名古屋市現・瑞穂区)に生まれました。長野は代々家は藩に仕えた身分でしたが、明治維新で家禄奉還し、父が3才の時死に、親戚にも裏切られ、全財産を失いました。13才で、名古屋監獄の給仕の職に就き、母と妹を養いました。17才の時、親友にクリスチャンがおり、悩んでいた長野正雄は教会に誘われキリストを信じ洗礼を受けました。18才で北海道に渡り札幌運輸事務所、旭川運輸事務所で働き、その勤勉さと仕事の熱心さを買われ、21才で庶務主任になりました。旭川六条教会で、信仰に励み日曜学校の初代校長に任命されました。明治42年2月28日、三浦綾子の小説に描かれている事件が実際に起こりました。塩狩峠で、最終尾の客車の連結器が外れ、塩狩峠を逆走し暴走し始めたのです。長野はハンドブレーキで、必死に客車を止めスピードは弱まりましたが、完全には止められず、このまま下り続けると急カーブで、脱線し大惨事になると判断した長野は、自らの体を車輪の下に投げ出し、命を捨てて車体を止め、人々を救ったのです。長野は、毎年遺言を新年に書き、懐には次のような文が残されていました。「余は諸兄姉が、余の永眠によりて、天父(神)に近づき感謝の真義を味あわれんことを祈る。」

「人がその友のために命を捨てること。これより大きな愛はない。」ヨハネ15:13

三浦綾子氏の「塩狩峠」をぜひお読みください。心よりお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰170」4月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、1956年より約45年間にわたり、大衆伝道者、巡回伝道者として、日本全国に福音を伝えた本田弘慈の信仰です。本田は1912年(明治45年)福井県丸岡に生まれました。17才の時、キリストを信じ洗礼を受けました。22才で沢村五郎が学長である関西聖書神学校に入学し卒業後、牧師となりました。終戦後、1947年より、神戸市湊川で本格的な伝道を始め、後に神戸中央教会を設立しました、本田弘慈は日本の救霊に燃え、本田クルーセード(後に日本福音クルーセードに改称)を設立し45年間、分かり易く、平易な言葉で聖書に忠実な、霊に燃えた福音を語りました。その結果多くの人々が救われ、献身して神の働き人も多く生まれました。いつも色紙に毛筆で「霊に燃え主に仕えよ」と書き、神の御用をした教会やクリスチャンにプレゼントされたのは有名です。本田のモットーは「神の御心」「聖書信仰」「宣教の前進」の三つでした。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15



「神に受け入れられる信仰169」4月27日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、牧師、宣教師、教師、キリスト教著作家の、アンドリュー・マーレ―の信仰です。マーレ―は、1828年、南アフリカで、オランダ改革派の宣教師の父と敬虔な信仰深い母との間に生まれ育ちました。兄と共に、スコットランドで初等教育から、大学まで学び、その後オランダで、最優秀と言われるユトレヒト大学で神学を学びました。彼は、南アフリカの教会で牧師をしながら、全アフリカの宣教活動に励み、宣教を「教会の究極のもの」と考えました。宣教、教育、牧会とともに、著作活動にも励み、多くの信仰良書を生み出しました。世界各国で、翻訳され、日本でも「キリストの御霊」「キリストにとどまれ」「キリストと共に」「祈りの一致」「絶えず祈りなさい」「肉なる生活」など多数あり、神学校教育、信仰の助けに用いられています。私自身、アンドリュー・マーレ―の著作で恵まれました。

彼の最大の特徴は、御霊と祈りによる信仰生活、すなわち御霊の実を結ぶことです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ガラテヤ5:22-23 御霊の実とはキリストの人格です。


