「神に受け入れられる信仰684」1月23日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰224」です。
本日、NHKのクローズアップ現代で、日本の酪農家が危機に陥っているとの報道がなされていました。
昨年だけで、北海道の200の酪農家が、廃業に追い込まれたそうです。
ロシアとウクライナの戦争やコロナ感染の影響で、餌飼料の高騰、そして学校の給食が休校などにより需要減少、更に観光の減少などでホテルや旅館、飲食業界の需要減少など様々の要因による結果とのことです。
国や政府は、数年前バター不足が起きた時、酪農家に牛を増やし生産拡大を求めました。
しかし今度は需要を減らすよう政策決定をしました。生きものである乳牛は工業製品のように簡単に増加したり減少させることはできません。
その結果、国内の酪農家にしわ寄せがくるにもかかわらず、外国から大量の乳製品を輸入しているとのことです。
政治の無策の結果、日本の食糧需給率は、危機的状態です。
農業は国の土台であり、食料がなければ国も国民も成り立ちません。神のみ言葉です。
「家(国)は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。部屋は知識によって、すべて尊い、好ましい宝物で満たされる。知恵のある人は力強い、知識のある人は力を増す。
あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。」箴言24:3-6
日本の酪農の危機の報道を見て、このみ言葉が浮かんできました。
主よ。良き能力のある政治のリーダーを日本に与えてください。
国の破れを繕ってください。
「神に受け入れられる信仰683」1月21日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰223」です。
中国では、明日より春節(旧正月)に入り、大型連休で、延べ21億人の大移動が行われるとのことです。
ゼロコロナからウイズコロナに政策を切り替え、コロナの大感染が心配されます。
中国の沢山の人々が、外国旅行に出かけるので変異株による拡散も懸念されています。
日本を始め各国で水際対策を講じていますが、経済との関係ですべてがストップではありません。
しかし、コロナより恐ろしい感染があります。それは罪の感染です。
最初の人アダムに入った罪が、全人類に感染しています。
この罪から救われ、解放される道は、イエス・キリストの十字架です。神のみ言葉です。
「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」ローマ6:6
罪の感染から救われた者が、本当の人生の勝利者であり、最も幸いな人なのです。
あなたの上に、キリストの救いをお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰682」1月20日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰222」です。
大相撲初場所が、残り二日となりました。今場所は横綱不在で、大関も一人と言う状態です。
そのためか、最近はだれが優勝するかわからず、平幕力士の優勝が多くみられます。まさに群雄割拠の戦国時代のようです。
聖書のみ言葉です。
「指導者がなければ民は倒れ、助言者が多ければ安全である。」箴言11:14(口語訳聖書)
大相撲では、強いリーダー的力士がいないので、だれが最後に勝つかわからず面白い状況ですが、この世の世界において民を導く真のリーダーがいない世の中は乱れ、民は倒れるです。
今の世界の状況は、真のメシア(救い主)が2000年前に来られたのに、霊の目、心の目が閉ざされてしまった人間は、さまざまの宗教、思想、教育、考えなどをそれぞれが信じるまさに、迷える羊のような状態です。聖書は人間を迷える羊にたとえています。
羊には良き羊飼いが必要です。
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、ひとりの牧者、一つの群れとなるのです。」ヨハネ10:14-16
真の指導者なるキリストにより救われ、導かれる民は何と幸いなことでしょう。
「神に受け入れられる信仰681」1月19日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰221」です。
本日ネパールの姉妹が、教会を訪れ良き交わりの時を持ちました。
彼女は、技能ビザで来日し、約7年飲食関係の働きをしていますが、良き信仰を持ったクリスチャンです。
しかし伺うところによると、働く環境や待遇面でとても厳しい状況にあります。日本人なら当然受けることの出来る、健康保健や、年金、休日期間、収入面などが、差別的待遇の感じさえ受けてしまいます。
神のみ言葉です。
「もしあなたがたの国に、あなたと一緒に在留異国人がいるなら、彼(彼女)をしいたげてはならない。
あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。」レビ記20:33-34
現在外国から、多くの人々が日本に働きに来ています。
これら、在留異国人と呼ばれる人たちに対する、公正で公平な差別のない関わりを日本政府や企業など、すべての人たちにもってほしいものです。
このことが、真の外交になると信じます。
教会の使命は、そのために存在するのです。
「こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」創世記28:17
「神に受け入れられる信仰680」1月18日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰220」です。
今年の花粉予想は、昨年の約10倍とのことです。
毎年、花粉症で苦しんでいる私としては、何ともやりきれない花粉予想です。
地球温暖化の影響でしょうか。自然界に異変が次々に起こっています。大阪湾の淀川河口にクジラが迷い込んだり、東京湾の羽田沖には、北の海に住むトドが見られています。
北海道の南海岸に大量のマグロやぶりが出没し、逆に鮭がほとんどいなくなったとのことです。
イエス・キリストが再びおいでになるときの前兆がマタイ24章に詳しく預言されていますが、その中に自然現象の変化が述べられています。
「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。・・・」マタイ24:29-30
世界情勢や、社会の驚くべき変化、罪のもたらす戦争や諸問題など、世の終わりを感じる前兆を意識するのは、私だけでしょうか。使徒パウロの言葉です。
「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。『人々が平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲い掛かります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが望むようなもので、それをのがれることは決してできません。
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まして慎み深くしていましょう。」Ⅰテサロニケ5:2-6
ハレルヤ! 光の子どもとされたことを、感謝します。
「神に受け入れられる信仰679」1月17日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰219」です。
昨日、4年10か月ぶりにスマホ携帯電話の機種変更をいたしました。
今の時代、スマホ携帯電話は多くの人の生活必需品となっています。携帯電話の中に実に多くの機能が組み込まれ、あらゆることの多くが満たされます。
反面、スマホ依存症と言われる人々も増加しているそうです。
どんなに便利で素晴らしいものでも、使い方次第で良きにも悪しきことにも用いられます。
神が創造された被造物で、最高のものは人間です。
神は、この人間に地を治め良きに管理するように神のかたちに創造されました。
”神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従がえよ。・・・」創世記1:27-28
神の性質と能力に似せて造られたにもかかわらず、罪が入った時より、人は神のかたちを失ってしまいました。
愛なる神は、人を愛し新創造されるようイエス・キリストを救い主として世に遣わし、すべての救いのわざを完成してくださいました。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。」
Ⅱコリント5:17
新しいスマホを手にしながら、イエス・キリストの救いによる新創造を思い浮かべたひと時でした。
「神に受け入れられる信仰678」1月14日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰218」です。
大学入学共通テストが、今日と明日の二日間にわたり実施されます。このテストは大学入学を目指す高校生などを対象に、主に高校までの基礎学力の達成度を判定する制度です。
どのような世界でもテストは付きものです。
このことにより、自分の学力や、知識、能力を判断する手段になるからです。
信仰の世界においても、同様なことが言えます。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」ヤコブ1:2-3
「試練を耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められる人は、神を愛する者に、約束された、いのちの冠を受けるからです。」ヤコブ1:12
この世におけるテストは、今の世で終わりますが、信仰におけるテストは永遠のいのちに繋がります。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に合わせることはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」Ⅰコリント10:13
神の守りと恵みが取り囲みますように、お祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰677」1月13日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰217」です。
昨年2月に始まった、ロシアのウクライナ侵攻は、もうじき一年を迎えようとしています。平和への願いもむなしく、停戦の気配も見えず、ますますエスカレートの兆しです。
本日は「コヴェントリー寺院の祈り」の必要性を感じ取り上げます。
「国と、人種と階級を分断させる憎しみを、父よ、赦したまえ。
自分に属さぬものを所有する国と個人の欲望を父よ、赦したまえ。人間の労苦を悪用し、地球を荒廃させる貪欲を、父よ、赦したまえ。家を失った者、他国から逃れて来た者の苦境に関する無関心を、父よ、赦したまえ。
男女を問わず、人間の体をいまわしい目的のために用いようとする欲望を、父よ、赦したまえ。
自分により頼み、神に信頼することを望まない傲慢を、父よ、赦したまえ。」
