教会ブログ4



「神に受け入れられる信仰531」7月15日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰74」です。

 

コロナ感染第7波が日本全国で、日々、感染者を増やしています。

昨日の統計では、東京で16662人、愛知で6132人、全国で97788人でした。オミクロン株BA5型は、感染力がとても強くあっという間に日本中に第7波が、拡大しています。

中国では、ゼロコロナ、欧米ではウイズコロナ政策です。日本もウイズコロナが叫ばれ、様々のことを考え、欧米に歩調を合わせると見られます。

 

前にも取り上げましたが、神の守りの約束のみ言葉です。

”主に言うであろう。「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。・・・あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることがない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒らす滅びをも恐れることはない。」詩篇91:2-6

(口語訳聖書)

神の御手の中に守られるとき、どんな猛暑の熱中症も、コロナ感染も恐れることはありません

あなたの上に完全な主の守りと救い、豊かな祝福が与えられますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰530」7月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰73」です。

 

安倍元総理を殺害した犯人の動機が、某宗教団体への恨みであることが報道されています。そしてその団体とは、(旧)統一教会であることが判明し、連日テレビ等メディアが、取り上げ報道しています。

安倍元総理の事件は、絶対に容認できません.

そして、統一教会の反社会的行為は絶対に容認してはなりません。

私はかつてある母親から娘が、統一教会にのめり込み、現在報道されているような多くの問題の相談を受けました。

現在も続いています。悲しいことは、この人の娘夫婦だけでなく、孫たち(社会人と大学生)も親の影響で統一教会員です。

どんなに反社会的なことが明らかにされても、彼らはこれはサタンの仕業、統一教会への迫害攻撃であると、教えられ、信じているのです。

そして、テレビ報道などを見ることさえ、禁じられたり、厳しく注意されるのです。

今回の出来事が、徹底的に統一教会の非道な行為を取り除く働きになることを祈るものです。

神とサタンを明確に、見極めることの出来るみ言葉です。

「盗人(サタン)が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたし(キリスト)が来たのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」ヨハネ10:10


「神に受け入れられる信仰529」7月13日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰72」です。

 

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して耐えることがありません。」1コリント13:4-8

このみ言葉は、今年の教会暗誦聖句の一つですが、なんと素晴らしいみ言葉でしょう。愛の本質、愛とは具体的にどのようなものかを語っています。

社会にも、教会にも、家庭にも、そして自分自身にも、最も大切であり、必要なものは愛です。ここでの愛はアガペーと言うギリシャ語が用いられ、この愛は、人間の持つ愛ではなく神の愛のことです。即ち、キリストが持ち、与えて下さる愛のことです。

 

「・・・私たちに賜わっている聖霊によって、神の愛(アガペー)がわたしたちの心に注がれているからである。」ローマ5:5

 

キリストにより聖霊によって、神の愛が信じ求める者に、与えられているのです。ハレルヤ!


「神に受け入れられる信仰528」7月12日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰71」です。

 

安倍元総理の葬儀、告別式がもたれ、多くの人々が沿道に出て見送りました。国内外から、安倍氏の死を悼む追悼の言葉が寄せられています。

犯人は、母親が偽キリストの、異端である某宗教団体にのめり込み、多額の金銭を失い破産された恨みを安倍元総理に向け、暗殺に至ったとのことです。。

 

これらの暴力による殺害は絶対に認めることができません。

詳細は、今後の捜査により、解明されると思いますが、某宗教団体を通して破産状態にまで追い込まれたことが、事件の引き金になったのではないかとの報道です。

 

憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」箴言10:12

「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ愛は律法を全うします。」ローマ13:10

上記は主イエス恵愛教会の暗誦聖句の、み言葉で愛がテーマです。

 

終わりの時代に関するイエス・キリストの預言です。

「そのとき、多くの人がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。また多くの偽預言者が起こって、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」マタイ24:10-12

今回の事件が、負の連鎖になり、不法がはびこり、愛が冷えることのなきよう、破れ口に立って切に祈る者です。


「神に受け入れられる信仰527」7月11日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰70」です。

 

参議院選挙が終わり、各党の議席がすべて決まりました。

今回の選挙に、グッドサマリタンチャーチの牧師である金子道仁(みちひと)牧師が、立候補され、見事当選されました。

主のみ心と信じ、信仰による使命感を与えられてクリスチャンとして、神の教会の牧師としての出馬でした。

神のみ言葉です。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:15

神に選ばれ救われたクリスチャンには、神にある目的と使命があります。

今、用いているリビングライフ(ディボーションブック)でⅡコリント書を取り上げていますが、そこには「キリストの香り=2:15、キリストの手紙=3:3,キリストの大使=5:20,キリストの栄光=8:23)とあります。

 

金子牧師が政治の世界で、しかも国政の場で、地の塩、世の光として、神に使命を果たされることを祈る者です。

 

すべての事で神の栄光が現わされることを、引き続きお祈りします。ハレルヤ!主をほめたたえます。


「神に受け入れられる信仰526」7月9日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰69」です。

 

昨日、安倍元総理大臣が、奈良県での参議院選挙応援演説中、銃弾に倒れなくなりました。絶対にあってはならない、暴力による非道な行為です。

主義主張や政治信条は、異にしても人の命を奪うことは最大の罪です。「剣によって滅ぼす者は剣によって滅びます。」聖書

暴力の連鎖が起こらないよう祈るばかりです。

イエス・キリストの週末に関する預言的言葉です。

「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」マタイ24

今が終末かどうかは、わかりませんが、世界的にも各地で戦争や、飢饉、気候変動など様々の終末的現象が起こっているのは事実です。世界の平和と人々の救いのために破れ口に立つのは、クリスチャンの使命です。

明日の参議院選挙にも、神のみ心がなされますことを、切にお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰525」7月8日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰68」です。

 

明後日は、参議院選挙の投票日です。貴重な一票を無駄にすることなく投票しましょう。

民主主義においては、一人ひとりの大切な一票が国や社会に、人々の暮らしに反映するのです。

1863年、アブラハム・リンカーンの米国大統領就任演説です。

「人民の人民による人民のための政治」この演説の言葉は民主主義政治の根幹原則を示し、世界中で語られている有名な言葉です。

 

今回、グッドサマリタンチャーチの牧師である金子みちひさ牧師が立候補されました。ひとりのクリスチャンとして、牧師として神からの使命感に立ち、政治界に神のみ心がなされるようにとの思いです。

今の時代の破れ口に立ちたいとの思いがあり、多くの光が当たらない働きや、人々に仕える覚悟を持たれています。

「あなたがたは、地の塩です。・・・あなたがたは、世界の光です。」マタイ5:13-16

主のみ心がなされますようにお祈りしています。できますれば、当選していただきたいです。

主の祈りの一節です。

だからこう祈りなさい。「天にいますわたしたちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。・・・」マタイ6:9-10”

 

猛暑が続きます。主の守りと祝福があなたの上に注がれますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰524」7月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰67」です。

 

昨日、私の妻が朝の運動中、後ろ向きに歩行していた際、つまづき転んでしまい、腕、腰、頭を打ち左腕の骨にひびが入りました。

幸い腕以外が多少の痛みで済み大事に至らず、感謝でした。

人生には、いろいろなことが起こりますが、特に歳を重ねると、特に注意が必要です。

有名な守りのみ言葉です。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのであろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主はあなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日があなたを打つことがなく、夜も、月があなたを打つことはない。主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩篇121篇

 

左腕を負傷しましたが、このみ言葉をどのようにとらえるかにより、霊的、心の持ち方が変わってきます。

大きなけがに至らず、主が守られたと取るか、神の守りがなかったと取るかです。

神への信仰とは、どんな境遇や、状況でも、主に信頼し感謝を持つことです。

そして、これからの歩みにこれらの経験を生かして、プラスにしていくことです。

あなたの上に神の祝福がありますようお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰523」7月6日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰66」です。

 

人生100年とも言われる時代ですが、老後は人により大きな差が生まれます。その最大の原因は心の持ち方にあると思われます。

よく聞くことは、男性で、仕事をやめたとたん何をしたらよいかわからず、希望や人生の張り合いを失ってしまうことです。

人とのつながりも希薄になり、閉じこもりがちになる人が増えています。

しかし、すべての人への福音(グッドニュース=良き知らせ)があります。それはキリストによる霊と心と体の健康を与える救いの福音です。神のみ言葉です。

「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められることのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」Ⅰテサロニケ5:23