「神に受け入れられる信仰168」4月26日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、牧師、伝道者、神学者で、聖書学舎(現・関西聖書神学校)の創設者である沢村五郎の信仰です。沢村五郎は1887年熊本市に生まれました。熊本中学校(現・県立熊本高校)の時キリストを信じ、卒業後、日本伝道隊聖書学校で、B・F・バックストン、パゼット・ウィルクスに師事しました。戦後は、日本イエス・キリスト教団の代表として、神に用いられました。著作の「大いなる救い」「聖書人物伝」は多くの神学校の教材、また、クリスチャンの伝道の証として用いられました。翻訳としては「アンドリュー・マーレ―のキリストの霊」などがあります。また、神学校の働きを通して、福音派を中心に多くの働き人を育てあげた、松江バンドの流れを汲む代表的牧師です。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それはあなたがたが行って実を結び、その実がいつまでも残るためである。」ヨハネ15:16 神はあなたも選び、実を結ぶ者として、用いられるのです。


「神に受け入れられる信仰167」4月24日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、明治初期、松江バンドで、B・F・バックストンと共に中心人物として活躍した宣教師、神学校教師のパゼット・ウィルクスの信仰です。ウィルクスは、1871年イギリスで生まれ、高校生の時、F・B・マイヤーを通してキリストを信じてクリスチャンになりました。その後オックスフォード大学で学び、1897年島根県松江市で、バックストンと共に伝道活動を始めました。日本伝道隊を組織し、多くの牧師や働き人を生み出し、横浜バンド、札幌バンド、熊本バンドと共に日本宣教、教会形成の土台、中心となりました。三谷種吉(多くの讃美歌や聖歌を作曲作詞した音楽伝道者)より、日本語を学び、わずか一年で日本語で説教ができたそうです。このことは、神への献身と共に、日本と、日本の人々への愛の現われでした。日本伝道隊からは、笹尾鉄三郎、竹田俊造、御牧硯太郎、三谷種吉、柘植不知人、安藤仲一などの著名な多くの働き人が起こされました。

「収穫は多いが働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。」マタイ9:37-38

日本には、多くの福音の種がまかれており、やがてリバイバルの収穫が訪れます。


「神に受け入れられる信仰166」4月23日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、20世紀初期の中国キリスト教会の指導者、ウォッチマン・ニーの信仰です。現在中国には8千万から1億人のクリスチャンがいると言われています。そのほとんどは、公認教会ではなく家の教会と言われる、地下教会の信者です。彼らの原点ともいわれる家の教会の流れを造ったのが、ウォッチマン・ニーです。彼は、最後の20年は中国共産党の迫害により牢獄で過ごし、殉教したと言われ、その生死は不明でした。ウォッチマン・ニーはメソジスト信仰の家庭に生まれ、17才で「天的地の教会」に属し、聖霊のリバイバルを体験しました。彼は「霊の解放」「正しい告白」「地方教会」など沢山の著作を残しています。そのすべてが、神との交わりの中で聖霊による啓示と神体験からくる信仰によるものでした。1922年から1952年に投獄されるまでの30年間は、命がけの伝道活動でした。彼が示した信仰は、現在の中国の家の教会に、一粒の麦として蒔かれ多くの実を結んでいます。ウォッチマン・ニー兄弟は、キリストの真の殉教者です。

「まことにまことにあなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちにいたるのです。」ヨハネ12:24-25

やがて天国でニー兄弟と会えるのが楽しみです。


「神に受け入れられる信仰165」4月22日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、日本のプロテスタント教会の草分けである横浜バンド、熊本バンド、札幌バンド、松江バンドのうち、熊本バンドのリーダー、L・L・ジョーンズの信仰です熊本バンドは1876年(明治9年)熊本城近くの花岡山で、熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師ジョーンズの影響の元、キリストを信じ、日本全土に福音を広めるビジョンのもとで、誓約を交わしました。その後、彼らの多くは新島襄の同志社英学校に移り、明治初期のキリスト教の中核となりました。ジョーンズと生徒たち、35名は1876年1月30日に花岡山で賛美歌を歌い、聖書朗読で神を礼拝したのち、「奉教趣意書」に自らの血で、サインし誓約したと言われています。彼らの多くは、士族出身で幕藩体制が崩れ、目標を失い生きる目的がなかった状態でした。しかし、キリストが希望となり救い主となり、彼らの多くが、牧師、教職、官公吏、政治家などになり、黎明期の日本を、信仰により導きました。ジョーンズは平信徒でしたが、敬虔な強い信仰で、熊本バンドのリーダーとして神に大きく用いられました。