この祈りは空襲で破壊された教会堂の再建のために、イギリスのコヴェントリー寺院で、毎日正午の時間にささげられていたものです。
敵を赦し、平和の願いを込めたイエスの心を心とした祈りです。
「平和を造り出す者は、幸いです。その人は、神の子どもと呼ばれるからです。」マタイ5:9
無益な戦争の終結を祈りましょう。
「神に受け入れられる信仰676」1月12日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰216」です。
大阪湾の淀川河口に、クジラが迷い込んだというニュースが報道されています。
何故大阪湾にクジラが迷い込んだのか諸説あります。
餌を求めて、湾深くに入り込んだ、体が衰弱して潮に流された、親クジラから離れて迷い込んだなどですが、早く回復して、沖の海に帰って欲しいものです。
どんな動物でも本来いる場所から離れてしまったなら問題です。
聖書は人間を迷える羊にたとえています。
羊は視力、聴力、嗅覚などが弱く、迷いやすい動物です。
羊は群れを成して生息し、羊飼いが必要であると聖書は教えています。同様に、人も良き羊飼いが必要です。
罪と言うことばは、ハマルティアと言うギリシャ語が用いられ、その意味は的外れと言うことです。
神のかたちに似せて造られたのが本来の人の姿です。
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。」創世記1:27
人間は、他の動物と違い、いつの時代、どこに住んでいても、どんな民族であっても、皆宗教心を持っています。それは、創造主である神に立ち帰るように神が与えたものです。
しかし、罪が入った人間は霊の目が耳が閉ざされ迷っているのです。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:10
迷いクジラのニュースを見聞きしながら、良き羊飼いなるイエス・キリストの救いを思いました。
是非、お近くの教会にお出かけください。お祈りしています。
「神に受け入れられる信仰675」1月11日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰215」です。
一昨日、昨日に続き、イザヤ書の十字架預言の、後半部分を取り上げます。
「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって、多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」イザヤ53:10-12
何故、イエス・キリストは十字架の苦しみの中で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、わからないでいるのです。」と愛のとりなしをすることができたのでしょうか。
それは、十字架を信じ、救われる者の姿を見ていたからです。
「それゆえ、わたしは多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物として分かちとる。」
「だれでも、キリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古い者は過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのである。」Ⅱコリント5:17
あなたも、十字架上のキリストの目に心に刻まれていた人であることをお祈りいたします。
キリストの十字架を信じる者は、だれでも救われるのです。
「神に受け入れられる信仰674」1月10日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰214」です。
昨日に続き、イザヤ書53章の中間部分を取り上げます。
「彼は痛めつけられたが、それを忍んで口を開かず、ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしのそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から断たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口には欺きはなかったが。」イザヤ53:7-9
イザヤは、イエス誕生の約700年前の預言者です。
しかし、このメシア預言は、まるで十字架にかけられたイエスを目の前にしているかのように、その情景を伝えています。
実際的な姿と同時に、いやそれ以上に、内面的本質部分を語り告げています。
イエスの十字架は、「民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から断たれたのです。」
新しい年が、始まりましたが、世界中に問題が山積しています。
そしてその最大原因は、人間の罪です。
ロシアとウクライナの戦争を始め、沢山の罪から来る問題が、世界中にあるのです。
「すべてが終わった(テテレスタイ)」とはすべての救いの道が完成したという意味です。
十字架と復活の福音が全世界に伝えられ、平和な世界が到来することをお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰673」1月9日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰213」です。
イザヤ書には、メシア預言が沢山あります。
特に53章は十字架預言として有名です。
ここには救いと癒し、愛と恵み、赦しと解放が記されています。
私事ですが、ここに三日体調がすぐれず、めまいなどがありました。
しかし、イザヤ書53章のみ言葉を思い、感謝と喜びがあふれました。
本日は前半部分を取り上げます。
「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分かってな道に向かって行った。しかし、主はすべての咎を彼に負わせた。」イザヤ53:1-6
ここには罪と咎の救いと赦し、病と痛みのいやしと解放が繰り返し述べられています。
本日は、主の癒しのみ言葉に励まされた一日でした。
「神に受け入れられる信仰672」1月7日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰212」です。
少子高齢化の日本ですが、今年の成人式(20才)人口は122万人で、2021年の出生者数は84万人で、2022年は77万人の予想だそうです。
べビーブームの最高値の三分の一以下に減少とのことです。
このまま人口減少が続けば、2060年に、日本の総人口は8674万人と予想され、現在の三分の二になるとのことです。
エゼキエルの預言です。
「わたしは、おまえたちの上に人を増やし、イスラエルの全家に人を増やす。町々には人が住みつき、廃墟は建て直される。私は、おまえたちの上に人と獣を増やす。彼らはふえ、多くの子を生む。。わたしはおまえたちのところに、昔のように人を住まわせる。いや、以前よりも栄えさせる。このとき、おまえたちは、わたしが主であることを知ろう。」エゼキエル36:10-11
この預言は神の民、イスラエルに対するものですが、繰り返し述べられているのは、人の上に人を増やすと語られています。
戦国武将の武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と言う有名な言葉を残しましたが、国であれ、企業であれ、教会であれ繁栄の原則はどのような人がどれだけ働き、支えるかと言うことです。
パナソニックの創業者、松下幸之助も「企業は人なり」と言い、松下電器(当時)は、良い製品を作る前に育て造ると言いました。
日本の国に、神を信じ愛し、神と人に仕えるクリスチャンが増え広がることを祈らずにはおれません。
「日本の救い、町の救い、家族ぐるみの救い」を祈りましょう。
「神に受け入れられる信仰671」1月6日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰211」です。
日本海側の地域、北陸、新潟、山形、秋田、青森などでは、驚くほどの大雪で被害も甚大です。
毎日の雪かきに、高齢の方々が精を出しているニュースがテレビで報道されています。
日本は災害の多い国です。地震、台風、豪雪、豪雨、火山の爆発など、数えればきりがありません。
それだけでなく、今は少子高齢化や、コロナ感染や、ウクライナとロシアの戦争による経済の悪化など、人的被害も拡大しています。
世界に目を向けても、この世の国は、すべて揺れ動き震われますが、神の国は揺れ動くことがありません。神のみ言葉です。
”あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもってこう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天をも揺り動かす。」この「もう一度」と言うことばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから感謝しようではありませんか。」ヘブル12:26-28
神を信じる者は、この世に生きていますが、この世の国に生きているのでは、ありません。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを待ち望んでいます。」ピリピ3:20 このみ言葉が心に響く一日です。
「神に受け入れられる信仰670」1月5日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰210」です。
使徒パウロの告白です。
「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」Ⅰコリント11:30
”しかし、主は「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからす。”
Ⅰコリント12:9-10
弱さを誇るとはどのような意味でしょうか。パウロは、自分の経験から証しています。自分が弱い時、何もない時に、完全に神により頼み、神の中に生きていくことを発見したのです。
私事ですが、年末に腰痛が出て少し苦しみました。
また、昨日は、めまいがひどく、周りの景色がすごいスピードで回転し立って歩くのも困難でした。
運転中に少しふらつきかけたので急ぎ駐車場を見つけしばらく休みましたが、収まりませんでした。
妻に電話し、タクシーで来てもらい、妻の運転で家に帰りました。そのため、ブログも昨日お休みしました。
このことを通し、自分の弱さを知り、普段健康でいるのは神の恵みであり、支えであることを痛感しました。
「私が弱い時こそ、私は強いのです。」
パウロの告白の通り、私は自分の弱さを誇ります。
「神に受け入れられる信仰669」1月3日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰209」です。
昨日に引き続き、箱根駅伝の話題です。
今年は、駒沢大学が、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝を制覇し、見事三冠に輝きました。
