「助け主なる聖霊様24」8月6日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊なる神は全能なるお方です。イエスの母となるマリヤは、み使いがメシヤ誕生のお告げをされたとき、「どうしてそのようなことが起こりうるでしょう。私はまだ、結婚もしていませんのに。」と答えました。するとみ使いは、答えて言いました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。・・・神にとって不可能なことはありません。」
マリヤは言いました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」マリヤは全能なる聖霊を信じたのです。
神に不可能はありません。天地の創造者なる神は、すべてのものを治めておられます。
今、新型コロナウイルス感染が、全世界に蔓延し、ますます拡大しています。人の目、思いには、「なぜ、どうして」と多くの不安や疑問がありますが、すべてを統治しておられる神に委ねるならば平安です。嵐の中にも、暗い世にも全能者なるお方が存在しています。
ともに祈りましょう。「コロナウイルスを終息させてください。そして、すべての人の心の目を開いてくださいと。主よ。来たりませ。」
「助け主聖霊様23」8月5日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊なる神は、目には見えませんがいつもともにおられる偏在の神です。
”私はあなたの御霊から離れてどこへ行けましょう。私はあなたの御霊を離れて、どこへのがれましょうたとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。たとい私がおお、やみよ。私をおおえ。私の周りの光よ。夜となれ。」と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。”詩篇139:7-12
これは、詩篇の中で、ダビデが歌った言葉ですが。御霊なる神はどこにでもおられるお方と述べています。御霊は人格と能力をお持ちのお方です。神を求め、信じる者とともに存在してくださいます。どこでも、いつでも、どんな状況下でも、共におられます。なんと素晴らしいことでは、ないでしょうか。ゆえに使徒パウロは告白しています。「神がわたしの味方であるならば、誰がわたしに敵し得ようか。」
あなたの人生に、御霊なる神をお迎えください。神の御名により祝福いたします。アーメン。
「助け主聖霊様22」 8月4日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日より聖霊の御性質についてお語りします。詩篇139:1-6のみ言葉です。
「主よ。あなたは私を探り、わたしを知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、わたしの思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、わたしの道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ。あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」
神は全知なるお方です。あなたの過去、現在、将来をすべてご存じです。今あなたが置かれている状況も、これから後の状況も、また心の思いもすべてご存じです。このお方はすべてを知るだけではなく、神を信じ、従う者に、最善をなしてくださいます。目には見えませんが、聖霊様はいつももあなたの良き助け主です。そして、あなたとあなたに関わる人々、働き、必要に対してもよき助け、導きをなさるでしょう。
聖霊様とともに今日も、明日もともに歩みましょう。レッツゴー聖霊様です。
「助け主聖霊様21」 8月3日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊は預言の霊です。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言をする。」使徒2:17-18
この言葉は、最初の聖霊降臨の時、ペテロが預言者ヨエルの言葉を引用したものです。聖霊さまに満たされた特徴は、神の言葉(預言)が与えられ、その言葉は夢と幻です。即ち、神より与えられるビジョンと希望の言葉、思いです。聖霊様は、どんな困難な状況でも、希望やビジョンを与えてくださいます。「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛です。」Ⅰコリント13:13
この世のもの、人間から出たものの、多くは、シャボン玉のようにはかなく消えていきます。しかし、神が与えた、希望やビジョンは。いつまでも存続し、やがて実現の実を結びます。預言とは神の言葉を預かることです。ぜひ、あなたの人生に、聖霊より与えられる神の言葉、預言の霊をいただいてください。神の御名で祝福してお祈りいたします。
「助け主なる聖霊様20」 8月1日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
今回は聖霊の結ぶ実について語ります。聖書の中には多くの結ぶ実が、記されています。ぶどう、オリーブ、イチジク、ざくろ、りんご、なつめやし、などです。聖霊も豊かな実を結びます。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ガラテヤ5:22
ここで結ぶ聖霊の実は、霊と心の内面に結ぶもので、その人の品性、人格を形成します。聖霊に満たされ続けるならば、必ず御霊の実が結ばれてきます。あなたにとってどの実が最も必要でしょうか。
「木が良ければ、その実もよいとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良しあしはその実によって知られるからです。」マタイ12:33 キリストという御方につながり、聖霊との交わりを持ち続けるならば、良き実である御霊の実が、あなた自身を形造ります。
重ねて申します。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ハレルヤ!
「助け主なる聖霊様19」 7月31日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊は、象徴ではありませんが、現われとして用いられる響き(音、声)について語ります。
”五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば(異言)で話し出した。”使徒2:1-4
これは最初の聖霊のバプテスマの注ぎであり、初代教会の誕生です。ここで聖霊の現われが象徴的にみられます。風、響き(音、声)、炎、他国の言葉(異言)です。聖霊が満ちて神の御業が現われるときに3つの響き(音、声)が必要です。第一に祈りの声、第二に賛美の声、第三に福音の声です。これらの響きのある所に聖霊の満たしがあり、聖霊の満ち溢れた時に祈りと賛美、福音の響きがとどろくのです。
日本のクリスチャン人口は、1%にも足りませんが、聖霊の響きが満ちるとき、神のリバイバルの御業が起こるのです。エリヤが3年6か月も雨が降らない日照りの時に、祈りの声を上げ続けた結果、大雨になりました。パウロとシラスが獄中から、祈りと賛美の声を上げ続けた結果、獄からの解放がなされました。初代教会が、迫害の中でも、福音の声を上げ続けた結果、ローマ帝国中に福音が満たされ多くの人々が救いを受けました。
すべての教会、クリスチャンが声を上げて、聖霊の響きが、日本の国に満ち溢れますように切に祈り求めます。
「助け主なる聖霊様18」 7月30日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになりますその助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊は息です。新約聖書では、息は風と同じプニューマという言葉が使われ、霊とも受け取れます。創世記2:7で最初の人間誕生のみ言葉は、次のように語っています。
”その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きたものになった。"
ここで息とは霊を与えられたということです。最初の人アダムは罪を犯し、神の霊が失われ人は、肉体と霊魂の死を持つ身となりました。しかし、キリストにより新しい命が与えられるものとなりました。キリストは罪と死を十字架ですべて贖い、復活で新しい命を下さったのです。ユダヤ人の指導者ニコデモに対し、イエスは次のように言われました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」この後で「風(霊、息)は思いのままに吹き、・・・御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」ヨハネ3:3-8と語られました。
肉体誕生で、赤ちゃんが最初の産声を上げ、息をするように、霊的誕生において、神の聖霊によって人は生きたものとなるのです。新しい誕生(ボーンアゲイン)です。
ある人がこう言いました。一度だけ生まれた者は(肉体の誕生)二度死に(霊と肉体の死)二度生まれた者は(肉体と霊の誕生)一度だけ死ぬ。即ち、すべての人の肉体は死にますが、霊の息(聖霊)の誕生した者は、永遠の命を受けるのです。キリストの復活の命にあずかるのです。
「私は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死ぬことがなく永遠に生きる。あなたは、これを信じるか。」ぜひ、あなたも神の息である聖霊により、永遠に生きる者たなってください。神の祝福をお祈りしています。
「助け主なる聖霊様17」 7月29日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊は雲に象徴されています。イエスが三人の弟子を連れて、変貌山に登られたとき、イエスは人の子の姿ではなく、神の子としてのお姿に変わられました。”そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。”マタイ17:2
”彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ、彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。17:5
ここには、父なる神の御声、変貌された御子キリスト、光り輝く雲として臨在された聖霊なる神の、三位一体の神がおられます。多くの個所で聖霊の臨在として雲が現れました。聖霊なる神は、イスラエルの出エジプトの時、”主は、昼は途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んでいくためであった”。
出エジプト14:21
”その時、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。”
出エジプト40:34-35
ソロモンが神殿を完成した時にも、”祭司たちが聖所から出てきたとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。”Ⅰ列王8:10-11
では、この聖霊の臨在なる雲は、どのようにして臨まれるのでしょうか。幕屋において。朝に夕に香がたかれたとき、主の霊が臨まれたように、万民祭司とされた神の民が、祈りの香、賛美の香を捧げるとき、聖霊が臨み神の栄光と神の御業が現わされるのです。新型コロナ感染の問題の中にあっても、あなたのすべての生活の中に聖霊の雲、すなわち聖霊のご臨在と祝福が豊かにありますことをお祈りいたします。
「助け主なる聖霊様16」 7月28日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊の姿は、証印(しるし)です。
「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は、御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」エペソ1:13-14
信仰により、アブラハムの子孫とされた者には、多くの祝福の約束が与えられています。その一つが聖霊の祝福です。