 

さらに、キリストによる救いを受けた者は、教会と言う、神の家族になるのです。

教会は、赤ちゃんから熟年の方までがともに集い、民族や言語を越えた愛の共同体です。

決して一人ぼっちではなく、キリストにあって神の家族です。

また、教会では一人一人使命があり、神の御心の目的があります。

神様は、あなたが必要なのです。あなたでしかできない使命がそれぞれにあるのです。

先日大阪の教会で、御用をした時、99歳になられた姉妹が元気に礼拝に出席されておられる姿に、とても励ましと勇気、感動を与えられました。存在そのものが多くの人々の祝福でした。

神様はあなたを愛し、あなたを通して他の人々に神ご自身を現わされるのです。


「神に受け入れられる信仰522」7月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰65」です。

 

7月は、別名文月(ふみづき)または、七夕月(たなばたづき)とも呼ばれるそうです。

昔の日本人は自然界の動植物や、季節の移り変わりなどを多くの大和言葉で表現しました。

梅雨明け宣言が、発令されましたが、戻り梅雨の感がする今の天候です。

雨の降り方も沢山の表現が使われています。

強い雨では、大雨、強雨、豪雨、ゲリラ豪雨、集中豪雨、鉄砲雨、篠突く雨(しのつくあめ)などです。

 

弱い雨の表現では、小雨(こさめ)、疎雨(そう)、霧雨(きりさめ)細雨(さいう)涙雨(なみだあめ)、天気雨(てんきあめ)、狐の嫁入り(太陽が出ているのに降る雨で天気雨と同じ意味)

 

いきなり降る雨は、通り雨、俄雨(にわか雨)、村雨(むらさめ)、驟雨(急に振り出しざっと降る雨)

降り続く雨は、長雨、陰雨(しとしと降る陰気な雨)、積雨(積もってい長く降り続く雨)

祝福を現わす雨は、恵みの雨、喜雨(日照りの後に降る喜びの雨)

慈雨(干ばつを救う雨)、甘雨(草木を潤すしとしとした雨)

穀雨(穀物を潤し、成長させる雨)

 

日本語(大和言葉)は、実に多彩な表現を現わし、世界でも珍しい表現力に富んだ言葉です。

イエス・キリストへの表現も実に多くの言葉が用いられていますが、

あるとき、弟子たちに問われました。人々は、人の子をだれと言うか。あなたがたは私をだれと言うか。

ペテロが答えて言いました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」マタイ16:16

イエスを、神であり、神の子メシヤ(救い主)と答えた時、イエスはペテロを幸いな者と呼び、この岩の上に「わたしの教会を建てると言われました。」マタイ16:18

イエス・キリストは神であり、全人類を救うメシヤです。

主イエス・キリストが、最高のお名前です。


「神に受け入れられる信仰521」7月4日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰64」です。

 

猛暑の後は、台風4号が沖縄、九州地方に接近し、大雨の心配が出て来ました。台風シーズン到来により、特に危惧されるのは、線状降水帯による、豪雨被害です。一昨年には熊本を中心に、日本の各地に被害が出ました。

日本は、地震、水害、火山爆発、大雪など自然災害の多い国です。

神のみ言葉です。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネ16:33

 

仏教用語で、四苦八苦と言うことばがあり、「生老病死」はその代表例です。

人生の中で、苦しみや、様々の患難、自然災害、病、人間関係の悩み、不慮の事故など、問題を数えればきりがありません。

しかし、これらすべての、問題にキリストは勝利されたお方です。人間の最大の問題は、罪と罪のもたらす死と苦しみです。

 

十字架は人類のすべての罪を背負われたキリストの愛、そしてキリストの復活は罪と死とサタンに対する完全な勝利です。

あなたに勇気を出して生きるよう、キリストが命じ、励ましておられます。

主の豊かな祝福をお祈りしています。

 


「神に受け入れられる信仰520」7月2日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰63」です。

 

連日の猛暑の中、熱中症対策で、重要なのは、こまめな水分補給です。

霊的な分野においても、同様のことが必要です。神のみ言葉です。

”イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:13-14”

 

この世においては、さまざまの問題や悩みが襲って、渇きを感じ、熱波のような試練で倒れることもあります。イエスの言葉です。「この水を飲む者はだれでもまた渇きます。しかし、わたしが与える水は決して渇くことがありません。」

 

この世の水は、また渇きますが、イエスを通して与えられる救いや癒し、聖霊の水は何時でも、どんなときにも渇くことなく、永遠の命への泉として、あなたの人生を潤してくださいます。

イエス・キリストの祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰519」7月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰62」です。

 

尾張地方は、40度近くの高温で、熱中症の危険度大の一日でした。熱中症アラートが多くの地域で発せられました。またコロナ感染のピークには、全国に緊急事態宣言が発せられました。

 

しかし、最も恐るべき、緊急事態宣言、最も恐るべき熱中症アラートとは、永遠の世界に関することです。

神のみ言葉です。

「しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの来るべき報いである。これが第二の死である。」黙示録21:8(口語訳聖書)

 

この地上での災害も、気をつけねばなりませんが、もっと恐れと関心を持つべきは、永遠の命です。

イエス・キリストの十字架を通して与えられる救いは、この世の問題や悩みの救いだけではなく、永遠の命を与える救いです。

 

このブログをご覧になっているすべての人が、否、全世界の人が救われる道がすでに完成しているのです。

キリストの十字架上の言葉です。「すべてが完了した、完成した=テテレスタイ。」と叫ばれたのです。

あなたの上に、主の永遠の救いが与えられますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰518」6月30日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰61」です。

 

連日の猛暑で、熱中症アラートの発表に注意して欲しいとの報道です。関東地方を中心に、38度から40度の暑さが、全国を襲っています。しかも日本だけでなく、世界中でかってないほどの気温上昇です。

このようなとき、夕立の雨は、一時の涼を与えてくれます。それだけではなく、渇いた大地を潤し、多くの動物、植物にいのちを提供してくれます。神のみ言葉です。

「あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。」詩篇65:9-10

 

この渇き切ったような世界、そしてこの暗闇の時代に神の恵みの雨は夕立のように、降り注ぎます。聖霊の雨、聖霊の祝福です

自然界は、異常気象の現状ですが、信仰と霊の世界において神は変わることがありません。

主よ、日本に、世界に、そしてわれらの地に聖霊による恵みの雨を降り注いでくださいと、祈らずにはおれません。


「神に受け入れられる信仰517」6月29日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰60」です。

 

地球温暖化の影響で世界的に、気温が上昇しています。

日本でも、毎日熱中症に気を付けてとのニュース報道が繰り返されています。今年6月に40度を記録したのは、今までの観測史上、はじめてとのことです。東京電力管内では、電力消費量の逼迫で節電が求められています。

神のみ言葉です。

「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りに年にも心配なく、いつまでも実を実らせる。」エレミヤ17:7-8

これから、本格的な夏の到来ですが、霊と心と体を守られる主は、新たなる聖霊に満たしを通して、暑さだけでなく、あらゆる敵、あらゆる問題に勝利し、豊かな実を結ばせてくださることを確信いたします。

猛暑の中、主の祝福と守りをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰516」6月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは「復活信仰59」です。

 

明日は、当教会において、春日井・小牧地区の牧師祈祷交わり会が持たれます。同じ神を信じ、この地域の福音化のために励み戦っておられる同労者の先生方や兄姉と共に祈ることができる恵みと幸いを、主に感謝します。

使徒パウロのみ言葉です。

「ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており・・・それは・・・あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。」ピリピ1:27-28

「日本の救い・町の救い・家族ぐるみの救い」

この町の救いは、私たち主イエス恵愛教会のビジョンであり、願いです。そしてそれ以上に、主のうめきの祈りです。

「・・・この町には、私の民がたくさんいるから。」使徒18:10


「神に受け入れられる信仰515」6月27日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰58」です。

 

本日、可児福音教会において、参議院選挙に立候補された金子みちひさ牧師のお祈り会が持たれ出席いたします。

金子師は、クリスチャン、教会牧師の立場から政治界に使命と導きを感じて立候補されました。

 

聖書の中には多くの国の政治や国家に関わるリーダーが存在します。エジプトの王子となり、その後イスラエルをエジプトからカナンの地へと導いたモーセ。ダビデ王やダニエル、預言者のイザヤ、エゼキエルなどです。