スポーツや勝負事には、必ず勝者と敗者が生まれますが、すべて携わった人々、チームが全力を出し切ったならば、それは勝者です。
神のみ言葉です。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」Ⅰコリント15:58
この世におけるスポーツや働きであっても、心を込め、全力で成し遂げるならば、多くの教訓や祝福を受けます。
まして、主にある労苦には、神からの報いが約束されているのです。
今、置かれた場所で、与えられた働きを、喜びの心で励みたいものです。
箱根駅伝で一生懸命走る選手を見て、そのように強く感じました。
コロナ禍で、無観客や人数制限があった、多くのイベントに本来の活気が戻ってきました。
同時にまだまだ油断することなく、感染防止には気を付けたいものです。平和な日常を感謝します。
「神に受け入れられる信仰668」2023年1月2日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰208」です。
新春恒例の箱根大学駅伝が、今日と明日の二日間にわたり熱戦を繰り広げています。
駅伝フアンの一人として至福のひと時です。
一本のたすきをかけ、選手が学校が、家族が多くの人々が、走るドラマに感動するのです。
母校の思いや伝統、家族の心を受けついで、全力で走る姿は、さまざまのドラマを生んでいます。
私たち一人一人の人生も、自分だけのものではありません。
多くの人々の支えと愛により成り立っているのです。
何よりも、私たちの救いのために十字架にかかり命をささげてくださったイエス・キリストの愛が注がれているのです。
与えられた人生の、最後まで力の限り、走り続けましょう。
使徒パウロの告白です。
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」Ⅱテモテ4:7-8
箱根駅伝を見ながら、このみ言葉が思い起こされました。
「神に受け入れられる信仰667」12月31日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰207」です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」Ⅰテサロニケ5:16₋18
今年の最後にあたって示されるみ言葉は、やはりこの言葉です。
数日前にも述べましたが、過去に対しては、すべての事について感謝すること。
現在に対しては喜ぶこと。そして、新しい未来に向かっては、祈ることです。
使徒パウロの言葉です。
「最後に私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。」ピリピ3:1
多くの困難を抱えていたマケドニア地方のピリピ教会に対して、手紙の最後の言葉として、「主にあって喜びなさい。」と勧めています。
しかし、更に「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」ピリピ4:4
と繰り返し喜ぶことを勧めています。現在は、私たちの手の中にある時間です。
大みそかで、2022年を振り返るとき、過去への感謝と共に、今を喜べる恵みに感謝です。
どうしたら、いつも喜ぶことができるのでしょう。
それは「主にあって喜ぶことです。」
主とは、イエス・キリストです。神は良き神であり、私たちのことをいつも見守り、共にいて下さり、かつ愛してくださいます。
幼い子供が親と共にいる時、平安と喜びで満たされるように、主にあって喜ぶことが可能なのです。
新しい年に向かい、この良き神様の恵みがあなたの上に豊かにありますようお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰666」12月30日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰206」です。
光陰矢の如しと言うことばが、ありますが、月日が経つのは矢のように早いという意味です。
同じような意味の類語です。
時間は無駄にできないと言うことで使われるのが、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。」です。
その意味は「時がたつのは早いのだから、時間を無駄にせず、若いうちに学問に励むように」と言う意味だそうです。
聖書のみ言葉です。
「今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。」コロサイ4:5(口語訳聖書)
ここで、今の時を生かして用いなさいとは、今と言う時を贖いなさい、すなわち買い取ってしまいなさいという意味です。
新約聖書で時に対して、主に二つの言葉が用いられています。
「クロノス」と「カイロス」です。
クロノスは、一般に流れていく時間、対してカイロスは神の時や好機を指す言葉です。
この一年過ぎ去ったすべての時を、買い取り、新しい年も、神の時として買い取った時間にしたいものです。
神の御手が働くよう祈ることで、カイロスになるのです。
主のみ心がなされますようお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰665」12月29日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰205」です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」Ⅰテサロニケ5:16-18
このみ言葉の掛け軸を、大阪の姉妹より、クリスマスプレゼントとしていただきました。
先日には、「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇30:5 このみ言葉額をいただきダブルの恵みです。
早速礼拝堂に、掛け軸のみ言葉をかけました。
人生は、過去、現在、未来の時系列の中で生き、動き、存在しています。私は、この掛け軸にあるみ言葉を次のように受け止めています。
過去については「すべてのことについて感謝するのです。」
すべての事とは良いことも、そうとはは思えないこともです。
現在は「いつも喜ぶことです。」現在の時は、私たちの手の中にあります。「喜びなさい。繰り返して言うが喜びなさい。」パウロの勧めです。
未来に対しては「絶えず祈ることです。」
祈りは時間や空間を越えて、神にすべてを委ねて信頼することです。そしてできることに励むのです。
では、このようなことが、果たして可能でしょうか。
御言葉には続きがあります。「これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」Ⅰテサロニケ5:18の後半節の部分です。
キリストのうちにあるとき過去には感謝、現在は喜び、将来は祈りで勝利と幸いに満ちた人生を送れるのです。
「神に受け入れられる信仰664」12月28日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰204」です。
ある方から美味しいつきたてのお餅をいただきました。
三年続きでいただき、本当に感謝です。
お餅文化は、切り餅(角餅)と丸餅が、日本の東西で別れているとのことです。一般的に関ケ原あたりを境に、西は丸餅、東は角餅とのことです。
東日本は、江戸時代の人口増加により、一度にたくさん作れるのしもちを切った切り餅(角餅)が広まったとのことです。
また、武家の支配が長かった東日本は、「敵をのす、切る。」と言う意味で切り餅が普及したとのこと。
対して、宮廷文化の影響が強い西日本は「角が立たず円満に過ごせる。」ようにとの願いで丸餅が主流になったとのことです。
お雑煮も味噌味、しょうゆ味、塩味など地域によって違いがあり、特色があるそうです。
文化は第二の胎教であるとの言葉がありますが、時代や民族、地域や多くの違いによって人間は影響されます。
しかし、キリストにあるならば、ユダヤ人とギリシャ人(民族の違い)奴隷と自由人(身分の差)男子と女子、割礼の有無(伝統や儀式)未開人とスクテヤ人(先進国)などの違いを越えてキリストの体として一つです。
多様性の一致こそ全世界の救いの条件です。但し十字架と復活すなわち福音よってのみ、救いは与えられます。
「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。・・・私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは聖書の示すとおりに、私たちのために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・」Ⅰコリント15:1-4
日本の東から西、南から北まで福音によって救われる人々が起こされるよう祈ります。
「神に受け入れられる信仰663」12月27日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰203」です。
いよいよ今年もカウントダウンを迎え、本日を含め残り五日となりました。今年を表す漢字は「戦」だそうです。
ロシアのウクライナ侵攻による戦争、ワールドカップでの戦い、日常生活におけるコロナをはじめとする、様々の戦いがその理由だそうです。
しかし、人生の最大の戦いは罪との戦いであり、霊的な戦いです。
「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威とやみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」エペソ5:11(口語訳聖書)
霊的戦いはこの世だけの戦いではなく、永遠を決める戦いです。
イエスキリストのお言葉です。
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに勝っている。」ヨハネ16:33(口語訳聖書)
イエスキリストは十字架ですべての人の罪と死を贖い、死んだ後、三日目によみがえられ、罪と死とサタンに完全に勝利されたのです。
ハレルヤ!(主を賛美します)です。
「神に受け入れられる信仰662」12月26日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰202」です。
年末年始にかけて、コロナ感染が急拡大の傾向にあるとのことです。私の身近の人たちにもコロナ感染が聞かれるようになりました。
先日も述べたように、お隣の中国では政府の公式発表とは異なり、東部浙江省では、一日当たり100万人超えとのことです。
今年一年も、あと数日になりましたが、コロナは第八波を迎えています。インフルエンザの感染と合わせ健康にはくれぐれも気を付けたいものです。
平凡で何もないと思われることは、実は大きな恵みであり祝福です。
次のみ言葉が思い起こされます。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」詩篇103:1-5
主よ健康と守り、すべての恵みを感謝します。ハレルヤ!
「神に受け入れられる信仰661」12月24日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰201」です。
メリークリスマス!