「・・・その結果、私たちが信仰によって、約束の御霊を受けるためなのです。」ガラテヤ3:14
契約(神との約束)を受け取るには証印(しるし、サイン、ハンコ)が必要です。聖霊は御国を受け継ぐための証印であり、保証であると聖書は述べています。
また、信仰生活や福音を伝えるために、絶対的に必要な、愛と力、知恵と知識は聖霊の助け無しには不可能です。キリストは、復活の後、天に上げられるとき、「あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」この約束を信じた120名の者が50日後ペンテコステの日に聖霊に満たされたのです。その時のしるしは異言であり、驚くべき新しい力に満たされたのです。
この約束は信じ求めるすべての者に与えられます。御国の保証であり、力である聖霊の証印を受けられますこと、主イエスの聖名で、祝福しお祈りいたします。
「助け主なる聖霊様15」 7月27日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊は、油として現わされる、パラクレートスです。キリストとは油注がれた者という名前の意味が現わす通り、乙女マリヤを通して、聖霊による誕生から昇天に至るまで油注がれた御生涯でした。王、預言者、祭司の任職の時には、必ず油注ぎがなされました。これは、任命されるものに神の権威を与え、力を注ぎ、そのミニストリーに聖霊の祝福を与えるためです。
「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」使徒10:38
また、油にはエネルギー(動力)があり、力ある業や、不思議な奇跡など聖霊の働くところに、超自然的な神の御業がなされるのです。さらに、油は潤滑油として、互いの関係に一致を与え、愛と赦し、仕え合う関係を祝福されます。歴史上のリバイバルが起こった時と所では、必ず聖霊の油が注がれました。あなたの人生に聖霊の油注ぎの祝福をお祈りいたします。詳しくは、お近くのキリスト教会におでかけください。神が、あなたを待っておられます。
「助け主なる聖霊様14」 7月25日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊の御性質は、いろいろなものにたとえられていますが、本日は鳩です。イエス・キリストがバプテスマのヨハネより洗礼を受けられたとき、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来ら
れるのをご覧になった。マタイ3:16と記されています。聖霊は、鳩の性質をお持ちです。鳩は平和のシンボルです。
キリストは十字架につき、死なれ、預言通り三日目に復活されました。復活後に多くの人たちにお姿を現されましたが、弟子たちに現れた時、言われました。「平安(シャローム)があなた方にあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」ヨハネ20:21-22 聖霊は平和(平安)の霊です。鳩にたとえられているのは、この理由です。十字架にかけられる、前の夜、最後の晩餐の中で、12弟子にキリストは語られました。「助け主、すなわち、父がわたしに遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。私はあなたがたに平安(シャローム)を残します。わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません恐れてはなりません。」ヨハネ14:26-27
しかし、すべての弟子たちは十字架につけられたキリストを捨てて逃げてしまいました。そして、ローマやユダヤの権力を恐れて隠れていたのです。だが、約束通り聖霊のバプテスマを受けた120名は、大胆と平安の霊に満たされ福音宣教にすべてを献げました。聖霊は平安(平和)の実を結ばせてくださいます。このブログをご覧になられたすべての方に聖霊が鳩のように下られますことをお祈りしています。
「助け主なる聖霊様13」 7月24日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊のたとえは風です。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、その通りです。」ヨハネ3:8
日本で有名な、Ó牧師はこのところから聖霊に対する思いが与えられ、個人的にも、働きにも、教会にも驚くような祝福が注がれたと証しています。
聖霊は風(プニューマ)という言葉ですが、この言葉は霊と同じであり、霊なる聖霊様は人格の持ち主である。人格を持っておられる聖霊は単なる動力(エネルギー)ではなく、好む場所、好む人、好む事柄があり、このことから聖霊に好まれるようになるとき、聖霊の恵みと祝福が下ると証しています。風は肉体の目をもって見ることはできませんが確かに存在します。神は愛です。聖霊なる神は、互いに愛し合い、赦し合い、仕え合うところに豊かに働きます。あなた自身に、家庭に教会に、すべての生活の中に聖霊様を歓迎いたしましょう。「レッツゴー聖霊様ともに働いてください。」と告白しましょう。
日本の国に聖霊の風が、北から南まで、吹きまくるリバイバルを祈り待ち望みます。主の祝福をお祈りしています。
「助け主なる聖霊様12」 7月23日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日の聖霊は火です。バプテスマのヨハネの証言です。 「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私の後から来られる方は、私よりもさらに力のあるかたです。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。」
ここで火の特質を考えてみましょう。火はすべてのものを焼き尽くします。へブル12:29に「神は実に焼き尽くす火である。」と記されていますが、罪や汚れなどを聖霊はことごとく焼き尽くし取り除く清いお方です。次に聖霊の火なる助け主は、驚くべき動力(エネルギー)を与えてくださいます。ことを実行していくには、燃えたぎる情熱が必要です。
全世界に福音が伝えられるために、聖霊の力がそそがれました。約束の聖霊を待ち望んだわずか120名の者に聖霊の火が下り、当時のローマ帝国に、30年で福音が浸透し、ネロ皇帝の大迫害などにも屈せず、AD313年にはローマ帝国の国教になったのです。そして現在、全世界に福音が伝えられています。
聖霊の火が下るとき、驚くべき、神の御わざがなされます。今日の世界は、混とんとしています。多くの問題が山積し、多くの人々は、迷いと苦しみの中にあります。
預言者エリヤがバアルの預言者450名と戦った時、「火を持って答える神が真の神である。」Ⅱ列王記18:24と叫び、天からの火を呼び降ろしました。
今、世界中で祈りの香があげられています。「聖霊の火を持って、この社会を清め、統治してください。」と。この祈りは私の祈りでもあります。聖霊の祝福をお祈りしています。
「助け主なる聖霊様11」 7月22日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊は、聖書の中でいろいろなものにたとえられています。それは、そのものの特質や能力などが含まれているからです。本日より、数回にわたり聖霊様が何にたとえられ、どのようなお方であるかをお伝えいたします。第一回目は生ける水です。
ヨハネ福音書7章で、”イエスは立って大声で言われた。
「だれでも、渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。”
ここで、聖霊を生ける水の川と呼んでいます。水の性質と特徴が聖霊と似ているからです。水はすべての生き物にとって命そのものです。水がなければ、生きていくことができません。また、水はすべての汚れを洗い清めることができます。人生における罪や、この世の汚れから、十字架の血潮とともに働いて、すべてを洗い清めてくださるのです。また水は驚くべき力を含んでいます。大量の水が勢いよく流れ下るときの破壊力は驚くべき力です。九州地方での豪雨災害は水の力がいかに大きいかを、目の当たりに見せつけました。山を削り、大きな石と大量の土砂をも流れさせました。
イエスは言われました。「しかし、聖霊があなた方に下るとき、あなた方は、力を受けて、・・・地の果てまで私の証人となる。」使徒1:8 ここで言われる力とは、ドナミス(ダイナマイトの原語)です。聖霊の水は、すべての罪汚れ、困難や問題を押し流し、吹き飛ばす力があるのです。
ここで言われた聖書とは、旧約聖書のことですが、新旧問わず、聖書の中には、生ける水である聖霊が、数多く記されています。詳しくは、お近くのキリスト教会にお出かけください。
聖霊に満たされ、聖霊とともに歩む生活こそ、勝利と祝福に満ちた幸いな人生です。あなたへの上に、聖霊の祝福と恵みをお祈りしています。
「助け主なる聖霊様10」 7月21日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊の支配する国とはどのようなところでしょうか。
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」
ローマ14:17
神が存在する国、すなわち聖霊様の統治するところには、喜びがあるのです。
キリストの十字架を通して与えられる救いの喜び、イエス・キリストがともにおられるという臨在の喜び、すべての問題や困難に打ち勝つ勝利の喜び、互いに愛し愛される喜び、赦し赦される喜び、永遠の御国に入る約束が与えられている喜び、神が与えられる喜びは無限です。
これらの喜びははすべて聖霊の助けと祝福によるものです。マケドニア地方にある教会は多くの困難がありました。しかし、これらの問題の中でも彼らの喜びは、満ち溢れ洪水のようにあふれ出たのです。長い人生に問題や困難はつきものです。しかし、聖書は語ります。
「いつも主にあって喜びなさい。繰り返し言うが喜びなさい。」ピリピ4:4
このブログをご覧のあなたの上に、聖霊の喜びが、満ち溢れますことをお祈りしています。
「助け主なる聖霊様9」 7月18日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
人生の勝利は神を信じて歩むことであり、その信仰生活の最大の祝福は聖霊に満たされることです。
「酒によってはいけません。そこには放蕩があるからです御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」エペソ6:18₋21
御霊に満たされた生活とは、愛と喜び、賛美と感謝に満ち溢れた歩みの生活です。
聖書は「御霊に満たされなさい。」と命令形で書かれています。自動車保険には損害賠償強制保険と任意保険の二種類があります。エペソ人への手紙を書いたパウロは、御霊に満たされても満たされないでもよいというような、任意のことではなく、何としても御霊に満たされよと強く命じたのです。しかも原文では「満たされ続けなさい。」とあります。
その理由は、助け主なる聖霊様の御性質と、驚くべき能力が与えられるからです。
「御霊の実(性質)は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
ガラテヤ5:22-23
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなた方は力(ドナミス➡ダイナマイトの原語)を受けます。」使徒1:8
聖霊こそ、最大、最高、最良の助け主です。
あなたが、パラクレートス(助け主)なる聖霊と共に歩まれますことを、お祈りしています。
「助け主なる聖霊様8」 7月17日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」ヨハネ14:16
祈り求める人たちに与えられる聖霊 ルカ11:7-13
イエスはたとえ話を通して、真理をわかりやすく解き明かされます。
この個所では、最も必要なものと最も良きものは、何かを語っておられます。それは、聖霊です。
友人のためにパンを3つかしてくださいと頼み込んだ人の話。パンは、人間が生きていくために欠かすことのない食物です。パン3つとは、霊と心と肉体の必要と考えてみましょう。
聖霊は、これらの必要をすべて満たされるお方です。聖霊を必要と認め、祈り求める人に聖霊を賜らないことがあろうかといわれます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、探す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」有名な求める祈りの三段階です。