 

そして、神は皆が集まり祈りをささげる時に、聞いてくださいます。

本日の祈祷会が、主のご臨在と御心の溢れる集いとなることを願い信じます。

「まことにあなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、わたしの父はそれをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」マタイ18:19-20


「神に受け入れられる信仰514」6月25日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰57」です。

 

モーセに率いられたイスラエル人で、エジプトから約束の地、カナンに入ったのは、第一世代では、カレブとヨシュアの二人で、すべて第二世代以降の人々でした。

カナンの地に入り相続地を決める時のカレブの告白です

「:::私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。。あなたが、私の神、主に従い通したからである。」と言いました。

今ご覧の通り、主のことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。

しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今も力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」ヨシュア記14:8-11

 

人が歳を重ねることは、だれも逆らえません。しかし、いつまでも、若く活力に満ちて壮健であるのは、神に信頼し、神とともに歩み、神の与えられた使命に生き続けることです。

あなたの上に神の恵みと御力をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰513」6月24日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰56」です。

 

昨日まで、浜松で行われたJPF(ジャパン ペンテコステ フェローシップ)のカンファレンスに出席していました。

神の濃厚なご臨在の中、主に油注がれた器を通して語られるメッセージは、霊と心と体をリフレッシュし、新しい活力を与えてくださいました。

「だれでも渇いているなら、私のもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ7:37-38

 

また、フェローシップの名前が示すように神を信じ、同労者として、神に仕える者の交わりは、本当に祝福そのものです。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。・・・主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133篇

 

主と互いの交わりを通して、新しい霊とみ言葉に満たされたことを、感謝します。

日本と遣わされている地域の人々の救いと、教会のリバイバルをさらに祈り、主の働きにまい進したいです。

また、とりなしの祈りで支えてくださる兄姉に心より感謝します。


「神に受け入れられる信仰512」6月21日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰55」です。

 

明日の6月22日が、参議院選挙の公示日となります。

グッド・サマリタンチャーチ牧師の金子みちひと師が、立候補されることになりました。クリスチャンで牧師と言う立場から、日本の政治界に、使命感をもって名乗りを上げられました。

教会には、政教分離と言う考えもありますが、逆にクリスチャンだからこそ、あらゆる世界にキリストの香り、手紙、大使(コリント外にの手紙参照)として、福音を伝えることも重要と考えます

投票は、すべて個人の自由意志としてなされますが、神のみ心がなされることをお祈りしています。

 

イエス・キリストの大宣教命令は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15です。

この全世界とは、あらゆる地域、国民、民族、言語、文化、時代、世代、環境、境遇などのことです。

子供には子供の世界、老人には老人の世界、健康な人、病の人などそれぞれに世界があるように、政治と言う世界にも福音が必要と考えます。

日本の学問の世界、経済界、芸能界、スポーツ界、医学界、福祉などあらゆるところに、キリスト者が起こされ、神の栄光が現わされることを祈る者です。

「まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。」ハバクク書2:14

神の約束です。アーメン。

 

★日本ペンテコステ・フェローシップ大会(JPF)に出席のため、2日間ブログをお休みします。


「神に受け入れられる信仰511」6月20日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰54」です。

 

会の花壇に、ピンク色の大きな百合の花が咲き、とても嬉しい気持ちになりました。現在大きな花が六つ、さらに大きなつぼみが八つ今か今かと、咲き誇るのを待っています。

白百合はよみがえられたキリストの象徴ですが、ピンクの百合はとても珍しいです。

 

創造主なる神に関するみ言葉です。

「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」ローマ1:19-20

 

美しい花を見る時、神の御性質を感じます。

愛とやさしさ、清さと美しさ、そして、多くの多様性にあふれ、個々の個性を尊ばれるお方、まさに天地宇宙の創造者、力あるお方です。

使徒パウロの祈りです。

「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・。」

美しい日本、美しい世界、美しい地球、皆さんの心の目が開かれ、自然界の被造物や現象を通して、創造主なる神にお出会いできますように、お祈りしています。


「神に受け入れられる信仰510」6月18日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰53」です。

 

一昨日、韓国の世界的人気アイドルグループBTS(防弾少年団)が、活動休止の発表をしました。

その理由は様々な憶測を呼んで、韓国のみならず世界的に反響を起こしています。

アイドルの本来の意味は、偶像です。偶像とは心の中心に神でない人や物などを置き、そこに信頼や希望、思いを置いてしまうことです。

神のみ言葉モーセの十戒です。

「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」出エジプト20:4-5

 

BTSが神に変わる偶像ではないにしても、神から離れた人間は、さまざまの偶像(アイドル)を造り仕えています。お金は大切ですが、神以上にお金を第一にする拝金主義は偶像礼拝に変わってしまいます。物質主義、知識第一の学歴信仰などなど、宗教や信仰とは違う形であっても、真の創造主なる神以上に心の上位に置いているならば、神は悲しんでおられます。

真の神は生きておられます。求めれば答えてくださいます。

 

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ33:3

あなたの人生に、救いと祝福、神ご自身が、示されますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰509」6月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰52」です。

 

昨日、ぎふローズガーデンに出かけましたが、残念ながらバラの花は、最盛期を過ぎていました、しかし花が散る中にも、神の創造の御手を感じて感謝でした。

 

帰りにK教会のH牧師夫妻を尋ね、良き交わりの時が持てて幸いでした。牧師先生はご夫妻とも、いつも聖霊による活力に満ち溢れ、信仰と愛に満ち溢れていました。また、年齢を感じさせない、若さと前向きなスピリットの塊のようです。

霊と心と共に、体のためにも運動やジム通いで鍛えておられるとのことです。

会話の中に多くの励ましやアイディアを受け取ることができて本当に幸いな時間でした。

 

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこに、とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133:1-3

 

近くにこのような恵まれた教会、同労者がおられることは、感謝にたえません。

良き交わりは、神からの大きな祝福です。


「神に受け入れられる信仰508」6月16日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰51」です。

 

本日、久しぶりに、入場割引券をいただいたこともあり、可児市の

ぎふワールド・ローズガーデンに出かけます。

私の妻は、花が大好きです。創造主の神は、沢山の種類の花を造り咲かせ、多くの楽しみや安らぎを与えてくださいます。

 

バラ一つとっても、さまざまの形、色、香り、大きさ、本当に創造主は芸術家であり、園芸家であり、何よりも偉大な神ご自身です。

バラだけでなく、アジサイもあるとのこと楽しみです。

創造主なる神は、神を信ずる者に対して、すべての必要を与えられると約束されています。

 

「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:29-33

 

私の大好きな山上の垂訓のみ言葉です。

あなたの上に、創造主の御手がありますように、お祈りします。


「神に受け入れられる信仰507」6月15日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰50」です。

 

今日、名古屋聖霊病院に、入院された主にある、N姉のお兄さんを妻と共に訪問いたしました。コロナ感染防止のため、ドアのカラス越しでしたが、お祈りと交わりの時が与えられ感謝でした。

お祈りの時、N兄弟の目に涙があふれ、目が輝いたのがとても印象的でした。詩篇121篇のみ言葉を朗読し、とても幸いな時となりました。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのであろうか。私の助けは天地を造られた主から来る。あなたを守る者は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。・・・主は、あなたを行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩篇1211-6

この詩篇121篇には、「助け」が二回、「守る」が6回記されています。

また、天地の造り主なる主が、「すべての災いから、あなたのいのちを守られる。」と約束しておられます。

N兄弟、そして、主を信じるすべての者を助け守られる、真の神をほめたたえます。


 

「神に受け入れられる信仰506」6月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは「復活信仰49」です。

 

東海地方も梅雨入り宣言が、発表されました。ここ数年来、必ずと言ってよいほど豪雨災害が日本各地で発生しています。

線状降水帯にかかった地域は、とても危険です。ハザードマップなどを調べ、安全が確保されますことをお祈りしています。

 

聖書の創世記にノアの洪水のことが記されています。

”主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の表から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。これらを造ったことを残念に思うからである。」”創世記6:5-7

 

この結果「大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。」創世記6:12

神は、罪をきらう義なる神様です。

今の世は、ノアの時代によく似ています。人の悪が増大し、神を神とせず、人間が神の地位につき、罪の世が増大しています

この梅雨のシーズン、ノアのことを思わずにはおれません。

 