「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」ゼカリヤ4:6


「神に受け入れられる信仰164」4月20日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、幕末から明治初期に日本にプロテスタント宣教を伝えたグイド・フルベッキの信仰です。フルベッキは宣教師、法学者、聖書翻訳者、教師として、多岐にわたり日本宣教に尽くしました。大隈重信(早稲田大学創設者)副島種臣、伊藤博文、大久保利通、大山巌、前島密、陸奥宗光など、明治政府の中心となった多くの政治家や軍人、教育者がフルベッキにより英語や世界情勢を学びました。大隈重信はフルベッキを師と仰ぎ早稲田大学では、フルベッキを建学の祖としてたたえています。彼は、最初に生まれた女の子の名前をエンマ・ジヤポニカ(日本)と命名するほど日本を愛しましたが、残念ながら生後二週間で天に召されました。明治政府の欧米視察団(岩倉具視を団長として岩倉使節団とも呼ばれている)には直前まで、フルベッキが岩倉使節団に助言を与えていたとの記録が残されています。東京大学の前身となった開成学校では、教師を務め生徒には後に首相や外相となった高橋是清や小村寿太郎などがいます。幕末から明治の日本の夜明けと言われた時期に、信仰深いフルベッキが多く関わっていたことは、ほとんど知られていません

日本で最初の本格的聖書である文語訳聖書翻訳では、中心人物として神に用いられました。

「・・・わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのである・・・」ヘブル12:1 日本には彼らの祈りと愛が、多く積まれています。


「神に受け入れられる信仰163」4月19日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、元浄土真宗の僧侶で、後に牧師となり「仏教からキリストへ」の著者である亀谷凌雲の信仰です。亀谷凌雲は、1888年(明治21年)富山県富山市に生まれました。家は代々続く浄土真宗の寺で、親鸞の直系である蓮如から18代目の末裔でした。東京帝国大学哲学科に在学中、キリスト教にも触れ、聖書を学び始めました。日曜日に、救世軍の集まりで山室軍平の「祈祷の力」という説教に感動し、在学中日曜の午後は教会に出席しました。卒業後北海道小樽の中学教師になり、北大総長の佐藤昌介や、小樽伝道で来道していた金森通倫の影響もあり、29才の時、仏教からキリストを信じて、洗礼を受けキリスト者になりました。近江兄弟社のウ”ォーリスとも親交があり、その後郷里の富山市で教会を開拓し、浄土真宗の根強い富山で生涯を神に献げ、伝道しました。亀谷は、「キリストは仏教の破壊者ではなく完成者である。」との信仰で神と人々に仕えました。

「信仰の創始者であり、完成者であるキリストから目を離さないでいなさい。」ヘブル12:2 キリストはすべての者の救い主です。


「神に受け入れられる信仰162」4月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、戦後二人目の総理大臣となった片山哲の信仰です。片山哲は1887年和歌山県田辺市に生まれました。東大法学部を卒業し、弁護士となり社会民衆党(旧社会党の前身)より政治家として活躍しました。クリスチャンであり日本基督教団富士見町教会会員でした。キリスト教的人権思想と社会民主主義を実選した代表的政治家です。西欧諸国に見られるキリスト教を土台とした社会の実現が目標でした。社会党右派で、河上丈太郎などとともに、戦後の混乱期を駆け抜けた政治家です。神は救われたクリスチャひとりびとりに使命を与えておられます。神と人を愛する心を持つ、政治家、事業家、医師、弁護士、教師、芸術家、スポーツ選手、技術者、サラリーマン、主婦など、すべての職業、世代、立場の人が必要です。それぞれが与えられた場所で、キリストの香りを放ちたいものです。キリストの心を持った政治家の出現を祈らずにはおれません。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである。」ヨハネ15:16