次に子供が父親に魚(祝福の象徴)を求めるのに、蛇(呪いの象徴)を与えるだろうか。卵(命の象徴)を求めるのにさそり(死の象徴)を与えるだろうか。悪い者でも自分の子どもには、良いものを与えるのに、まして天の良き父なる神は、最も良きもの聖霊を下さらないことがあろうかと、イエスは重ねて語られました。
神から創造された人間にとって、最も良きものであり、最も必要な者は聖霊様です。あなたの人生に聖霊様をお迎えして幸いな満たされた者になってください。祝福をお祈りします。
「助け主なる聖霊様7」 7月15日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊は、祈りの霊です。祈りは霊の呼吸であり命です。神に祈りを献げ、人のためにとりなし、サタンに立ち向かうのが祈りです。本日は、とりなしを助けてくださる聖霊様を取り上げます。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。わたしたちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り極める方は、御霊の思いが何かを良く知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみ心に従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」
ローマ8:26-27
あなたが、家族や友人、国や世界の必要、病気の人や問題を抱えている人たちのために、とりなし、お祈りするとき、愛と情熱、知恵と力を注いで下さるお方は聖霊様です。
御霊なる神は、何が必要であるのか、すべての事柄の本質、極みまですべてご存じであり、必要のための力をお持ちです。聖霊とともに、考え、歩む人生こそ、勝利の人生です。
聖霊様の祝福をお祈りしています。
「助け主なる聖霊様6」 7月14日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
パラクレートスなる聖霊は、栄光の御霊と呼ばれています。神様は、すべてのものを人に与えておられますが、栄光だけは渡さないと言われます。人が神の栄光の場に立つとき、それを神は退けられます。サタンは、神の栄光の地位に立とうとして高慢になり、地の奥深き所(陰府)に落とされました。
イエスは言われました。「御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」ヨハネ16:14
聖霊に満たされた特徴は、すべての栄光をイエスにお返して、自らはキリストがそうであったように、低く低くへりくだることです。神は、低くなるものを高く引き上げてくださいます。
ある人が幸せとは、仕え合うこと、即ち「仕(し)合わせ」と呼びました。
今、世界において「互いに仕え合い、愛し合うこと」が求められています。神を栄光の御座にお迎えし、人が低くされることです。このことを、本当の意味でなされるのは聖霊様ご自身です。聖霊様を、心のうちに、家庭に、教会に、社会に歓迎しましょう。
聖霊様今日も、明日も主権をとって、すべてをお導きください。これはわたしの心からの祈りです。
「助け主なる聖霊様5」 7月12日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
聖霊は、人間の持つ最大の問題である罪に対しての解決と勝利を与えてくださいます。
「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らが私を信じないからです。」ヨハネ16:8-9
神の形に創造されたにもかかわらず、罪を犯した人間は、神と分離し、霊の世界に無知なものとなりました。「義人はいない。一人もいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人は一人もいない。」ローマ3:10-12
「すべての人は、罪を犯したので神の栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:23₋24
聖霊様は助け主です。自分が罪びとであり、罪の支払う報酬が、永遠の滅びであることを示されます。それと同時にキリストの十字架を通しての救いの道も示してくださいます。詳しいことは、お近くの教会にお出かけください。人生における最大の祝福は罪赦された救いです。罪赦された者が、人生の勝利を受けたその人です。
「助け主なる聖霊様4」 7月10日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
本日は証人として助けを与えてくださる聖霊様を紹介します。
イエスは弟子たちに次のように語られました。「人々に捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただそのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなた方ではなく聖霊です。」マルコ13:11
イエスの御霊は証しの霊です。聖霊により、人々に福音を語るとき、キリストの愛の証人になります。
またある時は力と知恵に満ちた証人になります。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人になります。」使徒の働き1:8
このように聖霊は多くのキリストの証人を生み出し、助け用いて全世界に福音が広まったのです。
過去も、現在も、そして将来も聖霊はキリストの証の霊として働き続けてくださいます。
日本中に聖霊の証しが、満ち溢れ、キリストの救いが与えられることを願ってやみません。
最後にキリストの大宣教命令をお伝えします。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15
「助け主なる聖霊様3」 7月9日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
パラクレートス(聖霊=助け主)なるお方は、最大、最高、最良の教師です。では何を教えてくださるのでしょうか。
第一に、神のみ言葉である聖書の真理を教えてくださいます。聖書はあらゆる人生の手引書であります。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」マタイ4:4
第二にこの世だけでなく、永遠に対して教えてくださいます。この世の命は一時的ですが、霊の命は永遠です。
第三に救い主イエス・キリストについてです。キリストは神であられるのに人間として生まれ、生活し、十字架にかかりすべての人の罪の身代わりとなられました。しかし、死んだ後、預言されたとおり、三日目に蘇られました。「御霊によらなければ、だれもイエスを主と告白することができない。」Ⅰコリント12:3とあります。
神も聖書も罪も聖霊の助けなしに、本当には理解できません。人の心は罪によって、鈍く麻痺しています。しかし助け主なる聖霊は、心の目、霊の目を開いて、くださいます。
人生におけるすべての歩みを「これが道だ、これに歩め。」教え導いてくださるのです。
このような素晴らしい教師とともに歩まれることをお勧めします。
「助け主なる聖霊様2」 7月7日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるのです。その方は真理の御霊です。」
ヨハネ14:16
助け主なる聖霊は御性質を持つお方です。物質には、心や霊という性質は存在しません。人には、それぞれ人格という性質が存在します。同様に神ご自身であ聖霊なる神は、愛という神格(ペルソナ)をお持ちです。「・・・希望は失望に終わりません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5:5
人間の持つ愛には限界があります。自分の子どもだから愛する、性格が合うから愛する、利害が一致するから愛するなどなど条件がつきものです。しかし神の下さる愛は、無条件であり、無限であり、永遠の愛です。そして犠牲と行動の伴う生きた愛です。このような神様からの愛を聖霊は注いでくださいます。人生は戦いであり、多くの問題や試練が襲ってきます。この戦いに勝利する最大の力が愛の力です。聖書のみ言葉に次のような愛の言葉があります。最後にこの愛の言葉で、締めくくります。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は、決して耐えることがありません。」コリント人への手紙13:4-8
「助け主なる聖霊様」 7月6日
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。その助け主がいつまでもあなた方とともにおられるのです。その方は、真理の御霊です。」ヨハネ14:16
「助け主聖霊様」と題して語ります。上記のみ言葉は、イエス・キリストが、十字架につけられる前夜に語られた遺言メッセージです。有名なレオナルド・ダヴィンチの最後晩餐の絵の場面です。遺言に示される事柄は、最も大切で、重要な事柄、すなわちその人の本心です。
イエスは、ご自分は、この世にいなくなるが、イエス・キリストと同じ御性質と能力をお持ちの聖霊なるお方を遣わすと繰り返し述べられました。ギリシャ語で書かれた新約聖書で、「助け主=パラクレートス」と記されていますが、パラクレートスには、沢山の意味が含まれています。数回にわたりこのお方を紹介できることは、大きな喜びです。このお方は、次のように呼ばれています。
「助け主、救い主、癒し主、清め主、慰め主、励まし手、導き手、教師、弁護者、証し者など」本日は、一回目として、「共におられるお方なる聖霊様です。」このお方は、弟子たちに対して「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と固く約束されました。
目には見えませんが聖霊なる神は、いつでも、どこでも、どんなときにも、共におられ信じる者を助けてくださいます。あなたの心に、働きに、人生すべてに聖霊様をお迎えください。
主の祝福をお祈りいたします。
「神に会う備えをせよ5」 7月1日
「それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたは神に会う備えをせよ。」アモス4:12
本日は、「神に会う備えをせよ」の4回目です。今回は、神に会う備えの集大成として、時に対する備えを取り上げます。新約聖書においては、二つの時が主に使われています。カイロス(Kaiiros=神の時、特別な時)とクロノス(Chronos=一般の時、普通の時))です。
神に会う備えの時とはカイロスのことです。それは、神の訪れの時です。「今は、恵の時、救いの日です。」時間は、何もしないと流れていきます。そして、二度と同じ時は訪れません。
聖書で「今の時を活かして用いなさい。」エペソ5:16とありますが、これは時を買い取って自分のものとして生かし、賢く用いることを指しています。どのようにして時を買い取り自分のものとするのでしょうか。その答えは、神とともに考え、行動することです。神は祈りに答え、信仰の歩みに祝福を備えてくださいます。
ある時、イエスの弟子たちはガリラヤ湖で一晩中漁をしましたが、一匹も魚が取れませんでした。その時イエスが、「深みに漕ぎ出して船の右側に網を下ろしてみなさい。」と命じられました。ペテロと弟子たちは、「お言葉ですからその通りにしてみます。」と従いました。すると網が破れそうなほど多くの魚が取れました。
神とともに歩むことはカイロス(好機、チャンス)の時です。あなたの人生に神に会う備えの時をぜひ迎えてください。
神はあなたの人生を祝福の実で満たしてくださるでしょう。神の祝福をお祈りしています。
「神に会う備えをせ4」 6月30日
「それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたは神に会う備えをせよ。」アモス4:12
聖書の中で、備えをするものは、賢い者であると語っています。
「この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。蟻は力のない種族だが、夏のうちに食料を確保する。」箴言30:24-25
賢い者とは、備えをする人です。賢い人と愚かな人のたとえをキリストは次のように示されました。