しかし、感謝なことに、イエス・キリストはすべての罪と死とサタンを十字架と復活をとおして、打ち滅ぼしてくださいました。

是非、教会にお出かけください。教会は現在におけるノアの箱舟です。ハレルヤ!主よ!来たりませ。(マラナタ)


「神に受け入れられる信仰505」6月13日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰48」です。

 

昨日、インタナショナルチャーチ京阪での御用をいたしました。

私自身が31年前に、仕えさせていただいていた教会での礼拝は、とても感謝と感動の時でもありました。なつかしい兄姉と旧交を温める時ともなりました。

 

使徒パウロが、各教会に手紙を送った時の最初の挨拶です。

「私たちの父なる神と主イエス・キリストから。恵み(カリス)と平安(シャローム)があなたがたのうえにありますように。」

 

恵み(カリス)はギリシャ語での当時の挨拶の言葉、平安(シャローム)は、ヘブル語での当時の挨拶の言葉でした。

恵みと平安は、交わりに欠かすことの出来ない大切な要素です。

昨日の礼拝と交わりの中に、恵み(カリス)と平安(シャローム)をとても強く感じました。

パウロはローマ人への手紙の最後、16章で繰り返し、多くの聖徒の名前を列挙して、よろしくと語っています。

教会は神の国のひな型です。愛と恵みと平安、聖霊の親しい交わりは、この世における神の国です。

この世での家庭が、教会が、国が、世界が神の国となるようお祈りせずにはおれません。


「神に受け入れられる信仰504」6月11日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

 

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰47」です。

先日アジサイ(紫陽花)は、花の色がよく変わることにより別名「七変化」「八仙花」と呼ばれることを取り上げました。

植えられた場所の土の性質や温度、日のあたり具合、風や気候条件、さまざまの環境条件により、微妙に変化し「七変化」どころか「千変化」のように感じます。

神様から与えられる愛(アガペー)も同様です。

それぞれの置かれた環境や、経験した境遇、時代や年代、そして神様が与えられた個性や性質を用いて、神の御手の中で様々な愛の色彩や香りを放つのです。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して耐えることがありません。」Ⅰコリント13:4-8

 

あなたはどのような愛の色や香りを現わすでしょうか。

人生の中での出来事すべてが、愛に変えられますことをお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰503」6月10日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰46」です。

関東地方では、突然の雹により、農作物をはじめ、ガラスが割れたり、自動車に多くの被害が出たと報道されていました。

イスラエルの出エジプトにおいて、十の災いがあり、その一つが天からの雹の被害でした。

 

「モーセが杖を天に向けて指し伸ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた。雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、またのの草をみな打った。野の木もことごとく打ち砕いた。ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には、雹は降らなかった。」出エジプト9:23-26

 

近年の自然災害は、今までになかったとか、数十年ぶりとかの、表現で頻発しています。

これらも、終末預言にある、出来事の一つかもしれません。

しかし、イスラエルの住むゴシェンの地には雹の災いが、なかったように神を信じる者に、守りの約束を与えておられます。

 

「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたの命を守られる。

主は、あなたを行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩篇121:7-8

この世と暑さの厳しき折、霊と心と体のすべての健康をお祈りしています。

 


「神に受け入れられる信仰502」6月9日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰45」です。

本日は末息子の誕生日です。私自身の年になると歳を重ねることを少しためらうことがあります。

それゆえに、私は自分の年を聞かれるときに、当年(十年)取って○○歳ですと答えることがあり、えー若いですねと言われ、実はと、種明かしをしています。

または、自分の年を干支の年(丑年です)で答え、時々ですが一回り若く思ってくださるとき、ハイハイと笑って答えています。

 

人は、歳を重ねることは、避けられません。しかし、御言葉は勇気を与えてくださいます。大好きなみ言葉です。

 

「あなたがたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ40:28-31

暑さが厳しさを増す日々、主の守りと祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰501」6月8日

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰44」です。

教会の花壇に、百合の花が色鮮やかに、つぼみから花へと開きました。

日本固有の白百合ではなく、外国産の鮮やかな朱色のような赤みを帯びた百合です。

私は花の知識が乏しいため名前はわかりません。

今、日本には外国種が多数あり、カサブランカや、オリエント百合、鉄砲百合など様々です。

アジサイも隣で、競うように咲き誇っています。

 

「荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、彼らは主の栄光、私たちの威光を見る。」イザヤ35:1-2

 

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」の本のように花も人も、神の御手の中で、御心のままに与えられた使命を果たしたいものです。

砂漠や荒れ地に咲く花も、教会の花壇に咲く花も、神の御手の中にあるとき、神の栄光が現わされます

 

生かされているときに、置かれた場所で精一杯生きるならば、幸いです。

あなたの人生の上に神の御手が置かれますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰500」6月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰43」です。

2020年4月30日より始められた教会ブログは、はや満2年の歳月を越えています。「神に受け入れられる信仰」は、本日で500回を迎え、それ以前の別のタイトルを加えると約600回ぐらいになります

ちりも積もれば山となるという言葉がありますが、継続は力なりです

聖書の有名な奇跡の中に、五つのパンと二匹の魚で5000人(当時は成人男性のみを人数に数えた。)の給食がされたことが記されています。

 

”「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」・・・そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らに欲しいだけ分けられた。”ヨハネ6:9-11

どんなに小さく見える働きでも、イエス・キリストの御手の中に用いられるとき、驚くような御業となるのです。

このブログを続けていくときに、御霊の働きがなされるようお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰499」6月6日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰42」です。

「不可能は挑戦となる」生駒聖書学院を始め、日本各地に教会を立てあげ、多くの日本におけるペンテコステ信仰の先駆けとなられた、L・W・クート師のモットーの言葉です。

聖書の中には多くの不可能が可能となられた記事が記されています。

イエスの処女降誕、多くの不思議と奇跡の御業、十字架と復活などすべてが、人間には不可能な出来事です。

ひとりの人が神を信じて、人生が変えられるという救いはまさに奇跡です。

 

世界中にこの救いの奇蹟を受け取った人々が、天の星のように、地のちりのように、浜の砂のようにあふれているのです。

「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫を数えることができよう。」創世記13:16

「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」創世記15:5

 

いずれも信仰の父、アブラハムに与えられた預言の言葉です。私たちはそのアブラハムの信仰を受け継ぐ民なのです。

日本に、私たちの教会に神はとって不可能はありません。ハレルヤ!


「神に受け入れられる信仰498」6月4日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰41」です。

本日の昼食を、末の息子ファミリーが招待してくれました。

食事を共にすることは良き交わりの時です。

神のみ言葉です。

「見よ。わたしは戸の外にあって、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中にはいって食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」黙示録3:20

 

これは、イエス・キリストがすべての人の心の戸をたたいて、人生のすべてにおいてともに歩んでくださる問いかけの言葉です。

心の戸は、その人自身の内側から開けなければはいることができません。

是非、あなたの心の戸を開いて、見てください。

あなたの人生のすべてにおいて、キリストがともにおられ、あらゆる祝福をもって満たしてくださるでしょう。


「神に受け入れられる信仰497」6月3日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰40」です。

梅雨入りを目の前にして、アジサイ(紫陽花)が、色鮮やかに、美しく花を咲かせてきましたが、アジサイ自体の花はとても小さく、花に見える部分はがくと呼ばれる部分だそうです。

花の色がよく変わることにより、別名「七変化」「八仙花」とも呼ばれるそうです。

植えられた場所の土の性質や、温度、日の当たり具合、風や気候条件、環境条件により、微妙に変化するのかもしれません。

 

神を信ずる者も、時代や、環境、境遇、文化、などにより影響は受けるかもしれませんが、キリストにしっかりと繋がり、美しく、強く、良き香りのする者に変えられたいものです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17 

 

「私たちは皆、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」Ⅱコリント3:18

 

神、キリスト、御霊による七変化です。


「神に受け入れられる信仰496」6月2日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰39」です。

中国の上海では、コロナ過のロックダウンが二か月ぶりに解除されたとの報道です。

ゼロコロナ政策により、二か月もの間、家から外出が禁じられ様々の不便と不満が市民にたまっていたとのことです。

コロナにより、多くのことが変わりました。悪い面だけでなく、良い面も生み出されました。オンラインによる仕事や会議、授業などはその一例です。

どんな事にも、二面性、または多面性があります。

人生におけるあらゆることに、神からの信仰をもって受け取るならば、すべてを益に変えられます。

「神は愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28

 