本日は、救い主イエス・キリストの誕生の前日、クリスマスイブです。
愛知県は、朝から大雪で、まさにホワイトクリスマスとなりました。
世界中でクリスマスが祝われる反面、ロシアとウクライナの戦争を始め、世界中には沢山の悲しい問題が山積みです。キリスト誕生の日、羊飼いに現れた御使いのメッセージです。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」ルカ2:14
山上の垂訓で幸いなるかなと言われたイエス・キリストのみ言葉です。
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」マタイ5:9
平和は待っていて与えられるものではなく、神の子どもたちが造り出すものです。
小さくても、できるところから平和を生み出す者となりたいです。
「神に受け入れられる信仰660」12月23日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰200」です。
ゼロコロナを続けていた中国がウイズコロナに、政策を切り替えたとの報道がされていました。
本日の中日新聞の夕刊版によると、一日あたりの感染者数は百万人超え、死者数は五千人超に上ると報道されていました。
しかし中国の公式発表は一週間の感染者が1800人、死者はわずか7人とのこと、あまりにも実態と違いすぎます。来年の1月半ばと3月半ばのピーク時には感染者が一日当たりそれぞれ370万人、420万人に達する可能性があるとのことです。
もしこのことが本当であれば大変なことです。現代は情報の世であり、情報を制する者は世界を制すると言われています。
もし偽りがあれば、必ず問題が起こります。なぜなら、偽りの父はサタンだからです。
「・・・彼(サタン)のうちには真理がないからです。彼が偽りを言う時は、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。」ヨハネ8:44
いつの時代、どこの国であっても偽りで栄えた国はなく、必ず滅びます。なぜなら、神の真理に逆らうからです。
イデオロギーや国々の利害でなく、どこの国であっても、ありのままの情報を知らせて欲しいものです。
お隣の大国にも、そのように願う者の一人です。
「神に受け入れられる信仰659」12月22日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰199」です。
本日は冬至で北半球において一年間で、最も昼の時間が短い日です。北半球で寒さが厳しくなるのは、太陽の日差しが最も短いからですが、気温的には1月後半から2月の初めが最も低温です。
現在、新潟や北陸、東北の日本海側では、豪雪のため多くの道路で動けない車がいっぱいです。
日本は災害の多い国です。地震を始め、台風、大雨、火山の爆発や冷害など様々です。
しかし、自然環境の厳しさは、かえって心や体が鍛えられ、害ばかりではありません。
「そればかりでではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれるからです。」ローマ5:3-5
夜の最も長い冬至の日に、上記のみ言葉が思い浮かびました。
「神に受け入れられる信仰658」12月21日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰198」です。
おおくのところで、年賀状の賛否が問われています。
スマホの影響があり、若い世代は、メールなどのSNSでやり取りをする人がほとんどになりました。
一方、一年の初めに互いの近況などを知り合うことを喜ぶ人たちもいます。
大切なことは、どのような手段や方法であっても、互いに愛し合い、良き人間関係を保つことです。
私事ですが、毎年300通を超える年賀状でしたが、最近は230通前後に減りました。
教会の一人の兄弟にイラストのテーマとイメージを示したものを描いていただき、とても感謝しています。
「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。」箴言25:25
「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」Ⅱコリント3:3
年賀状の印刷をしながら、キリストの手紙として生かされている恵みと祝福に感謝の一日でした。
「神に受け入れられる信仰657」12月20日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰197」です。
今年も残り十日を余すほどになりました。
昔の人は12月を師走と言い、先生も忙しさのあまり走ると表現しました。
特に現代社会は、何かと気ぜわしいことが多くその比重が増しているかもしれません。
忙しいという漢字は、りっしんべんに滅ぼすと書きます。すなわち心を最も大切なことから、引き離す意味ではないでしょうか。
知恵者中の知恵者と言われたソロモンは、晩年神から離れた人生は、空の空すべてはむなしいと伝道者の書で告白しています。
しかし、最後に人間の本分最も大切なことは何かを示されました。
今日のみ言葉です。
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべて(本分=口語訳聖書)である。」伝道者の書12:13
残り少ない年末、神とともに歩む日々を過ごしたいものです。
「神に受け入れられる信仰656」12月19日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰196」です。
ワールドカップの決勝戦は、アルゼンチンが、フランスを延長後のpk戦で破り、36年ぶりの優勝を遂げました。3対3ののちのpk戦は、運もあり実力は、互角であるとのことでした。
勝負事は、必ず勝者と敗者があり、二つに分かれます。
しかし、今回はどちらも勝者のようであり、両国にあっぱれと言いたいです。
私たちの人間関係においても、「勝ち負けの関係」ではなく、「共にの関係」で、ウインウインでありたく願います。
パウロ書簡と言う聖書のてがみのなかには、「互いに~しなさい」と言うことばが沢山出て来ます。
「互いの信仰によって、共に励まし合う」ローマ1:12
「「また「各自は互いに肢体だからである。」ローマ12:5
「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人 を自分よりまさっていると思いなさい。」ローマ12:10
「互いに思うことを一つにし高ぶった思いをいだかず…ローマ12:16
「互いに徳を高め合う。」ローマ14:13
「愛をもって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13
「互いに重荷を負い合いなさい。」ガラテヤ6:2
「寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い。」エペソ4:2
「互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。」ピリピ2:3
「互いにうそを言ってはならない。」コロサイ3:9
「互いに慰め合いなさい。」Ⅰテサロニケ5:11、15
これらのほかにも、沢山の「互いに」が記されています。
互いに、共にの関係がキリストのアガペーの愛で堅く築かれ、結ばれることをお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰655」12月17日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰195」です。
”ヤベツは、イスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。” Ⅰ歴代誌4:10
この祈りはヤベツの祈りと言います。
ヤベツの名前の意味は、悲しみ、苦しみを現わします。母親が「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言ってその名をつけたことが聖書にしるされています。Ⅰ歴代誌4:9
詳しいことは、書かれていませんが、想像するところでは、病いか、経済的なことか、人間関係か、大きな痛みや苦しみ、悲しみがあったに違いありません。
多くの人が運命だと言って、生まれた環境や境遇をマイナスに取りがちです。
ヤベツは真の神に呼ばわって「わたしを大いに祝福してください。」「わたしの地境を広げてください。」「わざわいから遠ざけ苦しむことのないようにしてください。」と祈りました。
もうじきクリスマスですが、イエス・キリストのご降誕はすべての人を、罪の呪い、縄目から解放し恵みと祝福の人生へと変えられるのです。
「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去ってすべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17
ヤベツの祈りのように、全く新しい人生に造り変えられてください。良きクリスマスが祝福として、訪れますことをお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰654」12月16日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰194」です。
ワールドカップサッカーは、フランスとアルゼンチンによる決勝戦になりました。両国では国を挙げての応援がなされていると報道されています。
何故、これほどワールドカップが盛り上がるのでしょうか。
それは、サッカーがだれでもわかるシンプルなゲームであり、ひとつのボールと場所さえあれば、どんな貧しい国や人々であっても可能だからです。そして、小さな国でも大国に勝つことができるからです。
オリンピックよりも多くの観戦者が生まれ、盛り上がる理由が、ここにあるのです。
しかし、一方で世界を見渡すときに、戦争があり、飢餓や病いや貧困で苦しむ多くの人々がいます。
この世には多くの矛盾があり格差があり、聖書は「この世は曲がった邪悪な世界である。」ピリピ2:15、ルカ11:29と表現しています。
また、この世は闇の世界であり、不義の世界であるとも記されています。
しかし、この世にイエス・キリストが光として誕生されたのがクリスマスであり、すべての人々に救いと希望と愛を与えてくださるのです。
私の大好きなみ言葉です。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」ヨハネ1:4-5
クリスマスに、キャンドルサービスを行うのはこのためです。
最後に、キリストの力強い告白の言葉です。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ8:12
「神に受け入れられる信仰653」12月15日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰193」です。
寒さが、本格化してきました。本日は、今冬一の寒さで、北海道や東北北部は大雪とのニュースでした。
早いもので、今年もあと半月となり、クリスマスの後は、新年への備えです。
私のモットーとするみ言葉の一つです。
「それゆえ、イスラエルよ。私はあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル。あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」アモス4:12
備えあれば憂いなしと言うことばもありますが、すべての事には備えが、必要です。現在は、高齢者の中に終活で、いろいろなものを、整理しておられる方がいます。人間の終着駅である死に対する備えだと思われます。
預言者アモスは、人間にとって最も大切なのは、神に会う備えであり、そのことを預言されたのです。
神は良い神、祝福の神です。あなたが、神との出会いを体験するとき、神にある人生が待っているのです。
この世においても、永遠に対しても、神とともに歩むことが最大、最善、最高の備えです。
年末の多忙の中、ふとこのような思いが与えられました。
「きょうダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。」ルカ2:11
是非、クリスマスの時、神との出会いを受けてください。
「神に受け入れられる信仰652」12月14日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰192」です。
12月6日(火)早朝、親しい神の家族瑞浪教会の運営する、学童保育所が、隣家より出火した火事により2棟が全焼したとの連絡を受けました。
幸い火元ではなく、人的被害もなかったとのことは感謝でした。