【砂の上に家を建てた人と岩の上に家を建てた人】のお話です。マタイ福音書7:24-27
それは、人生における困難や試練に対する備えです。どんな人でも長い人生の中で、一度や二度は大きな困難に出会います。その時に問われるのは、土台の大切さ、すなわち何の上に家(人生)を建てているかということです。
イエスは、み言葉を、聞いて行う人は岩の上に家を建てた人ですと語られました。蟻のように時を知り、食料を備えたように、人生の秋冬に、備える賢い人になりましょう。神に出会う人こそ、その人です。
「神に会う備えをせよ3」 6月27日
「それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたは神に会う備えをせよ。」アモス4:12
「備えあれば憂いなし」という言葉がありますが、万事につけ備えは大切です。本日は神の訪れがもたらす、大収穫、リバイバルへの備えです。
「シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主はあなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前の雨のように、初めの雨と、後の雨とを降らせてくださるからだ。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。」ヨエル書2:23
このヨエルの預言は、キリストのご再臨前の大収穫(リバイバル)の様子を語ったものです。
イスラエルの一年には、雨季と乾季があり、初めの雨(秋の雨)と後の雨(春の雨)に収穫がもたらされます。初代教会において、聖霊による驚くべき御業がなされ、当時のローマ帝国の中にキリストの福音を通して、わずか30年でローマ帝国全体に福音が伝えられ、キリスト教が、AD313年にローマの国教になったのです。
終わりの時代に、初めと終わりの雨が同時に降るような大収穫の預言がされています。
今回のコロナ感染症を通して多くの人々の考えや価値観に変化が与えられてきました。パウロの祈りのように、「どうか私たちの主イエス・キリストの神栄光の父が、知恵と啓示の霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにしてくださるように。」エペソ1:17
日本が、神の大収穫となり、人々がキリストの救いを受けられるようとりなし祈るものです。
「神に会う備えをせよ2」 6月26日
「それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたは神に会う備えをせよ。」アモス4:12
人生(信仰生活)に対する三つの備えが、あります。
①死に対する備え ②神の訪れ(リバイバル)に対する備え ③主のご再臨に対する備え
備える(Kun)の言葉の意味は、「準備する、固く定める、固く立つ、確かにする、回復する」など
多様な意味があります。
本日は、神の訪れに対する備えです。神は、個人に対しても、家庭でも、教会でも、どのような事柄に対しても訪れの時を持っています。
次のようなイエスの言葉があります。
「あなたがたは、刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠の命に入れられる実を集めています。それは蒔くものと刈る者がともに喜ぶためです。」ヨハネによる福音書4:35-36
第一に、目を上げて畑を見る、明確なビジョンと信仰です。信仰の目を持って、物事を捉えるとき収穫の畑が刈り入れを待つように、人生の畑が収穫の畑になるのです。
第二に、種をまくことの行動が必要です。種をまかずして収穫は期待できません。クリスチャンであるなら、祈りの種、福音の種、学びの種など、今できること、なすべき準備です。
第三に収穫を刈り入れる働き人です。
イエスは、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に働き手を送ってくださるように祈りなさい。」マタイ福音書9:37-38といわれました。
企業は人なりという言葉通り、カギを握るのは、神に捕らえられた人材です。
日本に教会に、あなた自身にリバイバルが起こるように、祈り、神に会う備えをなしましょう。神への備えが成されるとき、神ご自身が働かれるのです。収穫の主は、神ご自身だからです。
『神に会う備えをせよ」 6月25日
「それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう、わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」アモス4:12
コロナ感染症が、なかなか終息に至りません。世界に目を向けるなら、感染はますます拡大しています。日本においても第二波、第三波を予測する感染症専門家も少なくありません。このような中で備えの重要性が指摘されています。地震や水害などあらゆることに対する備えも必要です。
その中で、あなたの人生に絶対やってくることの備えができているでしょうか。
それは、永遠への備え、死に対する備え、天に対する備えです。
キリストは、繰り返し天の御国はこのようなものですと語られました。聖書でマタイ福音書5章から7章は山上の垂訓と呼ばれ天国律法と呼ばれています。
すべての人の最後の文章は、「いつどこどこで死んだ。」で終わります。しかし、死に対して論ずることは、多くの人が縁起でもない。そのような不吉なことはやめてくれと言います。
確かに脅迫するような意味で用いることは、避けなければなりません。今の時代、肉体の命は、70年、80年、更に人生100年の時代を迎えようとしています。人の肉体の命は、限りがありますが、霊の命は永遠であるとイエスは言われました。
あなたは、永遠に対する備えができておられるでしょうか。
「罪の支払う報酬は死です、しかし神の下さる賜物は、キリストイエスにおける永遠の命です。」
ローマ6:23
キリストは、すべての人を罪と死から救うために十字架にかかり、ご自身の命を捨てて身代わりに死を受けられました。しかし3日目に死を打ち破り甦られました。
キリストイエスを信じる者は、永遠の命を持ち死に対する勝利を受け取ります。
人生の最大の備えをされることをお祈りしています。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
ヨハネの福音書11:25-26
「あなたの父と母を敬いなさい」 6月20日
「あなたの父と母を敬え、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」 出エジプト記20:12
明日は父の日ですが、本日は、「あなたの父と母を敬いなさい」というみ言葉から語ります。
このみ言葉は、モーセの十戒の第5番目の戒めで、人に対しては第一の戒めです。即ち人間関係の始まりは、両親との係わりが基本であることを教えています。
敬うという言葉は、Kabed (ヘブル語)で「重い、重んじる、敬う、栄光を与える、尊ぶ、優遇する、富み栄える、誉を得る」など多くの意味があります。
、聖書は多くの個所で引用し、両親を大切にしなさいと命じています。
①シナイ山の十戒 出20:12「父と母を敬いなさい」
②モアブの地での契約更新 申命5:16「第二世代に父と母を敬いなさい」
③エバル山での契約の記念碑 申命27:16「父と母侮辱するものは呪われる」
④イスラエルの聖め レビ記19:3「父と母を恐れなければならない」
父と母を敬い、愛することは幸いな人生への神の約束です。
「あなた方の神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、幸せになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。」申命記5:33
あなたの父と母が、年老いても、天に召されていても、両親に感謝と尊敬の思いを持ち、歩むことは神の祝福にあずかる恵みの原則です。あなたの幸いな人生をお祈りしています。
「アシュレーの幸い12」 6月19日
「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」 詩篇2:12
本日のアシュレーの幸いは、主に身を避けることの幸いです。新型コロナ感染症が起こって、約半年が立ちますが、依然として感染が世界中に蔓延拡大し、脅威が衰えません。
このような中で、「主に身を避ける」ことは幸いです。有名な詩篇91編には次のような神のみ言葉が記されています。
”いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。わたしは主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。” 詩篇91:1-3
リビングバイブルという訳の聖書では「わが避け所」を「わが安全地帯」と書かれています。わたしはこの安全地帯の訳が大好きです。コロナ感染症をはじめ、人生には様々の予期せぬ困難や問題が起こってきます。しかし、神様という全能者であり、愛に満ち溢れたお方のもとにいる者は絶対的な安全地帯に住んでいるのです。まことの神は、霊と心と肉体の命を活かし守られるお方です。
永遠の震われない国に、住まいを移し、幸いな人となってください。
神の祝福をお祈りいたします。アーメン。
「アシュレーの幸い11」 6月18日
「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」 詩篇65:4
教会とは、エクレシアというギリシャ語が用いられ、その意味は選ばれたもの、、神により召し集められたものという意味です。本日の幸いは、選ばれることの幸いです。この世においても、オリンピック選手やノーベル賞などに、選ばれるということは、大きな名誉であり、祝福です。
神様の選びは、永遠の幸いです。神は、すでにあなたを選んでおられるのです。但し、これを受け取るか、否かはあなたの自由意志にかかります。
キリストは言われました。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、またあなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」ヨハネ15:16
神は、人間を罪と死から救うために、御子イエス・キリストを、十字架につけその命と引き換えに信じる者を救われるのです。すでに救いの道は、完成され、神はあなたを招いておられます。この選びを受け取るものは幸いだというのです。
神が住まわれる所、そこが神の国、神の家になります。神はあなたを呼んでおられます。神の近くに、さらに神の中へと、神とともに歩む者は幸いです。選びを受け入れる者を、すべての良きもので満たしてくださるです。アシュレーの幸いに満ちたものになられることをお祈りしています。
「アシュレーの幸い10」 6月17日
「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつも、あなたをほめたたえています。なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧く所とします。初めの雨もまたそこを祝福で覆います。彼らは力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます。」 詩篇84:4₋7
シオンとは神の住まいである神の家のことです。そこに住まう人は幸いです。なぜなら、神がともにおられる臨在の場所だからです。神は、良き御性質と力ある能力を兼ね備えたお方です。人生では、様々な時や状況に出会います。涙の谷とは、困難、試練、問題などマイナスに思える逆境です。神がともにおられてそれらを受け取るならば、泉が湧くと表現されたようにマイナスではなく、プラスに、祝福へと変えられるのです。
次にシオンは神に集められた神の民が住むところです。人生における悲しみや痛みは、一人ではなく共に負いあうときに半減し、喜びや幸いは、ともに分かち合うとき、何倍にも倍加するのです。
詩篇の作者は、繰り返し、なんと幸いでしょう。神の家、シオンに住む人はと述べています。
教会は、神の家です。ぜひ、あなたのお近くの神の家、キリストのおられる教会に、お出かけください。神の与えてくださる、アシュレーの幸いが、あなたを待っています。
「アシュレーの幸い9」 6月16日
「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになったその 民は。」 詩篇33:12