過去、現在、未来のすべてにおいて、神を愛し、信じる者に対して、万事を益となされることに感謝し、神をほめたたえます。

あなたの上の主の豊かな祝福と良き御計画をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰495」6月1日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰38」です。

妻が家に小さなメダカを飼いました。最初8匹で三種類の赤、黒、白と青のメダカが小さな器の中で元気よく泳ぎまわっていましたが、一月足らずでわずか二匹になってしまいました。

メダカは上手に育てれば、二、三年の寿命があるそうですが、水の管理が難しく残念な結果になってしまいました。

昨日に引き続き、エゼキエル書の「生ける命の水」のみ言葉です。

 

「彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。」エゼキエル47:1

 

「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所ではすべてのものが生きる。」エゼキエル47:9

この生ける水とは、聖霊のことです。人を生かす者は、御霊です。最初の人アダムが造られた時、神の息である霊が入った時に、人は生きた者になりました。創世記2:7

神から離れた状態の人間は、神の霊を失い、肉体は生きていても、霊が死んでしまいました。

肉体の命は、この世限りです。今は人生百年とも言われますが、永遠ではありません。

しかし神の御霊、すなわち生ける命の水が入るとき、人は永遠の救いが与えられるのです。新しい天と新しい地である御国の光景です。

「見よ。神の幕屋が人と共にあり、神が人とともに住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」黙示録21:3-4

永遠の命にまさるものはありません。主の救いをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰494」5月31日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰37」です。

 

先日某大学の野球部員が熱中症になり、救急車を呼ばず、車で運び手当てが遅れ、死亡するという悲しい事故が起こりました。

熱中症とは、体温が上がり、体内の水分や塩分のバランスが崩れたりして、体温の上昇やめまい、けいれん、頭痛などのさまざま症状を起こす病気のことです。

水分補給と適度な塩分補給はこれからの季節とても重要です。

同様に信仰面、霊的面でも水分即ち、御霊の生ける水が特に必要です。

私の大好きな二つのみ言葉です。

イエスは立つて、大声で言われた。

「だれでも渇いているなら、わたしの所に来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ7:37-38

 

「川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その実も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。エゼキエル47:12

これから、本格的な夏の暑い季節に入りますが、御霊の水を飲んで、ヘルシーな、霊と心と体の持ち主となり、熱中症などに負けず、歩みましょう。


「神に受け入れられる信仰493」5月30日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰36」です。

聖書で雨は、神の恵みとしてとらえられています。

日本も梅雨のシーズン間近で、各地で梅雨入り宣言が出始めました。

 

イスラエルでは、雨が降るととても喜び、神に感謝をささげます。

聖書のみ言葉です。

「シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主はあなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。」ヨエル2:23-24

イスラエルにおいては、一年の中で前の雨(秋の雨)と後の雨(春の雨)が必ず降ります。

ヨエルが預言したみ言葉は、初代教会の聖霊の御業と、大収穫を現わしています。終末には聖霊による恵みが、前と後の雨が、同時に降ることを、約束する大リバイバルが起こるのです。

神の預言は、必ず成就します。今、見える現実よりも、神の約束の現実のほうがまさるのです。

今の日本の状況や、世界の情勢の背後に、神の御計画がなされるのです。

主の恵みの雨の到来を、切に祈り求めます。共に祈りましょう。


「神に受け入れられる信仰492」5月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰35」です。

神の愚かさは、人の賢さにまさります。

 

使徒パウロが、コリントに福音を伝えた時の言葉です。

「そして、私のことばと宣教とは、説得力のある知恵の言葉によって行われたものではなく、御霊と御力の現われでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」Ⅰコリント1:4-5

コリントの町は、当時、倫理的にも、道徳的にもとても堕落しており、パウロは御霊と御力の宣教を伝えました。

神は、人の知恵によらず愚かに見える宣教によって霊の救いを伝えたのです。

神の四つの愚かに見えることがらでした。

1・十字架の愚かさ Ⅰコリント1:18

2・宣教の愚かさ Ⅰコリント1:21

3・選びと召しの愚かさ Ⅰコリント1:26-29

4・御霊の愚かさ Ⅰコリント2:14

詳しいことは、ぜひお近くの教会にお出かけください。

ちなみに私たちの明日の礼拝メッセージは、「神の愚かさは、人の賢さにまさる」です。

 

人間の教育、宗教、政治、科学などが今日ほど進んだ時代はありません。

この時代に神の愚かに見える福音が、本当の幸いを与えるのです

逆に神を否定し、人間の力や知恵を誇り神を忘れる者が、本当の愚かな者です。ウクライナのロシアによる侵略戦争ほど、愚かなことはありません。

あなたの上に神の御業がなされますことを、お祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰491」5月27日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰34」です。

今朝は、久しぶりの本格的な雨の到来で、田畑が潤い多くの農家が喜ばれたことと思います。

私たちの教会の周りにある水田にも水が張られ、夜にはカエルの鳴き声が聞こえるようになりました。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の有名な句がありますが、単純な言葉の中に、カエルが池に飛び込む光景が目に浮かび音まで聞こえてくるようです。

イエスキリストのお言葉も多くは、シンプルでストレートに感じますが、とても深く真理そのものを伝えています。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪びとを招いて、悔い改めさせるために来たのです。」ルカ31-32

人間はすべて罪人です。病気の人が医者の必要を感じるように、自分の罪を悟り悔い改め、救い主なるイエス・キリストを信じる者は幸いです。

 

人生は長いようで一瞬です。永遠の救いがキリストにより備わっています。

あなたの上に、聖霊の生ける水が注がれますことをお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰490」5月26日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰33」です。

矢作川から、取水する取り入れ口に大きな穴が開き、漏水により水が引けなくなり、工業用水、農業用水、共に大きな打撃を受けました。特に、田植え時期に田んぼに水が引けず農家の人々が困難を覚えています。

すべての生き物は水が無くては、生存できません。

「この川の流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべての者が生きる。」エゼキエル47:9

この預言は、聖霊の満たしを指しています。イエスの言葉です。

”さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って言われた。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。・・・」ヨハネ7:37-39

今の渇き切ったような世界に日本に、聖霊の生ける水が、注がれることを祈らずにはおれません。

何故なら、すべての救いも、癒しも、満たしも、この生ける水にあるからです。聖霊の豊かな祝福をお祈りいたします。


神に受け入れられる信仰489」5月25日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰32」です。

久しぶりに、新幹線に乗り、窓から見えるのは新緑豊かな景色です。特に多くの所で田んぼに水が入り田植えのシーズン到来を思わせています。

日本全国に平和な里山風景が見られますが、片やウクライナでは、ロシアの侵略戦争により美しい国土が荒らされて、小麦の種まきや収穫に多大な被害が予想されます。その結果、世界の各地で飢饉の被害も想定されます。たった一つの国、一人の人の戦争実行の故、世界中が苦しんでいるのです。「一人は世界のため、世界は一人のため」と言うことばがありますが、神のみ言葉です。

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊っとばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」Ⅰコリント12:26

私たちは、全世界が、神からつくられた神の共同体であり、同じ体であることを、知らなければなりません。主の祝福をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰488」5月24日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰31」です。

先週の土曜日より、久しぶりになると、坂出、倉敷と旅をいたしました。

 

コロナ禍のおり、新幹線をはじめ、すべての駅や町行く人のすべてがマスク着用でした。ノーマスクの人を見つけることが困難でした。これもコロナ禍ゆえの光景です。

外国では、マスクを着用せず外す人が多数の国もありますが、日本の国民気質もあり、当分は続くことと思われます。神のみ言葉です。

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:10-12

イエス・キリストはすべての人の罪の救い主です。すべての罪の感染から解放され、死ではなく命、わざわいではなく、祝福の神です。

あなたの上にキリストの救いと祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰487」5月21日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰30」です。

昨日、近くの教会で持たれた、今度参議院「全国」比例区に出馬される金子道仁(みちひと)牧師の祈り会に参加しました。

金子牧師が、政治界に進出する理由やビジョンなどをお聞きし、とても感動と納得、そして応援の気持ちをいただきました。

金子師は、神第一、信仰第一、そして神の愛(アガペの愛)の実践をしたいとのことです。

ホームページはwww.kanekomichihito.jpです。

よろしければ、金子師のプロフィール等ご覧ください。

日本の社会に、神の御国が御心がなされますようにと、訴えておられました。

主の御言葉です。

”あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたの古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。”イザヤ58:12