ただいま片付けや、今後の学童保育運営をどのようにしていくか、祈りながら対処しているところとのことです。
神のみ言葉です。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に合わせることはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」Ⅰコリント10:13
瑞浪教会と、N牧師はじめ、教会員、学童保育のすべての方々の上に主の守りと励ましをお祈りします。
「神に受け入れられる信仰651」12月13日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰191」です。
今日の火曜礼拝は、とても楽しく新鮮なクリスマスの集いとなりました。
今年一年間を振り返ってどのようなことがあったかを、互いに証ししました。
ひとりの姉妹が、一年間に起こったことを、素敵なクリスマス風のカットを入れ一覧表にし、6つの題目を書いてくれました。それをサイコロでふり、出た番号を、証しするのです。
1・楽しかったこと。嬉しかったこと。
2・頑張ったこと。
3・面白かったこと。
4・恥ずかしかったこと。
5・大変であったこと。
6・来年の抱負
サイコロで順番に当たった事柄を、証ししあいながら、笑いあり追加のコメントありで、とても新鮮なひと時となり感謝でした。
神のみ言葉です。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(そのすべてのめぐみを心にとめよ。=口語訳聖書)」詩篇103:1-2
私の大好きなみ言葉です。人生にはいろいろなことがあり、順境の時も逆境の時も、感謝な時もそう思えないように感じる時もありますが、主が共にいてくださるとき、全ては恵みであり、感謝です。
何故なら、神はいつも良い神様だからです。
クリスマスは、この神が人となられ、救い主としてお生まれになったことを知らせる素晴らしい時なのです。
メリークリスマス。主イエスの恵みをお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰650」12月12日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰190」です。
昨日は、とても素晴らしいクリスマス礼拝で、感動のひと時でした。フルート演奏に合わせたピアノ伴奏、賛美の歌声、そして「新しいDNAを獲得する」と題したメッセージ、さらに講師夫妻の証しの体験談、どれをとっても、クリスマスにふさわしい福音でした。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのである。」Ⅱコリント5:17
クリスマスは、単なるお祭りではありません。メシア誕生の喜びの知らせです。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカ2:11
この12月は、キリストのご降誕を伝える素晴らしい時です。
全世界にメシア誕生の良き知らせが伝えられ、人々の救いと、全地の平和をお祈りするものです。
「神に受け入れられる信仰649」12月10日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰189」です。
いよいよ明日は、吉田隆先生ご夫妻をお迎えしてのクリスマス礼拝なりました。
本日は、そのための賛美リハーサルです。
何ごとにも本番に際しての準備が必要です。
今回はピアノ伴奏に一人の姉妹が奉仕してくださり、感謝です。
神のみ言葉です。
「それゆえ、イスラエルよ。わたしはあなたにこうしよう。わたしはこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」アモス4:12
人生で最も大切なことは、永遠の世界に対する備え、すなわち神に会う備えです。
クリスマスは、神が人となられて、ご降誕された素晴らしい知らせです。
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこのかたによって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネ1:9-12
人生の備えに対する結論のみ言葉です。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:14
救い主イエス・キリストを心に迎え入れてください。
主の祝福をお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰648」12月9日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰188」です。
昨日、大阪の姉妹より、電話をいただき主人が体の具合が悪く、お医者さんよりとても厳しい通告を受け、私にとても会いたがっているとのことで、いまから大阪に出かけます。
クリスマスのスケジュールやいろいろなことを考え、今日しかないと思い祈りながらの訪問です。
このご家族は、家族ぐるみ孫の代まで信仰を持ち、とても良きクリスチャンホームです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒16:31
「私と私の家とは、主に仕えます。」ヨシュア記24:15
神のみ言葉が、実現していることを感謝します。
主が癒しと守り、何よりもこの兄弟と家族のうちに、共にいてくださることをお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰647」12月8日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰187」です。
本日、夜空を見上げると冬の満月がこうこうと輝いています。
冬の満月は英語では、コールドムーンと呼ばれるそうです。
今年最後の満月を見て、詩篇のみ言葉が思い出されました。
「ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて彼らを造られた。」詩篇148:1-5
聖書で記されている神は、創造主です。
すべてのものは神により創造されたと聖書は語っています。
「万物は、神から出で、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アーメン。」ローマ11:36(口語訳聖書)
世界中の民が同じ月を眺めています。キリストのご降誕であるクリスマスのシーズン、世界に平和が来ますよう祈るばかりです。
「神に受け入れられる信仰646」12月7日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰186」です。
今月はクリスマスの月と言っても過言ではありません。
私たちの教会では、今度の日曜日、12月11日に京都にお住いでアジア・アウトリーチ代表の吉田隆先生ご夫妻をお招きしクリスマス礼拝をいたします。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカ2:11
クリスマス賛美と楽器演奏、クリスマスメッセージで本当のクリスマスをお伝えします。
吉田先生は宣教師として、アメリカ、香港の在住され、更にアジア、ヨーロッパなど、世界の各地でキリストの福音を伝えられました。
フルートとピアノ伴奏のコラボや賛美の歌声も素敵です。
このブログをご覧になっておられるお方は、ぜひお越しください。また、近くの教会でクリスマスをお迎えください。
クリスチャンの方は日本と世界のクリスマスの祝福を祈りましょう。
メリークリスマスです。
「神に受け入れられる信仰645」12月6日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰185」です。
昨日まで、2泊3日で大阪の教会でクリスマス礼拝と奈良の生駒聖書学院に用事があり留守にしたため、ブログをお休みしていました。昨夜午後9時ごろ帰宅しましたが、素敵なクリスマスプレゼントが届いておりました。
元働いていた教会の姉妹が、立派な、み言葉の額をプレゼントしてくださいました。
「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇30:5
墨字で力強く書かれた、ダビデの賛歌です。
ダビデは生活の中での喜怒哀楽を、神への信仰としてありのままに表現し、多くが神への賛美に変えられています。
この詩篇35篇の賛歌も、ダビデの心情をありのままに歌っています。神は、生きておられ、私たちの祈りや願い、叫びをことごとく聞いてくださるだけではなく、働いてくださいます。
あなたの心のままを神は、ご存じです。最後に詩篇35:10-12で締めくくります。
「聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」
「神に受け入れられる信仰644」12月3日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰184」です。
先日、失礼したマリヤの信仰の続きです。
マリヤの賛歌は、旧約聖書のハンナの祈りを土台としていると言われています。
年若いマリヤがハンナの祈りを覚え、自らの祈りと賛歌に記しているということは、彼女が信仰深い女性であったことの証明です。 ハンナの祈りです。
「私の心は主を語り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。
高ぶって、多くを語ってはいけません。横柄なことばを口から出してはなりません。
まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。勇士の弓が砕かれ、弱い者が力を帯び、食べ歩いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。
主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。主は弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。
主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅び失せます。まことに人は、おのれの力によって勝てません。主は、はむかう者を打ち砕き、その上に、天から雷鳴が響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油注がれた者の角を高く上げます。」Ⅰサムエル2:1-10
マリヤ賛歌との共通点は、主への全き信頼と、弱き者、自らに対する神の愛とあわれみです。
イエス・キリストの誕生は、このような女性の信仰と愛によって生まれたのです。
PS 12月6日まで、ブログをお休みします。
「神に受け入れられる信仰643」12月2日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰183」です。
昨日に引き続き、ワールドカップの日本の話題です。
三度目のまさかが起こりました。最初は優勝4回の強豪ドイツからのまさかの逆転勝利、二度目はコスタリカ戦のまさかの敗戦、そして三度目は、強豪国スペインに対するまさかの逆転勝利、まさに勝負事は、何が起こるかわからず、最後まであきらめないことです。
信仰の戦いにおいても同じように、いやそれ以上に最後まで希望と信仰を持ち続けることが重要です。
神のみ言葉です。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮するることはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」Ⅱコリント4:7-8
全ての戦いにおいて、最も大切なことは最後まであきらめないことを、日本チームが教えてくれました。
さらなる、今後の活躍を期待したいものです。ブラボーです。
「神に受け入れられる信仰642」12月1日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰182」です。
明日は、サッカーワールドカップのスペイン戦です。
戦前予想では、スペインが有利ですが、勝負事において、特にサッカーでは何が起こるかわかりません。
良い意味でのまさかが起こって欲しいものです。
旧約聖書にダビデとゴリアテの戦いが記されています。
ペリシテはイスラエルにいつも敵対していた最大の民族です。
当時の最先端の鉄文化を誇り、鉄製の武器を用いていました。その中の代表戦士が巨人ゴリアテです。
一方ダビデは少年で人間的にみる時、勝ち目はありませんでした。しかし、結果はダビデの大勝利でした。
ダビデの告白です。
”ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍をもって、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。・・・この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」サムエル記17:45ー47
スポーツの戦いは一時的なスポーツと言うゲームでの戦いです。
しかし、人生における信仰の戦いは永遠に対する戦いです。
主が共にいて戦ってくださるとは、何という幸いでしょう。
私たちの神、主イエス・キリストの御名により、罪と死とサタンに打ち勝ったわれらの主と共に勇敢に戦いましょう。
勝利は主のものです。
スポーツ観戦好きの私としては、サッカーでも日本に勝ってもらいたいと願います。
「神に受け入れられる信仰641」11月30日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰181」です。
いよいよ明日から12月です。12月と言えば、クリスマスです。本日はイエス・キリストの誕生に用いられたひとりの女性、マリヤを紹介します。
マリヤの名前の意味は強いという意味です。
しかし、これは、人の外側の気が強いというのではなく、心の内面にしっかりとした考えや、目的を持っていたということです。
メシア誕生と言う、人類史上最大の出来事を受け入れたのです。
御使いガブリエルの受胎告知です。
”「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」さらに、「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」・・・マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」ルカ1:28-36
まだ、16-7歳であったと思われるマリヤへの受胎告知の場面です。(詳細は、聖書を読むか教会にお出かけください。)
そのことが有名なマリヤ賛歌の歌われています。
”マリヤは言った。
「わがたましいは主をあがめ、わが霊はわが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはし目を留めて留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と言うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、そのあわれみは、主をかしこむ者に、世々にわたって及びます。主は御腕をもって力強いわざを成し、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ちたらせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」ルカ1:46-55
明日さらに続きをいたします。
「神に受け入れられる信仰640」11月29日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰180」です。
本日の火曜礼拝は、5人の参加でしたがとても恵まれた集いとなりました。
クリスマスの賛美、御言葉の時、そして良き交わりの時が持たれ、一人の姉妹が朝手作りで造られた美味しい芋パイをいただくことができました。
ひとりの兄弟が、アメリカ大統領の朝祷会で、用いられたというパンフレットの英訳を教えてくださいと妻に頼まれました。
するをある姉妹が、携帯アプリで読み込むことができると紹介してくださいました。
何と驚くなかれ、ほとんどの原語が読み取れるのです。
小さな携帯電話機の中に驚くような機能が沢山、内蔵されているのです。携帯スマホは、現代社会において必要欠かすことの出来ないツールであることを実感しました。
宝の持ち腐れと言うことばが、ありますが人間の能力も3%程度しか用いていないと聞いたことがあります。
実は、私たちの中には、神を通して驚くべき力が与えられているのです。神のみ言葉です。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」Ⅱコリント4:7
このみ言葉を強く示された、火曜礼拝の交わりでした。
「神に受け入れられる信仰639」11月28日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰179」です。
昨日、サッカーワールドカップで、日本はコスタリカ戦に、まさか1対0の敗戦を喫してしまいました。
強豪ドイツにまさかの勝利、そして有利と思われていたコスタリカ戦には、まさかの敗北でした。
人生には、三つの坂があると言われます。上り坂、下り坂、まさかです。
良きまさかもあれば、逆もあります。
でも、ほとんどは蒔いた種を刈り取るのが常です。
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行うのに飽いてはなりません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ6:7-9
人生においては、良き種を蒔き続け多くの収穫を刈り入れたいものです。
サッカーでは、強豪スペインに対してまさかが起こって欲しいものです。
「神に受け入れられる信仰638」11月26日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰178」です。
11月も後半を迎え、寒さが日に日にまして参りました。寒さと共に恋しくなるのが鍋料理です。
ひと口に鍋料理と言っても沢山の種類があります。
すき焼き、寄せ鍋、おでん、しゃぶしゃぶ、キムチ鍋、ちゃんこ鍋、ぼたん鍋、湯豆腐、もつ鍋、ジンギスカン鍋、水炊き鍋など挙げればきりがありません。
これからの季節、コロナ感染に気を付けつつ、良き鍋の食卓を囲んで幸いな時を過ごしたいものです。
しかし、どんな美味しい食事でも争いや不信感のある所では楽しく幸いではありません。神のみ言葉です。
「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」箴言15:17
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17:1
美味しい食物と共に、愛と信頼の関係で結ばれた交わりこそ、主が与えてくださる本当の御馳走の饗宴です。
「神に受け入れられる信仰637」11月25日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰177」です。
お隣の中国では、ゼロコロナ対策にもかかわらず、感染者が増加し32000人を超えたとテレビニュースで報道されていました。
ゼロコロナ対策を取り続けているために、経済にも悪影響を及ぼし、更に生活の行動制限が厳しく、人々の不満が増しています。
見えないウイルスとの戦いは、人類の歴史の中でも多くの被害を生み出しています。
14世紀にヨーロッパで大流行したペストは黒死病とも言われ、西ヨーロッパでは人口の3分の1が死んだと言われています。
日本では、735年から738年の天平の大疫病で天然痘で100万から150万人が死んだと研究結果があります。当時の総人口の3割ぐらいと言われています。
幸いコロナに関しては、感染力は強いが致死率はペストや天然痘ほど高くありません。
コロナ前とコロナ後では、大きく生活に変化現われています。。
メディアの重要性が、オンラインによる仕事、教育など様々の生活に強い影響を及ぼしたことです。
教会や信仰にも同様です。オンライン礼拝やオンライン宣教です。
同時にオフライン(対面)の必要性も明らかにされています。
神のみ言葉です。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」Ⅱテモテ4:2
どのような時代、状況でも、福音を伝えましょう。
「神に受け入れられる信仰636」11月24日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰176」です。
昨日は、サッカーワールドカップで、日本がドイツに2対1の逆転勝利を収めたことで、日本中が大興奮でした。
テレビや新聞、SNSなどすべてのメディアが大きく報道しています。
優勝候補の一角と言われたドイツに勝利したことは、一人のサッカーファンとして感動です。
しかし、勝負ごとは何が起こるかわかりません。残りのコスタリカ戦、スペイン戦も気を緩めることなく全力で勝利を得て欲しい限りです。神のみ言葉です。
「油断することなく、あなたの心を守れ。命の泉はこれから流れ出るからである。」箴言4:23(口語訳聖書)
ドイツには心のどこかに油断があったのかもしれません。
油断とは油を断つという漢字が使われています。
聖書の中で、イエスの再び来られることの予表としてのたとえ話があります。マタイ25:1-13
「賢い5人の娘と愚かな5人の娘の話です。」
賢い娘は、油断することなく油を用意し、愚かな娘はそれをしなかった話です。
信仰生活や人生は戦いです。最後に勝利を取る賢い者となりたいものです。
油に満たされるとは、聖霊に満たされ、キリスト(油注がれた者)に導かれることです。
ワールドカップの日本の勝利、ドイツの敗戦を見て、このようなみ言葉を思い出しました。
「神に受け入れられる信仰635」11月23日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰175」です。
いよいよワールドカップの、日本とドイツ戦が本日始まります。
ドイツは過去4回の優勝国で、ブラジルに次ぐ強豪です。
日本の属するグループEは、他にスペインとコスタリカでスペインも過去の優勝国です。
戦いには、心理面(メンタル)での戦い、情報面での戦い、そして本番の実戦での戦いがあります。
どのようなフォメーションのスタイルをとるか、どのような選手を用いるか、作戦面ではどう対応するかなど、サッカーフアンだけでなく、世界中の関心を引いています。
スポーツにおける戦いは、スポーツマンシップにのっとってするならば、厳しく激しくあっても喜ばしい限りです。
しかし、ロシアとウクライナの戦争は絶対に受け入れられません。
これから、厳しい冬の寒さを迎える中、ロシアはウクライナのインフラを攻撃し、電力や、エネルギー、水道施設などを破壊しています。
聖フランシスコの平和の祈りです。
「主よ。わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに、一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに、真理を、絶望のあるところに、希望を、やみに光を、悲しみのあるところに、喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、赦すから赦され、自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。」
世界の平和を祈りましょう。
「神に受け入れられる信仰634」11月21日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰174」です。
昨日、妻と共に5回目のコロナ「BA.5」対応ワクチン接種をいたしました。昨日は何ともありませんでしたが、本日になり、腕の痛みだけでなく、少しの微熱と筋肉痛で苦労しています。
妻は、いまのところ何にも副反応は出ていないようです。
現在、全国的に感染者が増加し、第八波ではないかと叫ばれています。これから冬にかけてインフルエンザもあり、対応をしっかりとりたいものです。
私自身は次のみ言葉を信じ、主により頼んでいますが、人としての対処はしっかり行いたいと思います。
”いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
主は、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは、夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また暗やみに歩き回る疫病も、真実に荒らす滅びをも。”詩篇91:1-6
神のみ言葉により頼む者は、平安であり幸いです。なぜなら、御言葉は、神ご自身だからです。神の祝福をお祈り致します。
「神に受け入れられる信仰633」11月19日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰173」です。
久しぶりに昨日、一昨日、東京に行ってまいりました。東京駅ですれ違うほとんどの人がマスク姿でした。
第8波のコロナ感染状況になりつつこともあり、まだまだ年末にかけてコロナ感染が増えそうな予感です。