アメリカ合衆国は、1776年7月4日独立宣言をいたしました。清教徒を中心に聖書を土台としての国づくりを行い、多くの祝福を受け、世界のリーダー国家となりました。
しかし、長い間、人種差別が問題で、先日も黒人の命が、白人警官により奪われ、現在多くのデモや暴動が起こり、世界中に広がっています。
神の国とは、神様の思い、考え、計画で、神が統治する国です。地上における政治や経済ではなく、信仰による支配の国のことです。
「神の国は、飲食ではなく義と平和と聖霊による喜びだからです。」ローマ14:17
イエス・キリストによる統治された人々の心が神の国です。
ある時、神の国は、いつ来るのかと人々が尋ねられた時、イエスは次のように答えられました。
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そらここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」ルカの福音書17:21
アシュレーの幸いとは、心の中に、神を受け入れ、神様に心を統治され、支配される人々のことです。あなたが、神を求め信じて、心にイエスキリストを受け入れるならば、幸いな神の国があなたにやってくるのです。
「アシュレーの幸い8」 6月14日
「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で幸せであろう。あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。見よ。主を恐れる人は、確かに祝福を受ける。主はシオンからあなたを祝福される。あなたはいのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。」
詩篇128:1-6
本日の幸いは、勤労の幸い、家庭の幸い。教会(信仰)生活の幸い、子々孫々への幸いです。即ち、トータルの幸いです。ここでは、都上りの詩(礼拝の歌)として、取り上げられていますが、それは、日々の生活の中で、主を礼拝し、主を恐れ、主とともに歩む者への神の約束です。イスラエルにおいて、ぶどうの木とオリーブの木は祝福の象徴です。豊かな繁栄の実を結ぶ木として、聖書の多くの箇所に登場します。
すべての人の人生は、一度だけです。神は真実で力あるお方です。あなたの一生を「アシュレーの幸い」で満たしたいと望んでいます。神と共に歩み、真の幸いな人となってください。
「アシュレーの幸い7」 6月12日
「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみ教えによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。」 詩篇119:1‐2
聖書の語る幸い(アシュレー)とは、実際に生活の中で歩むことの幸いです。沈み込む、落ち込む、ふさぎ込む、のめり込むなど、~込むという言葉があります。そのほとんどがマイナス的な意味に使われていますが、アシュレーは、その真逆で良い意味での言葉です。
わたくしの造語ですが、次のような言葉を作ってみました。神とともに歩むとき、幸せ込む、恵みこむ、喜び込むなどアシュレーの幸いで満たされるのです。
詩篇119篇は聖書の中で、最も長い章で176節もありますが、そのすべては、神の言葉について書かれています。そして、神の言葉をいろいろな言い回しで示しています。
次のような言葉です。
「み言葉、み教え、道、さとし、戒め、おきて、仰せ、さばきなど」この神のみ言葉に歩み、信じて生きる人が真の幸いな人(アシュレー)だというのです。その結果は、神の下さる恵み、祝福、平安などで、満たされるのです。物の多少やお金、健康など、見える状況ではなく、神のみ心の中を歩むことが本当の揺るがない幸いです。 ぜひ、神からくる幸いで満たされる人生をお過ごしください。
「アシュレーの幸い6」 6月11日
「ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。」詩篇112:1‐2
六回目のアシュレーの幸いは、主を恐れる者の幸いです。聖書は、主を愛することと、主を恐れることの二つが、真の幸いであると述べています。
ここでいう恐れとは、怖いという恐れではなく、畏敬の念を持つ恐れのことです。よい意味で、権威を認め恐れることが、自らを守り、幸いに導くのです。たとえば、車の運転をするときに交通ルールや法規を全く恐れず、自分勝手に速度も信号も守らず運転したらどうなるでしょうか。必ず大きな事故を起こすことでしょう。法律や権威は、正しく歩む者には安全を守り、快適な生活のための保証です。
この世界を創造し、秩序正しくコントロールしておられる、創造主なる神を認め、信じて歩むことが、人間に与えられている真の幸いです。神の祝福をお祈りしています。
「アシュレーの幸い5」 6月10日
「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主は災いの日にその人を助け出される。主は彼を見 守り、彼を生き永らえらせ、地上でしあわせな者とされる。」詩篇41:1-2
イエス・キリストは、二つの戒めが、大切であると教えられました。即ち、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛する。」ことと「自分を愛するように隣人を愛する。」ことです。
また、「これらの小さき人々に対して行ったことは、私に対して行ったこと、これらの小さき人々に対して行わなかったことは、私に対して行わなかったこと。」と言われました。
神の目から見た幸せな人とは、自分の幸せだけを考える人ではなく、隣人の幸せをも考え行動する人が、真の幸い(アシュレー)なのですと、詩篇のみ言葉より示しています。
コロナ感染で、互いの関係が問われています。
「わたしが、愛したように互いに愛し合いなさい。」互いに愛し合う神の祝福をお祈りしています。
「アシュレーの幸い4」 6月6日
「幸いなことよ。その背きを赦され、罪を覆われた人は。幸いなことよ。主が咎をお認めにならない人。心に欺きのないその人は。」詩篇32:1-2
アシュレー(幸い)という言葉は、詩篇の中にたくさん記されています。本日の詩篇32編の中でダビデが人生の教訓の言葉として、罪、咎を赦された者は幸いであると語っています。人生で最も大きな問題は罪です。ダビデが大きな失敗を犯し、罪に苦しんだ後、罪赦されたときに、本当の幸いを手に入れた感動の歌です。
「私は黙っていた時には、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏の日照りでかわききったからです。」詩篇32:3-4
ダビデは、罪の赦しがないときに、苦しみ疲れ果てたと告白しました。
私たちの罪のために、イエス・キリストは十字架で救いの道を与えてくださいました。あなたが、イエス・キリストを、救い主として、主として、心で信じて、お迎えするならば、本当の幸いが与えられるのです。最後に次のみ言葉をお送りします。罪赦される者の幸いです。
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」ロマ10:10
アシュレーの幸い3 6月5日
「その人は水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。」詩篇1:3
イスラエルの土地の多くは、乾燥地帯のため、木々が生息するには、水分が必要です。イスラエルは一年が雨季と乾季に分かれています。乾季には川のないところに、雨季に雨が降り、ワジと呼ばれる川が出現します。ワジの多くの個所は乾季になっても地下水脈により、やつめやしやアカシアの木などが川に沿って青々と茂っています。
悪者の道を歩まず、神のみ言葉に従う人の道は、この水路(ワジと呼ばれる川)のそばに植えられた木のように、青々と葉が茂り、豊かに実を結び、何をしても栄える、すなわちアシュレー(幸い)の民となると、主は言われます。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」民数記6:24-26
アシュレーの幸い2 6月4日
「まことにその人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。」詩篇1:2
言葉の中に思いがあり、思いの中に言葉があります。言葉は➡思い➡行動➡習慣➡その人の生活になるのです。神の言葉を口ずさみ、思い行動する人は神とともに歩む生活になり、やがては永遠も神の国に住む者となるのです。
その人は水路のそばに飢えられた木のように、青々と茂り豊かな実を結ぶ、幸いなものとなる。この世においての生活も、永遠の生活も、何を語り思い、行動するかによって決定します。ヤコブは人間の舌が語る言葉は、船の方向を決める舵のようだと語っています。神の言葉、キリストの言葉、聖書はあなたを真の幸いに導いてくださいます。
神の祝福をお祈りいたします。
アシュレーの幸い 6月3日
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座に着なかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、そのは枯れない。その人は何をしても栄える。」
詩篇1:1-3
新約聖書での主な幸いはマカリオスであるのと同様に、旧約聖書での主な幸いはアシュレーです。
本日より「アシュレーの幸い」と題してお伝えします。マカリオスと同様に強い幸いを示す言葉で、なんと、うらやまむほどに祝福されている人の意味です。では、どのような人が神の示す幸いな人でしょうか。
第一に悪しき罪の中に生活しない人です。このことばは生活の歩みの言葉です。
悪しき計画に歩まず、決断せず、そこに座り込まない状態です。
第二に神のみ言葉を思い、口ずさむ人です。神の言葉は、人の霊と心と体を健康にし、生活の力を与えてくれます。「人はパンのみで生きるのではなく、神の下さるみ言葉により生きるのです。」
このような人が真の幸いな人です。詳しくはお近くの教会にお出かけください。
マカリオスの幸い9 6月2日
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」マタイ5:10
イスラエルの歴史は迫害の歴史といっても過言ではありません。同様にキリスト教の歴史も多くの迫害を通ってきました。イエスを信じたクリスチャンも迫害に会いました。日本においても、キリシタンが多くの迫害に会いました。
有名な長崎の26聖人殉教者の地、西坂公園には記念館が建てられ26聖人のブロンズ像があります。私も数年前にその地を訪れ、「義のために迫害されている者は幸いである。天の御国はその人の者だからです。」と言われたキリストのことばを実感し大きな感動を覚えました。
なぜ彼らは、死をも恐れず殉教できたのでしょう。彼らは、みなこの世の一時的な命ではなく、神から与えられる永遠の命、天の御国を望み見ていたと思われます。
26聖人のブロンズ像の視点はすべて上を、すなわち天の御国を見ていました。肉体の命をかけてまで、価値あるものに目を注いだのは、朽ちることのない命、天の御国でした。
ミニ聖書といわれ、聖書66巻を一つの聖句にまとめたら、次の聖句であるといわれます。この言葉を、最後にあなたに送ります。
「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。」ヨハネ3:16
マカリオスの幸い8 6月1日
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」マタイ5:9
イスラエルでのあいさつは、朝も昼も夜も、出会いも別れも共通の言葉シャロームです。シャロームとは平安がありますように。平和が来ますようにという意味です。なぜなら、中近東の地域は古代の時代より戦争が絶えないので、人々の最も必要としている願いが平和なのです。
平和は、待っていて受動的に与えられるのではなく、平和を造り出す者が、幸いマカリオスなのです。ピースメーカーという言葉がありますが、反対にトラブルメーカーという言葉もあります。あなたは、平和を造り出す人でしょうか。問題を引き起こす人でしょうか。
人間には罪性がだれにでもあります。この罪のためにキリストは十字架で、罪の身代わりとして代価を支払ってくださいました。キリストにより、罪赦されて、神との平和を持った時、真の平和を造り出す人になれます。
シャローム(平安がありますように)!