金子師と、お働きの上に神のみ心と、祝福がありますように。アーメン。


神に受け入れられる信仰486」5月19日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰29」です。

本格的な夏を思わせるような、暑さの日々がやってきました。

人生には、春夏秋冬のような季節がありますが、夏の季節に働く者は賢い者と語られています。

「この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知者だ。蟻は力のない種族だが、夏のうちに食料を確保する。岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。いなごには王はないが、みな隊を組んで出て行く。やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。」箴言30:24-28

 

あなたは、今どの季節を歩んでいるでしょうか。春は、種を蒔く準備の季節。夏は汗水流して働く季節。秋は収穫の季節。そして冬は永遠に備える季節です。

夏に食料を確保する蟻は、小さいけれども知恵のある賢い生きものとしてたとえられています。

しかし、もっと賢い者は、霊魂の救い主イエス・キリストと共に働き、永遠の実を結ぶように生きることです

あなたの、人生の夏が祝されますことをお祈りいたします


「神に受け入れられる信仰485」5月18日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰28」です。

今、全世界に気象変動が起こっています。特に地球温暖化の影響からくる様々の現象です。

南極と北極、アルプスの氷やツンドラ地帯の凍土が溶けているそうです。

今人類が、最も重要な時に関わらず、ウクライナを始め、国と国、民族同士、果ては個々人の争いまで、罪の増し加わる所に不具合が生じています。

 

人間中心主義ではなく、神のみ心に生きることが、本来の人の歩みです。

私は、いつもこのみ言葉を祈っています。

「主があなた(人類)を祝福し、あなた(人類)を守られますように。主が御顔をあなた(人類)に照らし、あなた(人類)を恵まれますように。主が御顔をあなた(人類)に向け、あなた(人類)に平安を与えられますように。」民数記6:24-26

 

神以外に、人類の本当の救いも幸いもありません。主よ。来たりませ。(マラナタ)


「神に受け入れられる信仰484」5月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰27」です。

ロシアのウクライナ侵略により、北欧のフィンランドとスウェーデンが、NATO加盟申請との報道が流れています。ロシアのウクライナへの戦争は、NATO勢力を拡大させないとの思惑でしたが、結果として北欧にNATO勢力を拡大することになりました。

 

人間の罪や欲望はかえって身の破滅を招くだけです。

「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」ヤコブ1:15

上記のみ言葉の通りです。国でも、家庭でも、個々人でも、罪の支払う報酬は死です。

ロシアの文豪トルストイの描いた、短編小説「靴屋のマルチン」の中に、神の存在は愛の中に存在し、神は愛であると説いています。

しかし、同じロシアのプーチンにより、愛と真逆の大量殺戮が行われているのです。

 

神の愛のみ言葉です。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちも互いに愛し合うべきです。いまだかって、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにおられ、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのです。」Ⅰヨハネ4:10-12

 

神が憎しみを愛に、争いを平和に変えてくださるよう祈ります。


「神に受け入れられる信仰483」5月16日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰26」です。

コロナ患者は、ゼロと報道していた北朝鮮で、コロナ感染が確認され、おとといは、17万人、昨日は29万人、そして本日の発表では、発熱した人が39万人、累計で121万3千人とのことです。

北朝鮮では、PCRキットなどが不足のため、発熱患者の数を発表とのことです。

核爆弾やミサイル開発に、多額の費用をかけ、人々の生活が困窮しているのです。

 

神のみ言葉です。「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」Ⅲヨハネ2節

神は、世界中のすべての民を愛しておられます。北朝鮮に、福音が伝えられ、かつて東洋のエルサレムと言われた平壌(ピョンヤン)に、十字架の教会が立ち並ぶようにお祈りします。

エゼキエルの預言です。

”主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんとその谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。

主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。

私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」

主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。」エゼキエル37:1-5

 

終わりの時代に神は、世界中に神の栄光を現わされると預言しているのです。


「神に受け入れられる信仰482」5月14日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰25」です。

人には、それぞれ神から与えられた使命があります。特に神を信じ、神の子とされたクリスチャンはなおさらです。

この度、6月の参議院選挙に、グッド・サマリタン・チャーチ牧師の金子道仁(みちひと)師が立候補することになりました。

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」Ⅰコリント6:20

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」Ⅰコリント10:31

金子氏は、元外務省職員として、スペインの大使館勤務など、外交、教育、福祉に造詣が深く、今の政治界の中で、神のみ心、人々の救いと幸い、神の栄光を現わしたいとの思いです。

わたしも、今の日本に、キリスト信仰を持ったクリスチャン政治家の出現を祈り待ち望む一人です。

「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。」ローマ8:19

すべての歩みの上に、主のみ心と祝福が、与えられますようお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰481」5月13日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰24」です。

今日から明日にかけて、東海地方も大雨との予報が出されています。この頃の天気予報はよく当たります。聖書のみ言葉です。

あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる。』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。そんなに良く、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。」マタイ16:2-3

 

今の時代に世界中で起こっている出来事や現象は、イエスの預言した終末のしるしとよく似ています。(マタイ福音書24章参照)

特に民族は民族に国は国に敵対し戦争のうわさを聞くとのことは、ウクライナを始め世界中で起きています。

しかし、この世界も、いつの時代にも主権者なる神がおられます。

この頃の祈りは、主の祈りにあるように、「・・・御国が来ますように。御心が天で行われますように地でもなされますように。・・・」マタイ6:10 神の主権が現われることです。

このブログをご覧になっておられるすべての方が共にお祈りくださいますように。アーメン。


「神に受け入れられる信仰480」5月12日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰23」です。

2020年の日本人の平均寿命は、男性が世界二位の81.64歳、女性が世界一位の87.64歳とのことです。

私の尊敬するH牧師は、83歳ですがとても若々しく、頭脳明晰でまるで青年のような雰囲気です。年齢を重ねると、人により変化が大になり見た目も雰囲気も差が生まれてしまいます。聖書のみ言葉です

「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」申命記34:7

 

時々認知症の予防などのテレビ番組などが、ありますが、年を重ねてもいつまでも若々しくありたいものです。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまでも創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には、活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまづき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ40:28-31

 

平均寿命が長くなるのは、幸いですが大切なのは健康寿命です。しかし、もっと重要なのはキリストの救いから生まれる永遠の命です。

主の救いと祝福をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰479」5月11日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰22」です。

メジャーリーグで、大谷翔平選手の活躍が、今年も多くのファンの心をつかんでいます。

小さい時より、大リーグで、投打の二刀流でプレイする夢を実現していることに驚きと感動を覚えます。

聖書のみ言葉です。

「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言をする。・・・しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」使徒の働き2:17-21

 

クリスチャンも、共同体である教会も、夢と幻が、必要です。それは、聖霊の注ぎによる人々の救いです。神の約束は、真実です。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」

私たち、主イエス恵愛教会の夢は「日本の救い、町の救い、家族ぐるみの救い」です。

朝ごとに、日ごとに、夜ごとに主への祈りが積まれるとき御霊が働くのです。

 

「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなされた。』主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。」詩篇126:1-3

夢の実現を信じます。


「神に受け入れられる信仰478」5月10日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰21」です。

ようやく花粉症の終わりの季節になりましたが、まだ少し残っているように感じます。

5月は、庭に咲く花も色とりどりで、とても過ごしやすい季節です。

人生においても順境の時と逆境に思える時があります。

大切なのは、どんな時でもインマヌエル(神共にいますの意味)の神、主イエスキリストと共に歩むことです。

有名な詩篇を紹介します。

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。

 

私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」詩篇23篇

あなたの人生、全てに主が共におられる祝福をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰477」5月9日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰20」です。

今日、ロシアにおいて、ナチスドイツへの戦勝記念日とのことで、軍事パレードやプーチン大統領による演説と、ウクライナへの軍事行動(侵略戦争)の目的や理由などが述べられました。

しかし、いかなる、理由付けをもってしても侵略戦争の事実は変えられません。

戦争は最大の罪です。多くの民間人を含め、乳児、子供、若者、女性、高齢者そして軍人と多くの人々の命を奪い、傷つけ、すべてを破壊するからです。

神のみ言葉モーセの十戒です。「あなたは、殺してはならない。」出エジプト20:13

人間の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありません。いつの時代、どこの場所でも戦争は耐えることがありません。様々の理由がありますが、根本理由は人間の罪です。

 