今回の上京目的は、ペンテコステグループの二つの会議に出席することでした。
そこで主に語られたのは、メディア宣教の大切さです。
時間の差はあっても世界中、日本中がオンライン世界になるとのことです。
キリスト教会にあっても、オンライン礼拝やオンライン会議などが行われています。
私たちの教団(日本ネクストタウンズミッション=NTM)でも、月一回の牧師会と責任役員会が、隔月ごとに開かれています。
コロナ感染後世界が大きく変化しました。ビジネスも教育もそして教会もその影響を受けています。
「イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をすべきかを知っている彼らのかしら(リーダー)二百人。彼らの同族はみな、彼らの命令に従った。」Ⅰ歴代誌12:32
ここでイッサカル族には時勢に通じていた(口語訳聖書)リーダーが二百人いたと記されています。
今の時代は情報化時代であり、良くも悪くも情報を制するものが世界を制するのです。
日本の社会、特に教会はこの世界を勝ち取ることが重要です。
時勢に通じた人々が多く救われ、福音宣教に立ち上がることを、切に祈るものです。
「神に受け入れられる信仰632」とは、11月16日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰172」です。
今年も11月半ばを越え、寒さと共に、紅葉が全国で深まっています。また、多くの所でクリスマスツリーやイルミネーションが飾られてまいりました。
欧米では、町全体がクリスマスのイルミネーションでとても美しいところが存在します。
私たちの教会では、12月11日の日曜日に、クリスマス福音礼拝をおこないます。
京都より、アジアアウトリーチの責任者である吉田隆先生御夫妻を、お招きし、クリスマス賛美とメッセージをしていただきます。
吉田先生ご夫妻は、多くのアジアの国々を回りイエス・キリストを宣べ伝えておられる先生です。また、香港、アメリカ、フランスにも宣教師として住み、音楽の賜物もお持ちです。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカ2:11
ぜひ、本当のクリスマスを体験して味わってください。
あなたの人生が、神からの祝福で満ち溢れることをお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰631」11月15日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰171」です。
現代人にスマホは欠かすことの出来ない必需品となっています。
スマホには沢山の機能が内蔵されており、本当に便利な生活の必需品となっています。電車に乗ると多くの若者がスマホをのぞき込んでいます。
しかし、このような便利なツールでも、電源が切れると何の役にも立ちません。
人間は神の形に創造された証しに、能力も性質も良き神の作品として素晴らしい姿に形造られました。
しかし、罪が入り神からの霊の命が失われた時から、さまざまの問題を抱え、失われたものとなってしまいました。
この失われ罪に支配された人間を救うために神が人となられたお方が、イエス・キリストです。
あなたの中に、神の霊の命の電源をつないでください。
神の創造された様々の良きものがあふれ出します。
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えてくださったのである。」エペソ2:10(口語訳聖書)
神の御手の中にあるとき、失敗作はありません。
「神に受け入れられる信仰630」11月14日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰170」です。
アメリカの中間選挙の、最終結果が、まだ決まりません。
民主党と共和党が、激しく競り合い、特に上院では、全くの互角です。その中で、トランプ氏の動向がどのようになるかが注目点です。
民主主義の根幹は、選挙であり、その選挙自体が不正があるかのようなトランプ氏の発言には同調しかねます。
しかし、不思議なことにこのような人物にまだ、多くの支持者が存在するアメリカが、理解できません。
どのような人物であっても、公正で公義を行う政治が必要と考えます。
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主はあなたに何を求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ書6:8
世界で最も影響力のある、アメリカに上記のみ言葉にあるような、リーダーが生まれることを祈る者です。
「神に受け入れられる信仰629」11月12日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰169」です。
コロナ感染が始まり、3年近くになりますが、まだ感染が止まりません。現在、日本の感染者数が世界で一番多いと言われています。
外国からの、入国も緩和され、観光やビジネス、教育など来日者も増えていますが、最大の観光者を要する中国からは、まだ入国できません。
円安ドル高の影響も加わり、外国からの観光者数は増加しているそうです。ゼロコロナ対策の中国からの、来日観光者の増加、インバウンドは、まだ先のように思われます。
さらに、年末から、来年にかけてコロナの第8波も、心配されています。主のみ言葉です。
”いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神と。」主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。”詩篇91:1-3
コロナ感染が、始まった時より、この詩篇91篇のみ言葉により、守られ、支えられてきた恵みを感謝します。
これからも、このみ言葉に固く立って、歩めますように、信じて祈る者です。
「神に受け入れられる信仰628」11月11日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰168」です。
某法務大臣が、死刑執行に関する失言で本日辞任に追い込まれました。聖書の言葉に関するみ言葉です。
「人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」箴言18:20-21
「舌(ことば)は船の舵のようであり、大きな船体を小さな器官が行き先を決定するとも記されています。」ヤコブ3:2-6
また、イエス・キリストも言われました。
「・・・心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪い倉から悪いものを取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はそのくちにするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたの言葉によるのです。」マタイ12:34-37
本日は言葉の大切さに関するみ言葉です。
人はイエスによって、救われ心と言葉が、変えられるのです。
「神に受け入れられる信仰627」11月10日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰167」です。
日本全国、紅葉前線が真っ盛りです。創造主なる神の御業、作品を堪能したいものです。
以前にも、秋のすばらしさに何度も触れましたが、空を見ても、山を見ても、身近にある木々や草花の中にも、創造主の御手があります。
「地とそれに満ちるもの、世界と、その中に住む者とは主のものである。主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。主の山に登るべき者はだれか。手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。このような人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。」詩篇24:1-5(口語訳聖書)
創造主であり、救い主でおられる神は、天にも地にも満ちておられます。秋の美しい紅葉を通して、創造主に触れてください。
主の祝福をお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰626」11月9日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰166」です。
アメリカの中間選挙が始まり、共和党が優勢との報道がなされています。現在のアメリカは国を二分するような姿で、相手を攻撃してきたなくののしり合い、相手の意見や考えを聞き、互いに尊重し、受け入れるような姿が見られません。
聖書のみ言葉です。
”律法の全体は、「あなたの隣人を自分のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。」ガラテヤ5:14-15
清教徒の建国精神により、神の恵みと祝福の中に発展し、かつては世界の警察官とさえ言われた、アメリカに分断が始まっています。中間選挙の動向を踏まえ、祈らずにはおれません。
特に、アメリカの教会、クリスチャンの上に、愛と力と恵みを注いでください。
「神に受け入れられる信仰625」11月8日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰165」です。
大学三大駅伝の二つ、出雲駅伝と全日本大学駅伝で駒澤大学が優勝しました。残りは正月二日、三日に行われる箱根駅伝です。駒澤大学が三冠を取るか否か、駅伝ファンの私としては、とても興味深くなりました。
聖書で、人生や信仰生活が競争にたとえられていることは、以前にも申し上げましたが、もう一度取り上げます。
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、わたしたちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者である、イエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル12:1-2
ここで大切な3つのポイントを示しています。
第一は重荷や罪を捨てて走ることです。
第二は最後まで走り続けることです。
第三は、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで走ることです。
十字架にかかり甦られたイエス・キリストとともに走ることがその答えです。
あなたの上に主イエス・キリストの恵みと祝福をお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰624」11月7日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰164」です。
人生に悩みや重荷は付きものです。
イエス・キリストのもとに重荷をおろせる人は幸いです。
私の大好きな聖書のみ言葉です。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタイ11:28-30(口語訳聖書)
現代人は、幼子からお年寄りまで、皆重荷をもって疲れているように感じます。
あなたは、人生の重荷をどこでおらしますか。新しい力をどこから受けますか。
イエスは言われます。「わたしのもとに来なさい。わたしのもとで重荷を下ろしなさい。わたしのもとで新しい力を受けなさい。」なんと素晴らしいことばでしょう。
私は、18歳でこのお方にお出会いし、今日までいつもこのみ言葉と共に歩み、心から幸せを感じています。
あなたの人生の上にも、この幸いが届きますようにお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰623」11月5日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰163」です。
秋たけなわ、全国紅葉が真っ盛りです。昨年、私と妻は犬山の寂光院に出かけ、美しい紅葉にあずかりました。
日本の秋は最高です。有名な観光地などに出かけなくても、外に出るなら各所に秋の美しい景色を見ることができます。
目からの紅葉の景色や、耳からなどの虫の声、おいしい食べ物など、体の五感を通して創造主の最高作品、日本の秋を味わってください。
「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」ホセア6:3
パウロがアテネに宣教した時、多神教であったアテネの人々が、「知られない神」と刻まれた祭壇を拝んでいるのを見つけて語った言葉です。