マカリオスの幸い7 5月30日
「心の清い者は幸いです。その人は神を見るからです。」マタイ5:8
心が清い者とは、心に混じりけがなく、二心ではなく、一心に神に向いていることを指しています。他の人と比べてとか、世の中の状態と比較してではありません。人には皆、原罪という罪があり、誰もここから自分の力で、清い者、正しい者にはなれません。イエス・キリストはそのことをご存じで神と心が一つにされている状態の者を清いとされたのです。
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心が、神に向くとき、神を見ることができます。人間には、三つの目が与えられています。①肉体の目 ②知識という目 ③霊(心)の目です。知識のある人はいろいろなことに通じて、行きます。歴史に知識のある人は歴史から多くのことを見ます。自然科学に知識のある人は、その世界のことに目が開かれています。神と神の国は、霊(心)の目が開かれなければ見ることができません。しかし、一心に神に向かう人は、心の清い者であり、神を見ることができるのです。神は、あなたの近くに、心の中に存在してくださいます。
ぜひ、神を見る幸いなものとなってください。主の祝福をお祈りしています。
マカリオスの幸い6 5月29日
「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」マタイ5:7
今までの幸いは、受動的な意味での幸いでした。今回からは、積極的、能動的な意味合いの幸いです。当時の人たちは、苦しみはすべて罪からの結果、報いであると考え、苦しむ者へのあわれみは打ち消されていました。 しかし、罪を赦され神のあわれみを受けた者は、はじめて人に対してあわれみを持つことができます。
人は、蒔いたものを刈り取ります。あわれみのない者には、あわれみのないさばきがやってきます。最終的審判は神の領域です。イエスは「あわれみ深い者はマカリオス(幸い)です。」と教えられました。愛と赦しが来るとき、人間関係はいやされ、しっかりと結ばれ、構築されていきます。互いにあわれみ深いものとなりましょう。正しい審判は神がなされるのです。
今日の時代に必要なものは、神から与えられるあわれみではないでしょうか。
マカリオスの幸い5 5月28日
「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」マタイ5:6
本日は、義について考えてみます。神の御性質は愛と義であらわされます。ここでいう義とは何でしょうか。それは、神との正しい関係です。次のみ言葉は語ります。
「だから、神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの
はすべて与えられます。」マタイ6:33
このことばは、神の国(神の全き支配)と神の義(神との正しい関係)を第一に求めなさいの意味です。最初の人間アダムが、造られたとき神との全き交わりの中ですべての必要に満たされていました。しかし、罪が入り神との関係が妨げられたとき人は不完全で乏しいものとなりました。この罪人となった人類を救う懸け橋となられたキリストの十字架を通して、誰でも、どこでも、いつでも、どのような状態の中でも、神の義、正しい関係が持てるのです。
神の義に飢え渇いている者は幸いです。なぜなら、すべての良きもので満ち足りるからです。
あなたの人生に神の義、神との正しい関係をお持ちになることを、お祈りしています。
マカリオス4 5月27日
「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」マタイ5:5
イスラエルの人々にとって、地は約束の土地であり神から与えられる相続地を意味します。人にはこの世においていろいろな面で受け継ぐ相続地があります。土地や物や財のみならず、働きや、家族、人間関係など、その人につながること、すべてが相続地であると考えられます。
ダビデ王は、詩篇37篇で5回(9,11,22,29,34節)地を受け継ぐ人とはどのような者かを語っています。
「悪を行うものに対して腹を立てるな。不正を行うものに対して妬みを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のようになるのだ。 主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。 それはただ悪への道だ。悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者は地を受け継ごう。 …しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。」詩篇37:1-11
この世にあって、人のなした悪や不正に腹を立て、怒りを持つのではなく、審判を神にゆだね、神に心を支配していただき、柔和な心で過ごすものは、良きものを受け継ぐことを意味しています。
主に心をコントロールしていただく柔和な人は幸いです。
マカリオスの幸い3 5月26日
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」マタイ5:4
イエスの語られた山上の垂訓での幸いは、八福と呼ばれ八つのマカリオス(幸い)が語られています。わたしは、20年前に聖地旅行で訪れた、イスラエルのガリラヤ湖畔の山服には、当時を記念して八角形の山上の丘教会が建てられていました。中には、八角形の礼拝堂の東西南北八壁面にこれらの「幸いなるかな」という聖書のみ言葉が記されていました。
本日の悲しむ者は幸いとは、どんな意味でしょうか。それは、何を悲しむかです。イエスは、罪を悲しむ者はマカリオスと言われたのです。では、罪とは何でしょうか。罪は、言葉の罪、行いの罪、法律を犯す罪、心の思いの罪があります。人間の原罪といわれる罪はまことの神から、人が離れて的外れの生き方をしていることです。氷点の作者である三浦綾子氏はすべての作品のテーマに、原罪を取り上げています。罪が認識できるとき、はじめて人は、救いに向かうことができるのです。聖書は、「罪の支払う報酬は死である。しかし神の下さる賜物はキリスト・イエスによる永遠の命です。」 ローマ6:23 罪を悲しむとき、はじめて十字架の救いが信じてわかるのです。
この世での命は、一時的です。しかし、神の命は永遠です。あなたは、どちらを選択しますか。
罪を悲しんで、キリストの救いにあずかるものは幸いです。
マカリオスの幸い2 5月25日
本日はマカリオス(幸い)の二回目です。旧約聖書では、アシュレー、新約聖書ではマカリオスという、主な代表的な幸いの言葉があります。ともに人生を生きていく生活の中で使われる強い意味の言葉です。
”そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。”有名な山上の垂訓の一節です。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」マタイ5:3
心が貧しいとは、逆説的な表現で、プトーコスという言葉が用いられています。その意味は、心が破産状態のように、何も持たない、神様以外には、頼るものが無いことを意味します。すなわち心が謙遜でへりくだり、心が、砕かれた純粋な状態です。
人間は、物の豊かさや、知識の広さ深さ、立場や地位、名誉などを幸いの基準にしますが、それらのものは、この世だけのもの、天の御国には通用しないものです。心が神と完全に一つとなっている人はマカリオスといわれたのです。神の目で見るとき、その人はうらやむべき祝福された人なのです。
あなたの心は、いかがでしょうか。マカリオスの幸いをぜひ体験してみてください。神と人を妨げている、罪を悔い改め十字架で身代わりに死んで甦られたキリストを信じて受け入れるだけです。主の祝福をお祈りしています。
「マカリオスの幸い」 5月21日
”主イエスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである。」と言われた。 使徒20:35
この言葉は、イエス・キリストの語られた有名なお言葉です。幸いには、マカリオスというギリシャ語が用いられていますが、この意味は、非常に強い意味の「幸せ、祝福、幸い」ということです。
イエスは、山上の垂訓と呼ばれる中で八つの幸いを、語られました。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。心の清い者は幸いです。その人は神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人の者だからです。」
わたしたちの教会堂の名前をマカリオスチャペルと呼びます。それは、教会に来られるすべての方が神の幸い、祝福を受けて欲しいという切なる願いからです。本日より数回にわたり、マカリオスの幸いのみ言葉です。
本日の幸いは、「与える幸いです。」私は多くの方々の支えや励ましの恵みを受けてきました。今度は私と私たちの教会が、与える幸いな者になりたいと強く願っています。お互いが支え支えられ、受け与えることにより、幸いは倍加していくのです。「受けるよりは与えるほうが幸いです。」皆さまも、この幸いを体験として受けられますようお祈りいたします。
忘れたほうが良いもの 5月20日
「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただ、この一事を努めている。すなわ ち、後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」ピリピ3:17
昨日は、「主の良くしてくださったことを忘れるな」すなわち神の与えてくださった恵みを、心にとめる重要さを語りました。本日は、逆に忘れるべきことです。使徒パウロは、過去の事柄に目を向けるのではなく、前に向かうことの大切さを述べています。
今、新型コロナウイルス感染症が、世界中に蔓延し拡大しています。そしてこのウイルの後、ポストコロナにどのような対処をすべきかが問われています。
過去の経験を活かし前に向かわなければなりません。イエスは、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなさいとたとえで真理を語られました。
コロナ後には、今までとは異なる新しいライフスタイル、生活様式が誕生するといわれています。
ピンチはチャンスです。コロナ感染後に、新しい考え、行動、システムを生み出しましょう。過去ではなく新しい皮袋(未来志向)になり神の栄光と祝福にあずかりたいものです。
忘れるべきものと忘れてはならないもの 5月19日
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103:2
私たちの人生の中で、絶対に忘れてはならないものと、忘れたほうが良いものとががあります。
まず忘れてはならないものとは何でしょうか。ダビデ王は、主の良くしてくださったことすなわち神の恵みを忘れてはならないと告げています。