イエス・キリストはすべての罪の代価として十字架で罪のない血を流し、救い主として救いを完成してくださいました。

一日も早い戦争の終結を祈らずにはおれません。

 

「平和を造り出す者は、さいわいです。その人は神の子と呼ばれるからです。」マタイ5:9

ロシアとウクライナに、神からの平和が造り出されますように。特にロシア国民に真実な報道がなされ、真実が明らかにされ、戦争反対の大きなうねりが起こされますように。

「それは、人にはできないことですが。しかし、神にはどんなことでもできます。」マタイ19:26

これは今の私の最大の祈りですが、何よりも神の最大の願いです。


「神に受け入れられる信仰476」5月7日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰19」です。

光陰矢のごとしと言うことばが、現すように月日の流れるのは、あっと言う間に過ぎ去ります。ゴールデンウイークも明日で終わりを告げます。

伝道者ソロモンのみ言葉です。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬるのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。・・・捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。引き抜くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。」伝道者の書3:1-8

 

この地上での時は、一瞬です。しかし、人には永遠と言う世界がやってくるのです。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」伝道者の書3:11

時を制する者が、賢い人です。ぜひ、永遠への備えをする知恵深い者となって下さい。

明日は、日曜日です。

最後のゴールデンウイークに神への礼拝を献げる人は、神に喜ばれる賢い人です。

主の祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰475」5月6日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰18」です。

いよいよ春から初夏を感じさせるような、今日この頃の暖かさです。5月は気温の急上昇の変化にに、体がついて行けず熱中症にもなりやすいとのことです。

また、5月病と言うように新しい環境やシステムに馴染めず、鬱になりやすいとも言われています。

有名な某タレントが自ら命を絶ったとの悲しい報道も流れています。

聖書の有名な救いと平安を与えるみ言葉です。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、私から学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびき負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ11:28-30

ここでイエスは、二つの平安を示しています。

一つ目は、キリストのもとにいっさいの重荷や悩み、わずらいを委ねて休むことです。

二つ目は、キリストと共に歩み活動することです。

くびきを共にするとはイエスと共に働き歩むことです。イエス・キリストは重荷を取り除くとともに、新しい活力を与えてくださるのです。

詳しいことはお近くの教会にお出かけください。

あなたの人生に神の祝福をお祈りしています。


「神に受け入れられる信仰474」5月5日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰17」です。

今日は子供の日ですが、元々は、端午の節句で、男の子を祝う日でした。

1948年に「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」祝日になり、子どもの日と制定されたそうです。

イエスさまも子どもを、とても愛されたことが聖書にしるされています。

 

あるとき、弟子たちが、イエスに尋ねました。

”「天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」”マタイ18:1-5

日本では、少子化の影響で、子どもの声が町の巷で少なくなりました。家庭も国も世界も、将来の希望は、子どもたちにかかっています。

神の国である教会に、多くの子供たちがあふれ、日本を教会を活性化させてくださるよう、切に祈るものです。

 

「見よ。子供たちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語るときにも、恥を見ることがない。」詩篇127:3-5


「神に受け入れられる信仰473」5月4日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰16」です。

昨年のゴールデンウイークと比較して、今年は日本全国の人出が増え、観光地にも活気が取り戻されているとの報道でした。

世界に目を向けると、マスクを外している光景が、目につきますが、日本ではまだ、ほとんどの人がマスクを着けています。

日本の国民性は同じように合わせる気質があります。

「和を持って尊しとなす。」聖徳太子の17条憲法にある言葉ですが、元々は孔子の論語の言葉の引用だそうです。

日本人の「和をもって尊し」の精神は、良い面と悪い面、プラスとマイナス面があります

どんな事にも、陰と陽の部分があります。

マスク着用にも、両面があり、さまざまの意見があります。

何事にも、自らの確信を持って行動したいものですが、互いの徳が高められることが大切です。

「平和に役立つことや、互いの徳を高めることを、追い求めようではないか。」ローマ14:19(口語訳聖書)

イエスはすべての事を、愛をもって行い、パウロは互いの徳を高め合うようにと、語っています。

しかし、判断はそれぞれが、TPO(時と所と場合)に応じて判断すべきです。

ちなみに、私は、今の時点ではマスク愛用者です。


「神に受け入れられる信仰472」5月3日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰15」です。

5月3日は、憲法記念日であり、ゴールデンウイークの真ん中に当たります。

日本国憲法の三原則とは、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重です。

世界中、どの国でも法律がありますが、その形態はさまざまです。

神の国では、律法がこれに該当し、聖書、モーセの十戒がこれにあたります。

イエスにひとりの律法の専門家が「律法の中で最も大切な戒めはどれですか。」と尋ねました。

「イエスは彼に言われた。心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』と言う第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」マタイ22:37-40

国の中心は、憲法にありますが、神の国の中心は、神と人への愛です。

人間の持つ愛を越えた神の愛(アガペー)で愛し合うならば、そこに神の国が到来するのです。

主の祈りの一節です。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」マタイ6:10

ウクライナを始め、全世界に神の愛による統治がなされるように、お祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰471」5月2日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰14」です。

ゴールデンウイークも前半が終わり、明日より後半に入ります。

ゴールデンウイークに、付きものなのが車の渋滞です。

人生においても、行き詰まりのような渋滞の時があります。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」伝道者の書7:14

人生におけるすべての中に、神をお迎えして受け取るならば、全ては益に変えられます。

私の大好きなみ言葉であり、私の人生のモットーでもあります。

「心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6

長い人生には、いろいろな場面がありますが、どんなときも、どんな所でも、どんな境遇でも主を認める人は幸いです。

人生のゴールデンタイムは、いつもどんなときにも主と共に歩むことです。

皆さまの上に、主の豊かな恵みと祝福をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰470」4月30日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰13」です。

牧師であり、ゴスペルシンガーソングライターの小坂忠さんが、昨日天に凱旋されました。

教会の礼拝音楽や賛美リードなどで、日本の教会を導いてくださったことを心より感謝申し上げます。

奥様の高叡華先生ミクタムレコード代表と共に、主と人々と音楽を愛し、名前のごとく主に忠実なクリスチャンでした。

「死に至るまで、忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」ヨハネ黙示録2:10

忠先生の愛と信仰から、あふれ出た神への賛美と、優しく温かな笑顔を昨日のように思い出します。

天で多くの報いを受け、日本と世界の救い、平和をとりなし祈っておられることと思います。

忠先生、沢山の賛美と愛をありがとうございました。

天での再会を楽しみにしています。

高先生とご家族、御教会、関係者の皆様の上に主の慰めと励ましをお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰469」4月29日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰12」です。

今日よりゴールデンウイークが始まりますが、最長の人は10連休とのことです。

コロナ禍ですが、日本各地で車の渋滞や混雑が予想されます。海外にも少しづつ、行かれているようです。コロナ過の中での、メリットはオンラインによる生活が加速されたことです。

あなたの生活にはどのような変化が、現れたでしょうか。

人の営みには、絶対に無くてはならないものと、日々変化したほうが良いもの、どちらでも良いものとがあります。

絶対に無くてはならないものとは、神への信仰です。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」ヘブル11:1-2

へブル人への手紙11章には、沢山の信仰の勇者が列記されています。

昔も今も、神は本物の信仰、不屈の信仰を求めています。

最高の信仰の模範者は、イエス・キリストです。このお方の信仰に倣う者となりましょう。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」ヘブル12:2

お勤めの日も、ゴールデンウイークのようなお休みの時も、いつもイエスから目を離さないで歩みましょう。

良きゴールデンウイークをお過ごしください。


「神に受け入れられる信仰468」4月28日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。』ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰11」です。

今日は、コロナ禍で、途絶えていた東海地区ペンテコステ牧師の交わり、ハーベストフェローシップが持たれ感謝でした。

久しぶりにマスク越しですが、敬愛する先生方との再会は感動と喜びに満たされました。

 

「見よ。兄弟たちが一つとなって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133篇

 

それぞれが、二分間の短い証しや近況報告する中にも喜びと笑いがあふれ、詩篇133篇そのものでした。

これも、一人ひとりに、復活されたイエス・キリストの命があるからであり、同じ神に対する信仰と愛、救いのすばらしさを賛美せずにはおれません。

主の祝福がハーベストフェローシップと各教会の上に益々注がれることをお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰467」4月27日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰10」です。