片山哲も政治家としてキリストの使命を果たした人物でした。


「神に受け入れられる信仰161」4月16日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、日本最初のプロテスタント教会の草分け、横浜バンドの中心宣教師、S・R・ブラウンの信仰です。ブラウンは1810年米国コネチカット州に生まれました。讃美歌作者の母、フィーベ・ブラウンの敬虔で強い信仰の影響のもとで育ちました。26才で、献身しユニオン神学校に入学し、28才で結婚し宣教の目的でマカオに行き、宣教師としての道を歩み始めました。1858年、48才で来日し、ヘボン、バラ、シモンズ、フルベッキらと共に横浜バンドと言われる宣教活動を行いました。

伝道と共に日本語の学習と聖書の和訳に努めました。ブラウン塾を開き、英語の学びと聖書の学びに力を入れました。ブラウン塾から横浜バンドが生まれ、後に明治学院に発展しました。彼は「一人のブラウンが伝道するよりも,十人のブラウンが伝道するほうが良い。」「伝道は急務である。」と語り、弟子教育に力を入れ、植村正久、押川正義、井深梶野助、本田庸一、奥野昌綱など、日本のキリスト教会、の初穂が生まれました。彼らの多くは、教育伝道に力を入れ明治学院、青山学院、東北学院、宮城学院などのミッションスクールの創始者となりました。また、聖書翻訳事業にも力を入れ、日本語聖書誕生の基ともなりました。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・また、わたしがあなたがたに命じていたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」マタイ28:19-20


「神に受け入れられる信仰160」4月15日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、ホーリネスリバイバル運動の中田重治より洗礼を受け、淀橋教会の二代目牧師として神に用いられた車田秋治の信仰です。車田秋治は1887年茨城県の農家の三男として生まれました。家の経済上の理由で中学校にも進学できませんでしたが、神に頼り、信仰による独学で英語をはじめ、多くの学びを習得し、米国の大学でも学びホーリネス聖書学院長やホーリネス教会の中心として働きました。中田重治とは、再臨問題で袂を分かちましたが、最後まで神と人々を愛し、神と人に仕えた生涯でした。ちなみに、私の義姉(兄の妻)の父は車田秋治の秩父伝道で救われクリスチャンとなり、その結果多くの親族も救われました。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間を取る漁師にしてあげよう。」マタイ4:19


「神に受け入れられる信仰159」4月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、玉川大学の創設者であり、教育家の小原國芳の信仰です。小原國芳は1887年鹿児島県川辺郡(現・南さつま市)に生まれました。幼い時に、母を亡くし家が没落した中、18才で鹿児島の教会でキリストを信じ、洗礼を受けました。

家が貧しい中、向学心に燃え、29才で京都帝国大学に入学し32才で卒業しました。卒業論文は「宗教による教育の救済」で、原稿用紙1500枚にもおよぶ、長文でした。その後、「全人教育」がモットーで成城学園、玉川学園、興亜工業大学(現・千葉工業大学)湘南学園などの創設に関わり現在の玉川大学が、存在します。

彼の理念を紹介します。「その国に住む、一人一人の人間が、どういう人であるかが、その国の価値と将来を決めるのである。・・・教育が人を造り、人が国を造り世界を造る。教育は、人生の最も重要な仕事の一つである。」

小原國芳は、キリストによる人づくり、「全人教育」に生涯を献げた人でした。

「わたしは、道であり、真理であり、命である。」ヨハネ14:6

 