神の恵みとは何でしょうか。最大の恵みは、神の独り子イエスキリストを、世に遣わし、人間の最大の問題である罪のために十字架にかかり死んでくださり、三日目に罪と死を打ち破り甦られたことです。これを福音といいます。ダビデは、後に来られるメシヤなるキリストを通しての救いを信じていました。
「主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように新しくなる。」詩篇103:3‐5
あなたの人生は、キリストにお出会いするならば、必ず恵みあふれた人生となります。このことを忘れないでください。明日は忘れるべきことをお語りします。
天の窓を開く祝福 5月18日
万軍の主は仰せられる。「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注ぐかどうかをためしてみよ。」マラキ3:10
聖書の中に天の窓(門)が開かれ大いなる神の祝福が注がれた場面が登場します。
本日は、神が与えられたものの初穂を神にささげる祝福です。それは十分の一の献げものです。
最初の人アダムとエバに、エデンの園で神はこの園の中のすべてのものを与え自由にとって食べてよい、ただ一つ、園の中央にある善悪の木の実だけは取って食べてはならないと、仰せられました。これは、神様の主権を守るなら、あらゆることへの幸いを約束されたのです。。神は造られたすべての人が幸いで祝福された人生を願っておられます。
神は約束されたことを必ず実現されるお方です。初穂が聖められるとき、残りのすべてのものは聖められ祝されるのです。私は、神を信じた時からこのことを実行し本当に幸いな生活を送っています。
霊と心と体の健康に満ち溢れ必要のすべてを満たし養われています。
また、必要があるときは、祈り求めて備えられるので感謝です。
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば、見つかります。門をたたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。」 マタイ7:7
イチジクの木のたとえ 5月13日
”いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。” マタイ24:32
教会の花壇には、色々な木や草花が植えてあります。オリ-ブ、いちじく、ハナミズキ、ビワ、ムクゲなどのほか、美しい花が、毎日楽しみを与えてくれています。
今はいちじくが勢いよく葉をつけています。また、朝顔の種をまき、双葉の顔を見せ始めました。夏の始まりです。
イエス様が、再びお出でになることを再臨と言います。この日は天の父以外は、だれもその時がわかりません。ただ、このような印(しるし)が現れるとイエスは語られました。その一つがイスラエル国家の誕生です。1948年5月14日に、2000年間も国を失っていたイスラエルが、聖書の預言通りに生まれたのです。いちじくはイスラエルを現わす木で、木の葉が出て来ると再臨が近いとイエスが示されたのです。様々な気候変動、地震、戦争のうわさや民族紛争、疫病なども記しの一つだと考えられます。
コロナウイルス感染に対する備えの大切さが、今回、日本で浮き彫りにされましたが、もっと重要な備えは、キリストの御再臨です。夏(御再臨)は確実にやってきます。その時、神の言葉にしっかりと留まるものは幸いです。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイ28:20
ピンチをチャンスに変える 5月12日
先日、NHKのテレビ番組で、日本電産の創業者、永守重信しが、新型コロナウイルス感染症の終息後のポストコロナの時に、今とは異なる価値観、文化、体制が訪れるのではないかと語っておられました。その中で、感染症自体は喜ばしいものではないが、この困難、試練を通して、ピンチをチャンスに変えることが必要であり可能だと、熱く力説しておられました。私は、とても感動、感銘を受けました。
使徒パウロは、「私たちは私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」ロマ8:37と告白しています。
コロナ後の社会が、神を恐れ、互いに愛し仕えあう社会へと変わることを祈るばかりです。今こそ、キリストの福音が必要です。
今の時を生かして用いなさい 5月11日
光陰矢の如しという言葉がありますが、月日の経つのは早いものです。
聖書では、時を大きく二つの言葉で表現わしています。それはクロノスとカイロスです。クロノスは、一般的な時間で、消費していく、流れてしまう時です。一方カイロスは神の時、恵みの時で特別な時間です。
「今の時を生かして用いなさい。」で生かして用いるとは、時間を買い取ってしまう、贖ってしまう。すなわち自分のものにしてしまうという意味です。では、どのようにして、時間を恵みの時とするのでしょうか。それは、神と共に歩むこと、例えば、一日の始めをお祈りし、神にささげるとき、初穂をささげるとき、残りの時間はあなたのものとなるという考えです。
是非、一度試してみてください。祈りはあなたの時を有効な恵みの時として与えられます。
愛をもって互いに仕えなさい 5月12日
新型コロナウイルス感染症で、世界にマスク文化が生まれているそうです。しかし、残念ながらマスクの絶対量が不足しています。政府からの布マスクは、まだ届いていませんが、複数の方からマスクを頂戴しました。
また、私の妻はお手製の布マスクづくりに励んでいます。作ったマスクを必要な方に配っています。コロナウイルスの困難の中で、互いに仕えあい、愛が生まれていることは感謝です。ポストコロナで、終息したのちにどのような、文化、生活が生まれるでしょうか。
マイナスがプラスに、困難が祝福に、試練が教訓に代わり、互いが全世界が、「愛を持って互いに仕えあう」新しい生活になりたいものです。
イエス・キリストは、十字架につく前の夜、最後の晩餐で、弟子たちの足を洗い、互いに愛で仕えあう模範を示されました。そして、十字架で私たちの罪とすべての重荷を背負い命を捨ててくださいました。これが福音(グッドニュ-ス)です。
「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように模範を示したのです。」 ヨハネ13:14-15
教会にお出かけください。主の祝福をお祈りしています。
心のモット- 5月9日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」
Ⅰテサロニケ5:16-18
わたしの信仰におけるモット-は、聖書のみ言葉です。そのなかで、いつも心掛けているみ言葉があります。それが本日の言葉です。人生は、過去、現在、そして未来の三つです。過去と未来は私たちの手の中にはありません。しかし、信仰によって、この過去、現在、未来の領域に対して、良き祝福を受け取ることができるのです。
過去に対しては、すべてことに感謝することです。良いことだけでなく、つらいことや悪く思われることも感謝するのです。過去に、さかのぼって、いやなこと、つらく悲しかったこと、マイナスと思うすべての場面にキリストを、お迎えするのです。キリストは十字架で私たちのすべての罪、病い、重荷を身代わりに受けてくださいました。三日目に死と罪とサタンに打ち勝ち蘇られたのです。
現在に対しては、いつも喜ぶのです。喜びは、心に力を与え、健康にしてくれます。特に「主を喜ぶかとは力です。」ネヘミヤ8:10 どんなこともキリストにあるならば喜べるのです。
三つ目の未来に対しては祈ることです。祈りは距離や時間、空間を越えて神と交わり、神の思いや御力を受け取る秘訣です。祈りは人間の最も美しい姿です。そして、祈ることはどこでもだれにでもできるのです。心の中の思いをすべて神にお話しするのです。最後にイエス・キリストのお名前で祈りますと告白してください。それだけでよいのです。
以上は、人の力や能力では、不可能ですが、主キリストイエスにあって可能です。
是非、聖書に触れてください。また、近くの教会にお出かけください。
皆さまの上に神の祝福をお祈りしています。
上に立つ者のために祈りなさい 5月8日
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位のある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」Ⅰテモテ2:1
昨日より、新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が、5月末まで延長になりました。このことにより、経済に対する甚大な影響が心配されます。ステイホ-ムは、感染の拡大を止めるのに必要ですが経済的大きなリスクがあります。感染防止と経済の両立させるには、PCR検査を普及させ、感染者をできるだけ見つけ、隔離し、感染経路を遮断することが、第一優先順序だと多く叫ばれています。この判断をするのは、国や政府、トップリ-ダ-の務めです。今は、感染防止の最善策を判断し、かつ経済を守る決断する必要があります。
主が、リ-ダ-たちに良き働きかけをして、一日も早いコロナウイルス感染阻止になるようリ-ダ-のために祈ります。
何故なら、高い地位の人たちの良き決断は、国全体を良きに導き、間違った決断は、国と国民を滅びへと導くからです。
「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、敗れ口を修理するものを彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。」エゼキエル22:30
主よ。日本のリ-ダ-たちが、良き判断、良き決断、良き政策を実行できるように働いてください。破れ口に立ってください。主の御名によって祈ります。アーメン。
ピンチをチャンスに変える 5月7日
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働か せて益としてくださることを、私たちは知っています。」ロ-マ人への手紙8:28
昨日、NHKのテレビ番組で、新型コロナウイルス感染症に対して、日本電産の創業者である永守重信氏が、困難は必ずしも、マイナス面だけでなくプラス面をも与えることができると述べておられました。それは、困難から逃げるのではなく、立ち向かうことである。ピンチはチャンスに代わると強調しておられました。そして、今後の会社経営に対する備えを熱く語られました。私は、とても意義ある考え方、心の姿勢と大きな感動を覚えました。
使徒パウロが、ロ-マに福音を伝えた時代、多くの迫害や困難が山積していました。しかし、彼はいつも神を見上げ信仰に立ちました。「・・・患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちに注がれているからです。」ロ-マ人への手紙5:3-5 有名な聖書のみ言葉です。
私は、今回の新型コロナウイルス感染症の終息、感染者の癒しと守り、医療従事者への感謝と守りを毎朝お祈りしていますが、それと共に多くの人々の心の目が開かれ、神を信じてイエスキリストの救いを受け取ることを望み祈っています。また、この社会全体がこのことを通して、神への良き方向に進むことも願っています。皆でピンチをチャンスに変えましょう。