中国の上海ではコロナ感染予防のために、2630万人の市民がロックダウンで外出制限がかけられて不満が爆発寸前とのことです。

日本でも、コロナ感染第7波が叫ばれています。主の守りのみ言葉です。

「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と。

主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人があなたの右手に倒れても、それはあなたに近づかない。・・・」詩篇91篇

何という幸いな約束の言葉でしょう。復活信仰とは、どんな困難な中でも、神の約束を堅く握り、最善を信ずる信仰です。

主なる神は生きておられます。感謝と祈り。


「神に受け入れられる信仰466」4月26日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰9」です。

ロシアによるウクライナへの侵略戦争がはじまり、二か月以上になりますが、一向に戦争終結の兆しが見えません。

ロシアのプーチンは、5月9日の対独戦勝記念日までに、有利な状態にして、国民に戦果を報告したい強い願いです。

個人であっても国家であっても、人は蒔いたものを必ず刈り取ります。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ6:7-9

今回のロシアによる戦争は、「プーチンによるプーチンのためのプーチンによる戦争だ。」と言われています。神の前に、

「人は一度死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが定まっている。」ヘブル9:27

復活信仰とは、神の正しい審判がなされる信仰です。

私たちがなすべきことは戦争に反対し、神の前にとりなしの祈りを続けることです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」ルカ2:14


「神に受け入れられる信仰465」4月25日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰8」です。

北海道の知床で、悲しい観光船の事故が、起こりました。

気象情報で、風や高波への注意報が出ていたにもかかわらず、出港したことが事故の大きな要因との報道です。

聖書の中にも沢山の情報がありますが、中には警告や注意喚起のようなみ言葉もあります。

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲にひかれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たちだまされないようにしなさい。」ヤコブ1:13-16

人間への最大の警告は罪への警告です。欲の種が罪を生み死に至らせるのです。

しかし、感謝なことに、罪に対する勝利と救いをキリストが取ってくださいました。

「・・・御子イエスの血はすべての罪から私たちを清めます。」Ⅰヨハネ1:7

病や事故の時119番通報をするように、救いと勝利への119番のみ言葉です。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真理で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちを清めてくださいます。」ヨハネ

罪の嵐に打ち勝つみ言葉です。


神に受け入れられる信仰464」4月23日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル1111:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰7」です。

最近の暗いニュースが多い中で明るいニュースがありました。ロッテの佐々木朗希投手が完全試合を行い、13人連続を含む19奪三振の快挙を成し遂げました。

しかもこれで終わりではなく、次の試合も8回まで、圧巻のパーフェクトピッチングでした。

時に、良きニュースは、人の心を喜ばせ明るくするものです。

聖書のみ言葉です。

「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。」箴言25:25

 

更に素晴らしいニュースがあります。イエスキリストの福音です。

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、わたしがあなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

わたしがあなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って、三日目によみがえられたこと」Ⅰコリント15:1-4

キリストの十字架と復活が福音の中心です。

どんな人のどんな罪も、罪の結果である死も、この福音が救いと勝利に導くのです。

あなたにとって最も良き知らせは、キリストの福音です。愛と命の復活信仰です。


「神に受け入れられる信仰463」4月22日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰6」です。

復活を象徴する花は白百合です。「イースターの朝には白百合を生けましょう」と言う有名な賛美歌があります。

冷たく長い冬を地中で過ごし、春から夏にかけてほのかな香りと共に白く清い花を咲かせる白百合は、キリストの復活そのものです。

長い人生には、時として暗く冷たい冬のような季節があります。このような時必要なのが復活信仰です。

”「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。:::すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。”ヘブル12:5-12

あなたの人生に、キリストから与えられる復活信仰の祝福をお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰462」4月21日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰5」です。

 

イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。・・・。」

そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」

すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。ヨハネ11:40-45

 

この出来事は、マリヤとマルタの兄弟ラザロが、死からよみがえったイエスによる奇跡です。

イエスはメシアとして、自らの証言、人々の証言、父なる神の証言、聖書のみ言葉、そしてイエスがなされたしるし(奇跡のわざ)を見て信じる者になりなさいと言われました。

最大のしるしは死からの復活です。

イエスはやがて十字架で死に、預言のとおりに三日目によみがえられますが、その前触れとして、死んでいたラザロをよみがえらせました。

人間にとって死は、だれも避けられませんが、これは肉体の死だけではなく、罪の結果の霊魂の死も含まれます。

ラザロの命をよみがえらせたイエスは、言われます。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」ヨハネ11:25-26

あなたの上に復活の命が与えられることをお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰461」4月20日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰4」です。

復活信仰の代表的人物は、信仰の父と呼ばれるアブラハムです。

アブラハムは、75才の時あなたの子孫は天の星のように、地のちりのように、浜の砂のようになるであろうという神からの約束をいただきました。

「そのようなわけで、世界の相続人になることは、信仰によるのです。・・・『わたしはあなたをあらゆる国の人々の父とした。』と書いてある通りとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

 

それは、『あなたの子孫はこのようになる。』と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎が死んでいることを認めてもその信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」ローマ4:16-22

復活信仰とは、どんなに不可能に見えても、困難があっても、神の約束を握って、疑わず、堅く信じる信仰です。

あなたの上に、アブラハムの復活信仰が与えられますようお祈りいたします。


「神に受け入れられる信仰460」4月19日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰3」です。

イエスは復活された後、多くの場所で多くの人々にお姿を現されました。

イエス・キリストの十字架は、エジプトから救い出された、過ぎ越しの祭りの成就です。

エジプトでの、この行為は、わざわいから救われた記念としてすでに予表されていました。

イスラエルには、イエスの救いを予表する年間7つの祭りが定期的に定められ行われました。

過ぎ越しの祭りの次は初穂の束の祭りが行われました。

「わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたがはいり、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持ってくる。祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を主に向かって揺り動かす。祭司は安息日の翌日それを揺り動かさなければならない。」レビ記23:10-11

この初穂の束の祭りは、キリストの復活を予表するものです。

第一に、初穂の束を揺り動かすとは、死んでいたイエスが死者の初穂としてよみがえられたことです。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」Ⅰコリント15:20

第二に、この祭りは安息日の翌日、すなわち週の初めの日に行われました。キリストが週の初めの日によみがえられることの予表です。

聖書の中で、メシヤに関する、すべての出来事は預言され、その通りになされたのです

エマオに旅する二人の弟子にもイエスは、復活の姿を現されました。

最初、霊の目が閉ざされていた二人は、キリストが目の前に現れたのにわかりませんでした。

しかし、霊の目が開かれた時、イエスだとわかり心が燃えたのです。

「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇に書いてあることは、必ず全部成就するということでした。そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。『次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、・・・あなたがたは、これらのことの証人です。」ルカ24:44-48


「神に受け入れられる信仰459」4月18日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰2」です。

イエスが復活された朝、一番最初にキリストにお出会いしたのはマグダラのマリヤでした。

「さて、週の初めに日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。」マルコ16:9

なぜ、マグダラのマリヤが最初に復活のイエスに会われたのでしょうか。

それは、だれよりもイエスに対する感謝と愛が深かったのだと思われます。

罪を多く赦された者は、多く愛するとイエスは言われました。

 

「すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のつぼを持ってきて、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。」ルカ7:37-38

「だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし、少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』そして、女に『あなたの罪は赦されています。』と言われた。」ルカ7:47-48

 

マグダラのマリヤは、だれよりも多く罪を赦されたと感じていました。それは、人との比較ではなく、神に対する心と霊の認識でした。

十字架で死なれたイエスの復活をなによりも、強く待ち望んでいたと思われます。

神は、神を愛する者に必ず現れてくださいます。マグダラのマリヤがその人です。


神に受け入れられる信仰458」4月17日

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰1」です

本日はキリストが、甦られたイースターです。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」ヨハネ11:25-26

死んでいたラザロの姉妹に対する励ましのみ言葉です。

使徒パウロは復活信仰が、キリスト信仰の中心であり、もし復活がなければ、その信仰はむなしいと繰り返し語っています。

「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちに宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のない者になるのです。」Ⅰコリント15:13-14

「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」Ⅰコリント15:17

 

「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。と言うのは、死がひとりの人を通してやって来たように、死者の復活もひとりの人を通してきたからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるからです。」Ⅰコリント15:17-22

キリストの復活は、永遠の命の保証であり、完全な救いの実現です。

罪と死とサタンに対する完全な勝利を取られたのが、イースターであるキリストの復活です。