「神に受け入れられる信仰158」4月13日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、インド・コルカタ(旧カルカッタ)の聖テレサと呼ばれ「神の愛の宣教者会」の創立者である、マザー・テレサの信仰です。彼女は1810年アルバニア人の母とルーマニア系のアルーマニア人の父親のもとに生まれました。父母共に信仰深いカトリック教徒でした。18才の時修道女会に入り、生涯,神に仕える者となりました。1929年(19才)から1947年まで、インドのコルカタの聖マリア学院で上流階級の子女に地理と歴史を教える教師でした。しかし、テレサは貧しいカルカッタ(コルカタ)の人々に思いを向け1948年よりスラム街にはいり、ホームレスの子供たちを中心に愛の宣教活動を始めました。1950年には「神の愛の宣教者会」を設立し、人種や身分、宗教や貧富の別なくすべての神を必要な人々に、愛の行動で仕えました。その行為は全世界で認められ、1979年には「ノーベル平和賞」を受賞しました。賞金の19万2000ドル(現レートで約2112万円)はすべてカルカッタの貧しい人々の必要に献げました。受賞のインタビューで「世界平和のために何をすべきですか。」と尋ねられると、シンプルな答えで「家に帰って家族を愛してください。」と語られました。

「わたしは、新しいいましめをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。」ヨハネ13:34-35 マザー・テレサは愛の実践者でした。


「神に受け入れられる信仰157」4月10日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、元聖路加国際病院院長で、文化功労者の日野原重明の信仰です。は、1911年山口県吉敷郡(現・山口市)に生まれました。父母ともに、キリスト教徒で、父は牧師の日野原善輔で、後に広島学院長もしております。

日野原重明は、医師として成人病を生活習慣病と命名したり、オウムのサリン中毒事件の際には、聖路加病院院長として、サリン被害者の救済に当たり640名の治療に当たり陣頭指揮を執りました。その結果、多くの人が救われました。一般病棟のベッドだけでなく、礼拝堂や廊下まで治療を受ける人があふれていました。 彼は、医療だけでなく、多くの講演活動や文化活動(音楽のオーケストラや聖歌隊活動など)などを通しても105才で、天に召されるまで現役の働きをいたしました。まさに生きるも主のため、死ぬことも人々の益のためでした。その背後には、幼少期の病弱な経験や、日航ハイジャック事件に遭遇したことがあげられますが、何よりも神と出会い、キリストの十字架による救いが第一と考えられます。

晩年は無報酬のボランティア活動に励み最後まで、キリストと共に歩み続けた生涯でした。「良くやった。よい忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実であったから、私はあなたに多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」マタイ25:21

彼は、天で多くの報いを受けていると思われます。

 


「神に受け入れられる信仰156」4月9日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、元サッカーブラジル代表で、日本のウ”ェルディ川崎(現・東京ウ”ェルディ)でプレーをしたビスマルクの信仰です。

彼は、得点ゴールを挙げた時に、必ず膝をつき神に祈りをささげました。この行為は当時、ブームを呼び大流行しましたが、この行為は単なるパフォーマンスではなく、心からの神への感謝の現われでした。

ビスマルクは、日本でサッカーをプレーする目的は、日本の人々に神の存在、キリストを知ってほしいのですと、常に語っていました。現在、日本でプレーする多くのスポーツ選手に、クリスチャンが多く存在するのは、神が日本に助け手を送り、日本の救いを願っている証しです。

「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。』ヨハネ4:35


「神に受け入れられる信仰155」4月8日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、タレント、黒柳徹子の母親であり、1987年NHK朝ドラ「チョッちゃん」の主人公、黒柳朝(ちょう)の信仰です。母親がミッションスクール宮城女学校(現・宮城学院中・高等学校)出身の影響もあり幼い時よりキリスト教文化に親しみ信仰を持ちました。47才の時鎌倉雪の下教会員となりました。

夫は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)の首席バイオリストの黒柳守綱でした。

徹子が幼い時、発達障害(ADHD)があるとの診断がなされましたが、母の黒柳朝は、「潜在的な基礎能力」を引き出し、高めるリトミック教育のトモエ学園に徹子を入学させました。

これは、子供の良い面や潜在的な能力を引き出す働きで、今日の黒柳徹子が存在するのはお母さんである朝(ちょう)の愛と信仰によるものと思われます。朝ドラの「チョッちゃん」は、多くの人々に感動を与えるとともに、子育てで悩んでいる母親たちに勇気と励ましを与えました。「・・・あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33