教会も、これらの出来事を教訓にして、神と人を愛し、神に喜ばれる共同体にさらに成長したいものです。「神はすべてのことを働かせて益としてくださる。」ア-メン 主よ信じます。
日毎の糧 5月6日
「人はパンだけでいきるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
マタイによる福音書4:4
新型コロナウイルス感染症による、緊急事態宣言は、多くの教会が国からの自粛要請により、全体での礼拝や集まりを中止しています。私たちの教会でも、宣言解除まで集まりを自粛することと決定しました。
このような時に、大切なことは、各自が日々の生活で、しっかりと日々の糧を食べることです。
イエス様は、肉体の食べ物と同時に、いやそれ以上に霊の糧なる神のみ言葉を食べなさいと語られました。
私は、毎朝、妻と二人で神との交わり(ディボ-ションとよんでいます)を実行しています。朝の1時間半あまりの祝福の時間です。
まず異言の祈りを約10分、賛美を10分、聖書を一章読み(現在はロ-マ人への手紙)互いに示されたり、感じたことを分かち合います。そして、今は榎本保郎師の一日一章からも同じ個所を食します。
そのあとリビングライフからも同じように良き時を持ちます。最後は執り成しの祈りです。家族や教会、教団、親しい方々や他教会の必要など多くの祈りの時です。特に今は、新型コロナウイルス感染症に関する祈りが必要と覚えて祈っています。
主と共に始まる一日は至福のひと時です。ぜひ、皆さまも神の与えてくださる食物を通して、幸いな日々をお過ごしください。神の祝福をお祈りしています。
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」ヨハネによる福音書6:35
備えを怠ってはならない 5月5日
”この地上にには小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。
ありは力のない種族だが、夏のうちに食料を確保する。岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。いなごには王はないが、みな隊を組んで出ていく。ヤモリは手で捕まえらることができるが、王の宮殿にいる。” 箴言30:24-28
このことばは、知恵の泉と呼ばれている聖書の中の箴言のみ言葉です。著者のソロモン王は、知恵者中の知恵者と呼ばれました。ここに小さいけれども四つの知恵ある動物が出てきます。蟻、岩だぬき、いなご、やもりです。
本日は、蟻について語ります。「蟻は力のない種族だが、夏のうちに食料を確保する。」食料のなくなる冬に対する備えをするのです。
今回の新型コロナウイルス感染症に対して、お隣の韓国や台湾は、サ-ズやマ-ズの経験から教訓を学び、次に来る感染症に対して、PCR検査をはじめ、そのシステムや医療崩壊に備えての体制、マスクや防護服、フェイスシ-ルドなどあらゆる備えができていました。
残念ながら日本においては、まったく準備が不十分でした。今回の感染が早く終息し、感染者や医療従事者が守られると同時に、今回のコロナウイルスの教訓から学び、知恵ある国家、個人となりたいものです。
”蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食料を集める。”
箴言6:7-8
愛の連鎖(チエ-ンリアクション) 5月4日
「あなたも行っておなじようにしなさい。」ルカ10:33
この言葉は、聖書の中の有名な良きサマリヤ人のたとえの一節です。あるユダヤ人が、旅の途中で強盗に襲われひどい目にあいました。そこに三人の人が通りかかりました。最初の人は祭司、二番目はレビ人三人目は、サマリヤ人でした。祭司とレビ人は同国人でしたが、助けたのは敵対していたサマリヤ人でした。 イエスは「本当の良き隣人は誰ですか。」と尋ね、聞かれた人は「哀れみの心で助けを与えた人です。」と答えたときに「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われたのです。
今、新型コロナウイルス感染症で世界中、日本中が大変な時期を迎えています。
このような時こそ、良きサマリヤ人の精神、行動が必要です。互いが助け合うならば、苦しみは喜びに変わります。 医療従事者への感謝と励ましやマスクを提供したり、食事の差し入れをしたりと言う良きニュ-スと、避難や差別、偏見など悲しいニュ-ス、出来事も耳にします。
愛の連鎖と負の連鎖の戦いです。
「自分を愛するように隣人を愛しなさい。」「私は、あなた方に新しい戒めを与えます。私が愛したように、互いに愛し合いなさい。」
すべての人々すべての国々が、十字架でご自身の命さえも与えられたイエスキリストの愛で、新型コロナウイルスなど、さまざまな困難に打ち勝って、愛の連鎖で結び合いたいものです。
医療従事者への執り成しの祈り 5月3日
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」ロ-マ8:26
日本全地域に緊急事態宣言が発出され、新型コロナウイルス感染症の陽性者が増加し、各地で医療崩壊が叫ばれています。 東京に住んでいる妹に電話したところ、三人の娘がコロナ対策で大変とのことでした。長女は看護師でコロナ対策専門で、家には帰らず、ご主人とは別の宿泊施設に泊まりきりとのこと、次女はPCR検査技師で超多忙、三女は歯科技工士で二人の子供を見ながら仕事とのことでした。 ホームページを見られている皆様の中にも医療従事者やその関係者が多くおられると思います。今彼らは、多くの感染リスクを抱えながら、コロナウイルス感染との最前線で戦っています。
報道によると、医療従事者に対する心なき非難や嫌がらせなどもあるとのことです。これらは絶対にあってはなりません。そうではなく、彼らを支えることが今一番求められることです。
クリスチャンにできる良き助けは、執り成しの祈りです。心を合わせ、主の守りとウイルスの終息を祈りましょう。
「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」マタイによる福音書18:19
心を合わせた祈りの力 5月1日
「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」
マタイによる福音書18:18-19
教会に天国のカギをキリストは与えてくださいました。それはイエスの名による心を合わせた祈りです。3週間前に教会の姉妹が、交通事故に合い、頭を強く打ち、首を骨折しICU(集中治療室)に運ば
ました。すぐに教会の主な兄姉に祈りの要請を出し、心を合わせて祈りました。奇跡的に守られ現在回復に向かい、リハビリに励んでいます。
また、昨日友人の牧師の孫の18歳の男の子が同じように、交通事故で、頭を強く打ちつけ、顔面を複雑骨折し、脳には出血があり、ICUで治療を受けています。
すぐに、教団の先生方に祈りの要請を出して、心を合わせた祈りをささげています。現在、油断できない状態が続いていますが、主が必ず守り、癒しと回復をなされると信じています。
このブログをご覧になられた方も、癒しと回復をお祈りいただければ幸いです。
新型コロナウイルス感染症の終息と守りのためにも、お祈りください。祈りの要請です。
「あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。」ヨハネ14:1
主よ。信じます。われらの心を合わせた祈りを聞いてください。祈り・・・。
キリストによる愛の結びつき 4月30日
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」
コロサイ3:14
新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言により、ステイホームの自粛ムードで、今年のゴ-ルデンウィ-クは多くの人が、家にとどまっています。そのような中でオンライン(~)と言われる交わりがなされています。
私は、親しい家族や友人、知人にラインメ-ルで、メッセ-ジや写真、動画などを配信し、良き交わりが持たれています。ちなみに「小さな祈り」と題した可愛い少女のユ-チュ-ブ動画を親しい方に送信しました。ラインで地域・距離による隔たりの空間、年月時間の隔たりを越えて一瞬にしての良き結びつきが持てることは幸いです。
みなさまも、このコロナウイルスでの、隔たりをキリストによる愛の帯で、困難やピンチを最高のチャンスに変えられることをお祈りしています。
そして、互いに愛し合い、励まし合い支え合ってまいりましょう。
主イエス恵愛教会のホームページを訪問してくださり感謝します。
昨年の最後のメッセージで「大みそかのリセットボタン」と題して主のみ言葉を語りました。
絶対に忘れてはならなもの(詩編103:1-5)「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを
何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さはわしのように、新しくなる。」
次に忘れるべきもの(ピリピ3:1)「すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前に向かって進み....」伝道7:10
(どうして、昔のほうが今より、良かったのか。)と言ってはならない。この二つをリセットして、新しい年に向かってください。
新しいい年のみ言葉は、民数記6:24-26
「主が、あなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」
主の祝福をお祈りしています。
6月某日、私たちの教会に驚くべき神の恵みがもたらされました。教会屋根に設置されている塔の十字架LEDがきれいに修復されたのです。
しかも、突然に!大阪のK牧師、東海市のM牧師を通して韓国より十字架回復宣教団の方々の奉仕により再び輝くようになりました。愛のボランティアで材料費のみ、これがその写真です。十字架が多くの人の愛と希望の光となりますよう日々お祈りしています。感謝!
6月28日に私たちの教会で、春日井市と小牧市にある教会の牧師と夫人が集まりお祈りとよき交わりが持たれました。12名が集まり主のお弟子さんのようでした。S牧師のみ言葉の勧めに始まり、互いの教会や家族、信徒たちの必要や課題を取り上げあっという間の2時間でした。
”見よ。兄弟たちが一つになってともに住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。”詩篇 133:1
私たちの教会には小さな花壇があります。毎日、美しい花を咲かせ、見る人々を楽しませ、幸せな気持ちにしてくれます。フェンスには、朝顔が色とりどりの花を咲かせます。朝に夕に水を撒くのが楽しみです。
”荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。”イザヤ35:1-2