「・・・もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」使徒17:27-28
美しい秋の季節、自然の中に神はおられます。
「神は、天にも地にも満ちておられるお方です。」
あなたの上に神の恵みと祝福をお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰622」11月4日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰162」です。
先日、韓国梨泰院でのハロウィンの集まりで、痛ましい事故が起こり日本人2人を含む156人が死亡しました。
事故後多くの検証がなされ、人災であると非難が高まっています。
毎年ハロウィンには、多くの人出があり、特に梨泰院周辺は若者が密集し危険が、あらかじめ指摘されていたので残念でなりません。
「指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。」箴言11:14
今回の事故は、主催者もなく、集まりに関する規定やルールもないまま偶発的に、悲惨な事故が起こってしまいました。
聖書の中に、良き指導者がいないときに、民は滅びると記されています。
ただ、人間の本能的快楽や、感覚的楽しみを追い求めるとき、さまざまの危険が待ち受けています。
聖書で、人は迷える羊にたとえられています。
羊には、羊飼いが必要です。良き羊飼いは、羊の声を知り、羊も羊飼いの声を聞き分けます。
イエスは言われました。
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」ヨハネ10:14-15
梨泰院での悲しい事故を通して、人類の救い主、良き羊飼いなるキリスト・イエスの声を知って欲しいと強く願いました。
亡くなられた多くの若者のご遺族の上に、神の慰めと励ましを祈らずにはおれません。
「神に受け入れられる信仰621」11月3日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは「復活信仰163」です。
昨日、小牧市民美術展に出かけました。
知人の作品が展示されているので、とても身近に感じ感謝な至福のひと時となりました。
知人の方の作品は、何度も入賞されているため、無鑑査となりましたが、今年も素敵な作品でした。
まさに、芸術の秋満喫です。
その中で、すべてがつまようじでできた大鷲の作品がありました。つまようじのような小さなものでも、製作者の意図により組み合されていくとき、感動を与えるような立派な作品になると感心しました。
天と地を創造された神は、良き陶器師で私たちは粘土です。
”陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手で壊し、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。それから、私に次のような主のことばがあった。「イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」”エレミヤ18:4-6
神から創造された、人間が最も輝き、素晴らしい者とされるのは、創造主なる神の御手の中に作られ生かされることです。
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ定めてくださったのです。」エペソ2:10
「神に受け入れられる信仰620」11月2日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰162」です。
全国旅行支援を受けて観光業や宿泊など、サービス業に活気が出てきているそうです。
しかし、支援を受けられるのは、3回ワクチン接種証明かPCR陰性陰性証明が必要とされています。
コロナ感染により、多くの飲食業、観光、交通、宿泊などの業界が大打撃を受けましたが、これを機会に回復して欲しいものです。
また、外国からの入国も緩和されインバウンド観光も回復傾向になっています。
現代経済社会は、すべてが密接な関係にあり、互いに影響し合っています。
聖書では、社会や教会を人間の体にたとえています。
特に教会は、キリストの体に表現されています。
「一つのからだには多くの器官があってあって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」ローマ12:4-5
教会も社会も愛と信頼の絆で結ばれて、互いが生かされ幸いを感じる共同体となることを、神に切にとりなすものです。
「神に受け入れられる信仰619」11月1日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰161」です。
本日、サッカーワールドカップ・カタール大会の日本チーム26選手が選出されました。
紙一重の力の差による選手選出は、大変な苦労の決断であったと思われます。
選ばれた選手には、選出されなかったチームメイトの分まで、全力で戦ってほしいと、一フアンとして思います。
この世の選びは、力や技術の優れている者が選ばれますが、神の選びは恵みと哀れみによるのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、またあなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父があなたがたにお与えになるためです。」ヨハネ15:16
更にみ言葉は語ります。
「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足らない者や、見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しい者を選ばれたのです。」Ⅰコリント1:27-28
ワールドカップの26選手の選出ニュースを見て、ふと神の選びの不思議を感じるひと時となりました。
「神に受け入れられる信仰618」10月31日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰161」です。
本日NHKのドキュメンタリー番組、映像の世紀「ソ連崩壊ゴルバチョフの決断と誤算」を見て、とても多くのことを考えされ教えられました。
ゴルバチョフは、当時の疲弊したソビエト連邦の改革(ペレストロイカ)に乗り出し実行に移しましたが、古い体制や既得権を持つ人々、急激な変化による多くの摩擦や困難などで、挫折したような終わりになりました。
そして、現在のロシアのような体制に揺り戻すされました。
彼の行動は後の歴史が評価するでしょう。
私の大好きな「ニーバーの祈り」をご紹介します。
彼は(1892生-1971没)アメリカの神学者で牧師の人物です。彼の祈りは、マッカーサー元帥が第二次大戦当時のアメリカ兵に紹介したと言われています。
「神よ。変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる冷静さを、変えることのできる事がらについては、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」
現在の社会で私たちが「世の光、地の塩」としての存在を現わす、祈りに思えてなりません。
「神に受け入れられる信仰617」10月29日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰160」です。
私たちの教会では、一年365日特別のことがない限り、毎朝6時から7時までお祈りの時を持っています。
今朝も、5人でお祈りの時が持てて感謝でした。
個々や家庭の必要、教会の必要や課題、国や世界の問題など、祈りは様々ですが、朝の時間、御言葉、賛美と共に、主と交わりスタートすることは、最高の祝福です。
今日の土曜日は、月一の割合で、礼拝用のお花を一人の姉妹が生けてくださいます。
今日のお花は、秋を彩る菊とフジバカマ、ツワブキです。
花がある所には優しさや潤い、なりよりも創造主の愛と恵みを感じます。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103:1-2
今日も一日、主と共に歩めることはハレルヤです。
ちなみにハレルヤとは主をほめたたえますの意味です。
あなたの上に主の祝福をお祈りしています。
「神に受け入れられる信仰616」10月28日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰159」です。
本日、ネパールのラマ姉が来会し良き交わりの時が持てました。
夕方にはナイジェリアのフローレンス姉が来会し、長男のカレブ兄が癒されて、近く退院予定ですと、大喜びで報告してくれました。
「喜ぶ者といっしょにに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」ローマ12:15
喜びは、共有するとき倍加し、悲しみや苦しみは共に背負う時、半減します。
フローレンス姉の歓喜溢れるハレルヤの叫びと、満面の笑顔に私たち夫婦も喜び充満となりました。
国籍や民族の違いはあっても、キリストにある神の家族であることを強く認識し、感謝の溢れる一日となりました。
「神に受け入れられる信仰615」10月27日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰158」です。
朝夕の寒さが増してきましたが、食欲の秋、かつ一年で最も過ごしやすい季節です。
一昨日、日本に来日しておられるオルダーソン宣教師と娘のシエロ姉と、私たち夫婦でラーメンを食べに行きました。
アメリカでも今やラーメンは大人気だそうです。日本の食事でお寿司の次に人気なのが、ラーメンと言う統計も出ています。
日本では沢山の種類のラーメンがあることを説明したら驚いていました。ちなみにお二人は、しょう油ベースが、最もお好みとのことです。
「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた子牛を食べて憎み合うのにまさる。」箴言15:17
どんな美味しい食事も豪華な料理も、互いの愛がなければ、本当の意味でおいしくありません。
今回の食事美味しい昼食の時となりました。
まさにビタミン愛があるかのような感じでした。
こんな表現は、ありませんが私の思いついた造語です。
「神に受け入れられる信仰614」10月26日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰157」です。
円安ドル高の動きが止まりません。円安のメリットは、外国からの観光客が、来日しやすくなり、インバウンド観光が期待されることです。反面、日本から外国に行くのは難しくなります。
どんな出来事にも、メリットとデメリットが存在します。
私たちの人生においても、同様のことが言えます。
私のモットーの一つとしている、み言葉です。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、ことごとに感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリストイエスにあって守るであろう。」ピリピ4;6-7(口語訳聖書)
キリストイエスにあって、どんな困難やマイナスに見える出来事も、プラスに変えることができるのです。
これこそが、神の福音です。
あなたの上に神の平安と祝福をお祈りいたします。
「神に受け入れられる信仰613」10月24日
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6
本日の「神に受け入れられる信仰」とは、「復活信仰156」です。
サッカーワールドカップのカタール大会まで残り27日となり、いよいよという感じです。スポーツ観戦好きの私にとっては、至福の時になりそうです。
私が高校生の時、当時世界第二位のチェコと全日本の試合を国立競技場に見に行きました。0対7の全日本の完敗でした。
当時日本では、サッカーはマイナー競技で観客もとても少ないのを覚えています。
今回はドイツ、スペイン、コスタリカと日本の組み合わせで、上位2チームがベスト16で決勝ラウンドに入れます。
戦いにおいては、勝敗が雌雄を決定いたします。
人生においての勝利者とは、罪から救われ、永遠の命の約束を受け取ることです。神のみ言葉です。
「しかし、私たちは私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」ローマ8:37
このみ言葉が、強調する二つの祝福を、最後に受け取りましょう。
第一の勝利は、この世におけるすべての事です。あらゆる問題に対する約束です。
第二は、圧倒的な勝利の約束です。
私たちを愛し、十字架の愛と、復活の力で勝ち得て余りある者とされる約束です。