チョッちゃん(黒柳朝)は、神の力で、何時でも明るく、前向きに、良いことを信じて生きた女性でした。


「神に受け入れられる信仰154」4月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、その愛くるしい笑顔から、「札幌の恋人」と呼ばれ、大変な人気を生み、1972年札幌オリンピックのフィギュアスケートで銅メダルに輝いたジャネット・リンの信仰です。彼女は金メダルの最有力候補でしたが、本番のスケート演技で転倒して銅メダルでした。

しかし、最後まで笑顔を絶やさず滑り続け、多くの人々に感動と勇気を与えました。彼女の愛くるしい笑顔は神を信じる信仰から生まれたものでした。ジャネット・リンが選手村の壁に書き残したサイン(落書き)には「Peace  and Love」と書かれていましたが、消されてしまいました。後に彼女が、再来日した時のサインには「Peace、Love+Life」と書きました。彼女の受けた本当の金メダルは、キリストを信じて受けた「平和と愛と命」でした。

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で、一番すぐれているのは愛です。」Ⅰコリント13:13

いつも、どんなときにも笑顔で、平安と愛と神のいのちで満ち満ちている人は人生の金メダリストです。

 

 

 


「神に受け入れられる信仰153」4月6日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、詩人で童謡作家、三木露風の信仰です。三木露風は童謡「赤とんぼ」の作詞者として有名です。そのほかの童謡の作詞には「かっこう」「十五夜」「秋の夜」などがあります。

 露風は1989年(明治22年)兵庫県(たつの市)で生まれました。5才の時両親が離婚し、祖父のもとに引き取られ苦しく寂しい幼少期を過ごしました。

33才の時、キリストを信じ洗礼を受けクリスチャンとなり、キリスト信仰に基づく詩や文章を書くようになりました。「赤とんぼ」は、露風の幼い頃の寂しさや境遇の気持ちを綴ったものと言われています。そこには、キリストの十字架の愛の中に、とどまる自身の姿を、赤とんぼに置き換えているように思われます。

「夕焼け小焼けの 赤とんぼ、負われてみたのは いつの日か 山の畑の 桑の実を 小かごに摘んだは 幻か 十五でねえやは 嫁に行き お里の便りも 絶え果てた 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 止まっているよ 竿の先」

幼い時、両親から離れ、世話をしてくれていた、母親代わりに慕っていた姐やも、お嫁に行ってしまい、孤独の中で赤とんぼが、自らと重なり、信仰を持った露風は、竿の先が十字架のもとに安息を受けた自分と表現したと思われます。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:26(口語訳聖書)

どのような重荷も、悩みも、孤独もイエス・キリストのもとに来るとき、人生の安息と平安が与えれます。三木露風は「赤とんぼ」でそのことを歌っています。


「神に受け入れられる信仰152」4月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」へブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、ドライクリーニング白洋舎の創設者、五十嵐健治の信仰です。五十嵐健治は1877年新潟県に生まれます。自由党の県会議員の息子として生まれましたが、両親の離婚に伴い五十嵐家の養子になりました。シベリヤ時代、重労働のタコ部屋から脱走し、北海道へ渡る途中、旅商人より福音を聞き、キリストを信じ洗礼を受けました。三越に勤務するが、日曜礼拝を第一に守るため退社します。ドライクリーニング白洋舎設立し、信仰第一の経営を行いました。聖書を1日1章読む、一章会を提唱したり、1921年には、日本プロテスタント最初の宣教師、乗松雅休の遺体を宣教地の韓国水原へ運び葬りました。白洋舎の多摩川工場内には教会堂も建設して、毎週礼拝をおこない、信仰の普及に努めました。

1956年には、病床の堀田綾子(三浦綾子)を尋ね、信仰に導く手助けをいたしました。

三浦綾子は後に五十嵐健治の伝記「夕あり朝あり」を執筆しています。

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ1:21

五十嵐健治の生涯は、まさにキリストと共に歩んだ生涯でした。